花房観音

1971年生まれ、小説家、京都在住。 第一回団鬼六賞大賞「花祀り」にてデビュー。著作多…

花房観音

1971年生まれ、小説家、京都在住。 第一回団鬼六賞大賞「花祀り」にてデビュー。著作多数。 2022年5月、心不全にて倒れた経過を綴った「シニカケ日記」(幻冬舎)発売中。 こちらでは、退院後の健康への取り組み、減量、食事、病気のことを綴っていきます。

最近の記事

⑬ ルッキズムの海に溺れながら

「痩せたら人生が変わるよ」  とは、今まで100回ぐらい、言われた言葉だ。  関係してる男からも、占い師からも、ほとんど関わりのないよく知らない人からも、言われた。  その度に、「いや、わかっているよ」と、「簡単に痩せられないから、太ったままなんだよ」と思っていた。お前らに何がわかる、とも。  親に言わせると、小学校高学年のとき、学校に行きたがらない時期があり、その頃から私は太りだしてきたらしい。20代、30代は、精神的な問題を抱えて過食癖がついていたのだと思う。  

    • ⑭ 出版の世界で、いきなりルッキズムを突き付けられた

       小説家という仕事の中でも、ルッキズムはひしひしと感じている。  小説の新人賞を受賞したパーティの席で、「ルッキズムの洗礼」を受けた。原稿を送った際に、職業の欄に「観光案内業」と書いた。受賞のお知らせの電話がきたときに、「観光案内業って、具体的に何か」と問われた際に、「バスガイド」と答えた。   バスガイド……AVは官能小説の中では、ナースや女教師と共に、男性に夢を与えエロい妄想を抱かせる職業だ。実際は全くエロさなんてない仕事だけど。  私が「バスガイド」だということで、

      • ⑫ 中途半端な貧乏人は、太る

         ダイエット食は、昔に比べてずいぶんと美味しいものが増えた、と思う。だいぶ以前だが、こんにゃくを使った麺などは、まずくて食えたものじゃなかった記憶がある。触感が駄目だった。ダイエット食といえば「まずい」イメージが強くて、痩せようと購入しても、続かなかった。まずいものを食べるなんて、拷問でしかない。  だから、ダイエット食というものは、長いこと口にしていなかった。  退院してから、いろいろ試してみた。  糖質カット麺や、糖質カットインスタント麺、塩分ゼロの蕎麦、糖質カットク

        • ⑪ 健康的な生活のためにコンビニを活用する

           退院したその日に、まず行ったのは近所のコンビニだった。  体力がなく、自炊はできない、外食にも行けない。けれど健康的なものを食べないといけんないと考えると、コンビニ一択だった。レタスとハムとトマトのサンドイッチと、野菜サラダを買って食べた。  今までなら物足りなく思っていたかもしれないが、二週間近く病院食だけを口にしていたからか、感動するほど美味しかった。  退院してから、コンビニの使い方が変わった。それまでは、外出から戻る途中にコンビニがあると、「なんか物足りないな」

        ⑬ ルッキズムの海に溺れながら

          ⑩ 楽しいモーニングセットめぐり

           退院してからハマったもののひとつに、モーニングセットがある。  主に喫茶店で、ときにファミレスで、ベーカリーカフェで食べるモーニングだ。  きっかけは、病院にあさイチで検査診察をしに行く際に、「なんか楽しみがないと、めんどくさい」と、まず美味しい朝ごはんを外で食べると決めたのだった。そうじゃないと、病院通いなんて、ダルいだけだ。  普段の朝食は、試行錯誤の結果、現在は、朝起きて湯を沸かしながら体重や血圧測定→白湯を飲みながらPCチェック→プロテインドリンク→冷凍してい

          ⑩ 楽しいモーニングセットめぐり

          ⑨ 健康的な食生活大作戦、さて外食はどうするか

           さて、美味しいものだけを食べて痩せる大作戦、外食の話だ。  ダイエットの本などを読むと、スパゲティやオムライスのような単品は控えて、品数の多い定食などをとか、いろいろ「健康的な外食」について書いてある。  うどんやラーメン、パスタなどは主に炭水化物だから、外で食べる際も、野菜とタンパク質をとるように、と。  そしてなるべく油を使わず、蒸し料理がいい、生野菜は身体を冷やす、汁物漬物は塩分が多い云々……。  なかなかめんどくさい。  食べられる店も限られてくる。  私も

          ⑨ 健康的な食生活大作戦、さて外食はどうするか

          ⑧ 美味しいものを食べながら痩せる

           さて、「食生活の改善」である。 倒れる前、自分なりにちゃんとした食生活を送っていたつもりだった。でも、この「自分なり」という判断が、甘かった。野菜も好きだから、バランスのよい食事をしていると思い込んでいた。  けれど結果的に、高血圧を悪化させ、二型糖尿病を発症して、心不全で死にかけた。  最初に高血圧で糖尿病だと告げられたときは、もうこれから先の人生、味のないものしか食べられないのか……と、落ち込んだ。塩分も糖分もない食事……味のない野菜をぼりぼり食べる虫みたいな食

          ⑧ 美味しいものを食べながら痩せる

          ⑦ 生活は変わる、変えられる。

           一年間、「まだ死にたくない」と右往左往して、10キロ減量し、あらゆる数値を落として、たどり着いた結論は、「ダイエットは地道に食生活の改善と、運動」、「健康になるのは、早寝早起き規則正しい生活、十分な睡眠時間、できるだけストレスを抱え込まないように」という、全く面白くない、ひねりようがない、王道の答えしかなかった。  画期的なダイエット方法を生み出して、本を出してもうけてやろう……なんて考えてもいたが、無理だった。  さまざまな「ダイエット」「健康」の本を読んだ。いろん

          ⑦ 生活は変わる、変えられる。

          ⑥ 運動はめんどくさい。でも死にたくないから。

           さて、ものごころついた頃から運動が嫌いで、運動を避けて生きてきた私が、一年以上ジム通いを続けているというのは、かなり画期的なことだ。 ジムに通っていると、何度か「体験」の人を見かけた。入会前、トレーナーによってジムの案内をしてもらい、トレーニング器具などを体験する。これは無料だ。「体験」らしき人の中に、私のように、私以上に、太っている人たちがいた。けれど、ほぼ、そういう人たちは、「体験」後、見かけなくなる。  わかるよ! わかる! と、言いたくなる。  運動なんて、しん

          ⑥ 運動はめんどくさい。でも死にたくないから。

          ⑤ 運動をはじめたら、痩せはしだしたが

           運動をしはじめて、3ヶ月が経ち、なんとなく筋肉がついたようだった。  そして5ヶ月も過ぎると、人に会うと「痩せたね」と言われるようになったし、自分でも腹の肉等をつかんで、「痩せたかも」と思うことが増えた。試しに、今まで買ってはみたものの着られなかった服を身に着けると、入った。  引き換えに、それまで身につけた服が、ダボダボになり、襟ぐりからブラジャーのヒモが見えたり、だらしない感じになったり、スカートがずり落ちることがあり、それらは容赦なく、捨てていった。  痩せたのは

          ⑤ 運動をはじめたら、痩せはしだしたが

          ④ 運動なんて自宅ですればいいじゃないかという人もいるけれど

           さて、「体育会系の雰囲気が苦手」「集団で何かやるのが無理」で、今までフィットネスジムに通うのが長続きしなかった私だが、今回はなんとか一年以上、続いている。  数年前に入会したけれど挫折したのは、ヨガやピラティスやダンスの教室に、ついていけなかったからだ。動きよりも、「みんなで何かやる」雰囲気に。  人に喋りかけられるのも、めんどくさかった。ジム通いの、特に女性たちは、みんな和気あいあいとして楽しそうで、人と交わるのが苦手な私は、その雰囲気もダメだった。そうは見えないが、私は

          ④ 運動なんて自宅ですればいいじゃないかという人もいるけれど

          ③ 自意識過剰ゆえに、運動なんて大嫌いだった

          複数の病気を抱え、「生活習慣病のデパート」状態ながら、一年であらゆる数値を落として、なんとなく健康に暮らしている。食生活の改善もだが、大きかったのは「適度な運動」だろう。  自分の病気に関する本や、病院からもらった冊子などにも、「適度な運動」は必ず書かれている。循環器系、内科、どの医者も口をそろえて「運動はしたほうがいいよ」と言うからには、しないわけいかない。再発するのが嫌なんだもの。  子どもの頃から、運動なんて、大嫌いだった。 運動がしたくないという理由で、中学

          ③ 自意識過剰ゆえに、運動なんて大嫌いだった

          ② 私は生活習慣病のデパートだった。

           昨年、救急車で緊急搬送され入院したが、入院も救急車も初めて尽くしだった。  今まで大きな病気をしたことはない、怪我もない、出産経験もない。なんとなく、そのまま一生を終えるんじゃないかと思っていた。  自分の性格はネガティブなのに、身体のことに関しては、ポジティブに考え過ぎだったというのがわかった。  40代から、ずっと、動悸、むくみ、倦怠感があった。加齢により気圧の影響を受けやすくなったのと、更年期だからしょうがないと思っていた。  更年期障害の症状は、かなり多様で幅広

          ② 私は生活習慣病のデパートだった。

          どうやらまだ死にたくないらしい

          ① 51歳、心臓やられて死にかけた  2023年冬、現在52歳、既婚、兵庫県北部出身、京都在住、夫とふたり暮らしで子どもはいない、職業は小説家。 なんとなくのほほんと暮らして、年を取っていくはずだった。  ところが、昨年2022年5月半ば、51歳の私は繫華街で息苦しくなり、緊急搬送され入院した。 「心不全」と告げられ、ICUに入れられ、全身管だらけになりしばらく過ごした。  40代からの不調を、すべて更年期、加齢のせいにして放置した結果だった。  様々な病名を告げられ

          どうやらまだ死にたくないらしい