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入院前のロッカールーム(短編小説)

体のどこかが悪い気がしたから病院に向かった。

芝生の中のレンガ道をポツポツ歩く。名前の分からない広葉樹の葉一枚一枚が、しっかり光合成をし、その木漏れ日が芝生で遊ぶ子供と母を照らす、優しい光景が広がっていた。

ただまっすぐ歩いていたけれど、ふと横を見ると、県営の図書館があった。

この図書館は私が中学生の時にできた。ガラス張りの1階と、檜で作った屋根の構造を見上げることができる2階から成っている新しくて綺麗な図書館。

この図書館で勉強する方がオシャレだから、そんな単純な理由で受験期はよく世話になった。檜アレルギーの私は2階で勉強すると、檜生の屋根が近すぎてくしゃみを連発していた。

懐かしさに想いを馳せていたら、もっと懐かしいものを見た。カエルくんだった。

カエルくんは高校時代の私の部活の後輩。同学年に仲のいい子がいなかった私とカエルくん。先輩として、寂しそうな後輩を放って置けないなんて思っていたけれど、本当は寂しい私自身を放っておいてほしくなかっただけという不純な気持ちだったかもしれない。

カエルくんは卒業後浪人していた。予備校で友達ができないカエルくんの孤独を、私は慰めることができていたと思う。だからこそ、彼がめでたく大学に合格した後、お互いを繋いでいた孤独は消え、私たちはなんとなく会わなくなった。

「もう、しゃべれないね。」


ガラス張りの図書館は外から中が丸見えだった。水泳部だったあの子たちは今日も一緒にいる。

私の前では素を出せていなかったんだね。そんなに声が大きい子だったんだね。外まで筒抜けだから、実は今のお母さんが生みの親じゃないこと、知っちゃったよ。

知るはずではなかった話を聞いてしまった罪悪感で、私は図書館の入り口まで来ていたのに、もう帰ろうと思った。

くるりと身を返すと、目の前の考える人の石像に、ちょっとダサい大学生が4人集まっていた。その中でも、とびきりイケメンで、でもとびきり背が低くて、赤いチェックシャツを腰に巻いちゃう男の子がいた。すぐ分かったよ、クマくんだね。

クマくんは同じ塾の後輩だった。塾でも同級生で仲がいい子がいなかった私は、クマくんのお世話になっていた。クマくんは、どっちが先輩か分からないほど大人っぽかった。いつも私の愚痴をお弁当を食べながら聞いてくれていた。私が風邪をひいた時は、私の大好きなダイドーの自販機のリンゴジュースを買ってくれた。

クマくんとはずっと仲良くしたかった。けれど、卒業の時、彼の言葉は「もう二度と会えないね」だった。「卒業してもいっぱい遊ぼうね」の言葉を、私は胸にしまいざるを得なかった。

「こんなに近くにいるのに、やっと再開できたのに、二度と会えないから帰るよ。」


気づいたらもう、診察が終わっていた。

そもそも私はどうやって病院まで来て、どうやって診察を終えたのだろう。首から酸素ボンベを水筒のようにぶら下げ、点滴を引きずっていた。

「それでは、入院病棟にご案内しますね。」

あ、そうか入院することになったんだ。セグウェイに乗った看護師さんは、ペンライトのような物を持って、入院病棟に向かう。そのペンライトのようなものは、看護師さんと私を一定の距離に保って、強制的に私を引っ張っていく。

看護師さんはロッカールームの扉の前で立ち止まった。

「このロッカールームに、スマホもカバンも全ての持ち物をしまってください」

あ、そうかロッカーにしまうのか。特に抵抗もせずロッカールームに入って、真ん中らへんのロッカーに荷物を全部突っ込んだ。緑色の長細いロッカーがびっしり並んで、床には青色のすのこが敷いてあった。市民プールの脱衣所から塩素の匂いを取ったような場所だった。


すっかり状況を受け入れいたが、いや、でも、そもそも私はなんで入院するんだろう。やっと当たり前のことを疑問に思った。

「あの、私ってなんで入院するのでしょうか?」

私のロッカーの隣にいた女性に聞いてみた。当たり前の疑問を思い出したことで私の頭はやっと正常運転したかと思ったのに、私の入院について何も知るはずのない、ただ隣にいただけの女性にそのことを聞くなんて。まだ、脳内にはエラーが発生しているようだ。

「ブラック病棟?ホワイト病棟?」

「え、なんですか?それ。」

「知らないならいいの。」

「でも知りたいです。」

「知らない方がいい。」

彼女はそう言い残して、ロッカールームの奥にある扉を開けてどこかに行ってしまった。おそらく入院病棟に行くのだろう。

ブラック病棟とホワイト病棟。結局それぞれがどんな病棟か分からなかったが、こんなに分かりやすい名前がついていたら大方想像がつく。ホワイト病棟はいわゆる一般的な病棟で、人権も保障されているが、ブラック病棟はいわゆる閉鎖病棟的なもので、入ったら最後半永久的に入院、といったところだろう。

私はホワイト病棟かブラック病棟か分からないが、ブラック病棟には何となく死の匂いがした。それに、なんで入院することになったのかそもそも分からないのだから、ホワイト病棟であっても入院する必要はない。意味不明か危険の二択ならば、入院しない方がいいに決まっている。

とは言っても、セグウェイの看護師に見つかったらまずい気がして、こっそりロッカールームを出ようとすると、逆にロッカールームに入ってきた人がいた。何という偶然か、中学時代の最後の好きな人、ミカン君だった。

ミカン君は本当にひどかった。ミカン君のことが好きだった私は、卒業式の日に一緒に写真を撮ったけれど、好きという言葉は自分の胸に秘めておこうと思った。そんな私にミカン君は、「なんか言い忘れていることない?」と言ってきた。

こんなの、少女漫画でいうところのハッピーエンドフラグである。恥ずかしくて好きと言えない私に、ミカン君が「俺のこと好きでしょ?」とか言ってきて私がコクンと頷く。それで「俺もだよ」と言われてめでたくハッピーエンドってわけだ。

しかし、実際の私はチャンスとばかりに、彼の「俺のこと好きでしょ?」を待たずして「うん、好きだよ」と即答してしまった。すると、彼も「ありがと、ごめん」と即答で振ってくださった。

そんな彼が死ロッカールームに入ってきた。私は先程の女性の話を聞いてから、ここが死の始まりの場所のようが気がして、勝手に死のロッカールームと心で言っていた。

「え、なんでここにいるの?」と私は彼に聞く。

「入院するからだよ。」

「なんで入院するの?」

「入院することになったからだよ。」

ロッカーに荷物を突っ込みながら私の質問に淡々と答えた彼もまた、先程の女性と同じく奥の空間に消えていった。



彼が中に入っていった扉をいつまでも見つめていると、ブブーブブーと私のiPhoneのアラームがロッカーの中で鳴り出した。アラームなんて設定していないのに。

アラームを止めようとすると、いつからそこにいたのだろう、黒くて長い髪の毛をストレートに伸ばした女性が私の背後にいた。

「アラーム鳴ったんだね」

そう言って彼女は私を押しのけ、私の代わりにアラームを止めた。

「もう時間だよ、入院しよう」

彼女は私の腕を引っ張った。

「でも、待って。入院するって連絡入れておかないと…」

「時間だから」

なんで自分は入院を受け入れているのだろう。でも、入院することは拒否できるものでも、したいと思うものでもなく、決まっているのだからしょうがないと自然に分かっているようだった。


隣にいた女性もミカン君も吸い込まれていった扉、いや吸い込まれにいった扉に、私も吸い込まれにいった。





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