社会と陶芸

大きな窯や水あるいはアルコールが漏れない陶磁器とくに焼締が製造される地域は穀倉地帯が多いい。穀物は腐らなく貯蔵が可能である。その分、狩猟採取に時間を使わなくて済む。時間を使わないことで、他の産業が生まれ発展する。このような社会で人々は分業制そしてその延長にある社会階層が生まれる。地域住民がトランジスタの各パーツでありまるで地域社会が集積回路のようになっている。この集積回路がAIとなり、高度な手工芸を生み出してきた。この手工芸を「民藝」とも言う。

現代社会は農業革命時代の延長にある。分業を担う人々がロボットやAIに変わってきている。では陶芸はどうなのだろうか?機械化してきた。近世と現代の陶芸家をみると、工房内の人間関係、構造も変わってきた。製粉、土練、整形、焼成、掃除、運搬といったほとんどの工程は機械化した。機械化することでひとりでできるようになった。

しかし私の実体験であるが、恩師だった日本人がこの近代化によって過労死を伴う病死として風呂場のヒートショックで他界した。疲労で心臓が弱っていた。蓼科の山奥でほぼひとりで100人程度の観光客の作品を焼成し運送、工房の清掃をし夜遅くに帰宅していた。あるいは私も疲労で嘔吐、身体障害を伴う首、肩の疲労による背虫などの症状に苛まれる。
機械化によって重労働に開放された。しかしその分、体にひびくほど心労がたまるようになった。労働環境が悪くなった。孤独に苛まれ、陶芸家はほんのひと握りしか社会で輝けないようになってきた。

 近代以前の産業システムは非常に良いところがあった。かつての韓国でも甕器(オンギ)という巨大なキムチ甕は若い職人らが数時間かけて櫂、鋤で粘土を練り上げてきた。熟練工が練り上げた粘土を轆轤に乗せて整形してきた。モーン語には「ケッコン」という親族及び地域住民による職人集団およびコミュニティによって産地が成り立ってきた。クレット島ではひとつの窯を除いて地球温暖化の洪水とJICAの都市開発がくるまで多くの巨大な薪窯が可動していた。この窯を作るにはマシンの複雑な機構のように人々の協力関係や社会構造があったから作れた。なぜなら私は粘土の製粉作業を半分ほど機械化して、これで一安心と安堵してきた。しかし実際には考えが甘かった。韓国の甕器と同じく大量の粘土を効率よく練らないといけない。私は父が怪我をしてしまったため、蕎麦屋のようにタライと腕で土を練った。作業にあたり腰も痛くなり、孤独ゆえに嫌な記憶が自動的に蘇ってくる。レンガを作るのに深夜まで時間が必要となり心身ともにボロボロになった。クレット島に限らず、近代以前の窯を修繕すること、「無形文化財」として産地を守るとは、伝統的な社会集団構造、人々の繋がりを作り直すことである。またもし発展途上国で近代以前の窯を機械で修繕するならば、社会の格差と戦うことになるだろう。国策で重要な窯業地帯だとみなされている地域は十分な資本があり機械化が進んでいる。いっぽうでクレットのようなところは地域が破壊され地域社会における人々のつながりを作り直すところから始めなければならない。ゆえに追い立てられている少数民族社会における近代前の窯を修繕するとは非常に難しいとわかった。

幸いにも母が土練を手伝ってくれることになった。もう一回、ケッコンを仕切り直すことになった。

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