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③ 自意識過剰ゆえに、運動なんて大嫌いだった

  複数の病気を抱え、「生活習慣病のデパート」状態ながら、一年であらゆる数値を落として、なんとなく健康に暮らしている。食生活の改善もだが、大きかったのは「適度な運動」だろう。

 自分の病気に関する本や、病院からもらった冊子などにも、「適度な運動」は必ず書かれている。循環器系、内科、どの医者も口をそろえて「運動はしたほうがいいよ」と言うからには、しないわけいかない。再発するのが嫌なんだもの。

  子どもの頃から、運動なんて、大嫌いだった。
運動がしたくないという理由で、中学では吹奏楽部、高校では合唱部に入った。大学に入っても、一ヶ月ほど合唱部に所属していた。音楽が好きだったわけではない。むしろ興味がないほうだ。
 ただ運動をしたくない、それだけの理由だ。

  身体を動かして何が楽しいんだとは、つい最近まで思っていた。好きで運動する人たちの心境は、ひたすら不可解だった。運動する時間があるなら、本を読んだほうがいいじゃないかとも思っていた。

 とはいえ、減量のために、動こうとしたことは、過去に何度もあった。ジョギングとかはとんでもないと思っていたので、ジムに行ったり、家で筋トレしたり、近所を歩いたり。しかし一度として、続いたことはなかった。

 十年ほど前、ジムに入会して、ヨガやらダンスやらの教室を受けてみたけれど、集団で何かをするというのが、どうしても居心地悪くてすぐに行かなくなった。
 あと、公共のトレーニング施設に行った際に、見かねてなのか、近くにいたマッチョなおじさんがトレーニング器具の使い方を教えてくれようとした。私が気にしすぎではあるんだが、それがきっかけで、「もう無理」となった。
 他人に「なってないな」と思われている、見られていると考えると、自意識過剰が発動して、行けなくなった。

 近所を歩くのは、三ヶ月ほど続いたが、忙しいのもあって、めんどくさくてやめてしまった。
 一時期、プールに通っていて、マイペースに水中ウォーキングもしていた。これはひとりで黙々とできるので嫌じゃなかったが、そのうちコロナ禍で、中断してしまった。

 いつも「人の目」を気にしていた。

「デブが運動してる。痩せようとしてる」と思われているんだな……と考えると、もうダメだった。

 気にしすぎなのだ。
 そんなことはわかっている。自意識過剰の度が過ぎるだけだ。他人はそこまで私に興味はない。
 けれど、気になってしまう。

 かつて若い頃は「デブでブスのくせに、おしゃれしてる」と嘲笑されるのが怖くて、化粧もせず地味な恰好しかできなかった。
 その辺は年を取って克服したつもりだったが、運動をしようとすると、自意識が発動して劣等感が爆発して、いたたまれなくなる。

 そもそも、ずっと体育会系の人間が苦手で、自分とは相いれない世界の人たちだと思っていた。バリバリ偏見を持っていた。
 体育会系の人たちが集うところには近づきたくないというのも、運動を遠ざけた一因だ。

  けれど、今回は、「人の目」とか言っている場合じゃなかった。
 だって死にたくない、命がけなんだもの!


入院中。

 病気を克服して健康になり、また倒れないようにするためには、食事制限と運動しかない。
 けれど、美味しいものは、食べたい。そうじゃないと人生の楽しみが奪われる。
 ならばやっぱり、運動もするしかない。

 退院直後一ヶ月ほどは、体力が戻らず動けなかったが、しばらくしえコロナ前にときどき行っていたプールに久しぶりに足を運んだ。
 ただ、そこのプールは使用の時間帯等に制限があるので使い勝手がよくなくて、それならフィットネスジムに入会したほうがいいんじゃないかと気づいた。
 以前、一度、入会したけれど続かなかったので、多少の恥ずかしさもあったが、無料体験を申し込んだ。集団で何かをやるのは苦手だから、今回はひとりで黙々とできることをすると決めていた。
 体験して、申し込みをして、目的は減量だというのを告げて、トレーナーにメニューを作ってもらう。筋トレと、ウォーキングのみだ。それだけなら、好きな時間に、自分のペースでできる。

 とはいえ、根っからの運動嫌いで、続くのか……という不安はあったが、「3ヶ月すると身体が変わる。結果がでる」といわれ、とりあえず3ヶ月は続けてみようと決めた。
 家で病気の不安を抱えながら鬱々と仕事だけして過ごすよりは、ジムに通うほうが精神衛生上にも良い気がした。
 まだ、コロナの感染者が多く、出かけにくかった頃だ。
 病気になり、堂々たる「新型コロナウイルス重症化リスク」持ちとなった身であるので、あちこち人混みなどに出かけるよりは、黙々と運動をするほうがメンタルも守れる。


 一年間で10キロ落ちるまでは、決して楽ではなかったし、途中、運動してもしても全く数字が動かなくて落ち込んだときもあった。(というか、これ書いている現在、全く減らない。増えもしないけど) 
 とはいえ、確実に運動の効果はあったので、私にしては珍しく、続いてはいる。

 でも、これも、死にかけなかったら、今まで通り3日坊主だったのだろうというのは間違いない。
「まだ死にたくない」という意志が、私のモチベーションを維持している。「死」の不安を少しでも軽減するためでもある。

  つまりは、死にかけた経験がなかったら、私は相変わらず運動を避けて、もっと不健康になっていただろう。

 どっちみち病気を悪化させるだけだったのは、間違いない。


『シニカケ日記』花房観音 | 幻冬舎 (gentosha.co.jp)

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