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薬研藤四郎の再現刀に会いに行く

2019年11月2日~10日 京都の船岡山にある建勲(けんくん)神社で「短刀 銘吉光 薬研(やげん)藤四郎」の再現刀が公開されました。

主人は傷つけない守り刀

薬研藤四郎は京都 粟田口派の刀工 粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)打ったの短刀です。吉光は短刀の名手で、彼の作った短刀は守り刀として武士たちの間で大変人気がありました。

「詳註刀剣名物帳」によると薬研藤四郎の名前の由来は『畠山政長がこの短刀で腹を切ろうと三度突き立てたが通らず、腹を立て投げ捨てたところ側にあった薬研に突き刺さり貫通した。』と書かれています。

切れ味は鋭いけれど、主人は決して傷つけない。
薬研藤四郎は守り刀として最高に格好いい逸話を持っています。

織田信長と共に本能寺で燃える

その後、この短刀は松永秀久から織田信長に贈られました。名刀を数多く所有していた信長でしたが薬研藤四郎を大変気に入り、守り刀として常に持ち歩いていたそうです。

天正10年 本能寺の変。
明智光秀の謀反により包囲されたと知った信長は寺に火を放ち自害します。
この時に使われた短刀が薬研藤四郎だと言われています。

主人を傷つけない刀で信長は自害できたのでしょうか?炎で燃えた本能寺から信長の遺体は見つかっていません。

その後、薬研藤四郎は本能寺で消失したとも、豊臣により再刃され徳川家に伝わったともいわれていますが、確かな消息は分かっておらず、今は現存しないとされています。

藤安刀匠と再現刀

平成30年7月1日 藤安将平刀匠が薬研藤四郎の再現刀を作刀し、建勲神社に奉納されました。(藤安刀匠は藤森神社の鶴丸国永の写しや三日月宗近の写しも作刀されています。)

こちらが藤安刀匠が作刀された薬研藤四郎の再現刀です。

写真だと分かりにくいのですが、吉光の特徴である梨地肌の地鉄がとても美しいです。

梨地肌
小板目や小杢目がよく詰み、地沸が一面に付いた梨の切り口のような潤った肌

私は帽子の形が好きです。小丸に返る掃掛け帽子と言うのでしょうか、鋭い感じが格好いい!

押し型と比べても刃文など忠実に再現されています。

藤安刀匠のご講話にて
『刀は武器であり美術品ですが、その本質は御守りであり日本人の精神です。しかし日本の伝統的な技術を受け継ぐ人が減り、将来日本刀が作れなくなるかもしれません。若い皆さんが日本について勉強し、伝統を守って行って欲しい。』
とお話されていました。

藤安刀匠のお話を聞いて、私も日本の伝統的な技術や文化を未来に残すお手伝いが出来たらいいなと思いました。

織田信長を祀る 建勲神社

四条烏丸からバスで約30分。
枕草子にも詠まれる船岡山に織田信長公を祀る建勲神社はあります。

こちらは信長が好んだ「敦盛」の一節。
『人の世の50年など下天での時の流れと比べれば夢や幻のようなものだ。一度生まれたら、滅びぬものなどあるはずが無い。』と世の無常を詠んだ歌です。

桶狭間の戦いの前夜に謡い舞ったそうなので、自分や部下の覚悟を決める為のようでもあり、敵方の武将(今川義元)への忠告のようでもあるなと思いました。

織田家の家紋である織田木瓜(おだもっこう)紋。
木瓜は鳥の巣を図案化したものとされ、信長の紋は五瓜に唐花と呼びます。

素敵な記念品と御朱印とお守りをお迎えしました。
建勲神社の御朱印は種類が豊富でデザインも格好良いので集めたくなります。

参考文献
・詳註刀剣名物帳 羽皐隠史著 大正8年
・物語で読む日本の刀剣150 イースト・プレス発行 2015.5.20

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