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これから社会人になる私が全国のお父さんお母さんに伝えたいこと

この記事は「破天荒な父」と「どこまでも優しい母」を持つ私が
この春から社会人になる今のタイミングだからこそ綴れる「子どもの思い」です。

先にお伝えしたいのが、親はこうあるべきだ!とか、子育てはこうしないと子どもが可哀想!なんて書くつもりは微塵もありません。

ただの若造の戯言だと思って読んでもらえたら幸いです!

前半は私と両親のエピソード
後半が世のお父さんお母さんに伝えたいこと
になっています!

それでは前半、私と両親のエピソードから始まります!

この春から社会人になる私が、これまでを振り返って両親に対して持っている思いはただただ「感謝」です。笑
これは綺麗事を言いたいわけではなく20年と少しの年月を経た「今」だからこそ言えることです。

私の父は冒頭にもあるように「破天荒」で短気です。笑
昔はよく手もあげられましたし、何なら父が嫌いとかのレベルではなく、単純に恐怖を抱いていました。
今だったら児童相談所が動くレベルです。笑

そして母は反対に「どこまでも優しい母」でした。
昔から常に私の味方で、だからと言って過保護ではなく、どうしてこんな人が父と結婚したのだろうと本気で思った時期もありました。

ここだけ読めば「母には感謝でも父にも感謝なの?」と思う方がほとんどですよね。笑
しっかり冒頭の結論に辿り着きますので
まだしばらくお付き合いください。

そんな両親の元、私は育ちました。
幼稚園時代は明るく、友達も多くできて楽しい幼稚園時代だったことをほんのりですが覚えています。
ただもうその頃から父は恐怖対象でした。

小学生になる頃には父はトラウマレベルです笑
怖すぎて父がベッドから起き上がる音で目が覚めたり、外で父に似た咳払いを聞くだけで不安になったり、うちと同じ車種の車を見るだけで感情が揺さぶられていました。

では何で怒られていたかですよね。
例えば、声が小さい、家事を手伝わない、他人とのコミュニケーションで失礼な点があったとき、言われたことをやらないとき
などです。
まぁそれは怒られても仕方ないんじゃない?と思われるかと思いますが、そんなに怒らなくていいだろうと思うくらい怒られていました。

そんな子どもでしたので大人の顔色を伺い行動するのが当たり前になっていました。
ですので友達の親にはすごく評判が良かったり、学校の先生にはすごいいい子だと言われ、中学生の頃にはずっと学級代表を務めていました。

そして中学生になるとクラブ活動を始めました
私はラグビー部に入ったのですが、この部活がまた本当にしんどい。
先輩は怖いわ、顧問は怖いわ、同級生はぞろぞろ辞めていくわ。
私も何度も辞めたいと思ったことがありました
ですが父はそんなこと許しません。
「一度始めたことはやり遂げろ」
これが教えでした。
同世代の子たちは割と自由に生きていて
やりたい時に始め、やめたいときに辞める
そんな生き方に憧れを抱いていました。
私は根が真面目なのでやるならやるでしっかり練習はします。
その甲斐あってか3年生の頃には身体能力はグングン伸びて小柄なのにラグビーでスポーツ推薦がくるまでに至りました。

ですがスポーツ推薦を辞退し、スポーツに力を入れていたボクシングの強豪校にボクシングがしたいと思い入学。
私立でしたが両親は迷うことなく入学を認めてくれました。

ボクシングをしたくて入学したのですが、色々あってレスリングを始めました。
私の父も高校時代レスリングをしていたのですがそれは関係なしにただレスリングに私が惹かれたのです。

大阪では常に優勝を収める強豪校で揉まれ、ここでも私はしっかりと成長しました。
ですが高校2年のときに私に転機が訪れます
これまでスポーツしかしてこなかった私ですが、読書を始め、スポーツだけで生きていくことの難しさを知ります。
子どもなんてしっかり自分の将来を考えれる人はほんの僅かで、特にスポーツで育ってきた人はスポーツ以外の進路について考えることはまぁありません。
ですので、本当に大きな転機になりました。
ですが先述した通り父は一度始めたことはやり遂げろ主義なので私はすぐに言い出せませんでした。

そこで先に母に相談した後に決死の覚悟で父に「勉強して大学に行きたい」と話しました、
すると「わかった、頑張れ」と…
私はその言葉を理解するのにかなりの時間を要しました。
「見放された?」と正直思い、父の期待に応えられなかったんだ自分は、と自分を責めもしました。
これまで父の敷いたレールを走り、親の期待に応えるために頑張ってきたつもりだったので
こんなあっさり自分の要求が通ったことに驚きより不安を感じました。
私の予想では必死の説得の上、なんとか部活をやめて勉強にシフトできると思っていたからです。

その後大学に入り、家族で食事をしてるときに父がふと、私が部活を辞めると告げた時のことについて話しました。
「◯◯(私)くらいスポーツに全力を費やして、結果を出したやつがスポーツを辞めるのは相当な葛藤と覚悟があったはず、その思いを俺が口出す権利はない、ここまで無理矢理でも親の言うことを聞いてた子が決死の覚悟で意見をしたことが嬉しかった」と
何も言えませんでした。

その日の夜、私は嬉しくて泣いてしまいました
もちろん父は恐怖の対象で、正しい教育だったのかと言うとそうでは無いかもしれません。
ですが私が思っていた以上に私のことを思っていてくれたのです。
思えば大事な節目で父が私の意見を無視することはありませんでした。

これまで確かに伸び伸びと育てられたとはとても言えません。
しかし父が私にした教育は就活を通して、自分の財産であると確信しました。
どこの企業を受けても
最近の子とは思えないくらい優秀だ
近年稀に見る好青年
と言われることが多々ありました。
今思えば嫌ほど父に言われたことは社会を生きる上で必要なことばかりでした。
そしてどんな時も寄り添ってくれた母のおかげで私はドロップアウトせずにここまでこれました。

父は子に嫌われてでもの思いで私を育ててくれました。
行き過ぎた教育だったことは否定できませんがね。笑
今では父は怒ることもなく良い関係を築けています。

ですので両親に対する私の思いはただただ「感謝」です。

それではここから後半
そんな子どもが世のお父さんお母さんに伝えたいことです。

私は親になったことがないので本当の意味での親の気持ちはわかりません。
私が想像するより大変だろうし、悩みももちろん尽きることは無いと思います。
ですが子どものために、どこまでも悩んであげてください。

生まれてから一生、愛情を注ぎ続けてください
親は子どもの誰よりも味方です。
最後の最後に頼れるのは家族だと子どもが思えるような家庭を築いてください。

色々な経験をさせてあげてください。
時には厳しくしても良い
時にはひたすら甘やかしても良い
とにかく色々な経験を。

子どもは想像以上に両親の空気感を感じ取ります。
夫婦喧嘩はあまり子どもに見せないように
子どもにかかる負担は想像以上です。

意思決定をしっかりさせてあげてください。
親が思う、こうした方がいい!と
子どもが思う、こうした方がいい!は
全然違います。
どうしても譲れない時はとことん話し合ってください。
そして話し合える関係性を築いてください。

子どもを認めてあげてください。
感情に振り回されずに褒めてあげてください。
褒められ慣れてない子どもは承認欲求に飲み込まれます。
そうなってしまったら性格に影響を及ぼします。

お父さんお母さんも傷つかないでください。
子どもにとってかけがえなく大事な存在です。
子の幸せが親の幸せとも言いますが
親の幸せが子の幸せでもあります。

不安になっても子どもを信じてあげてください
この子にそれは無理でしょ…と思うことは子育てする上で幾らでもあると思います。
ですがよほどの事でない限り信じてあげてください。

悩み抜いた末にダメだと思ったことは子どもが腑に落ちるまで話し合ってください。
いくらなんでもそれはダメ!と子どものことを思った上で出た判断なら徹底的に話し合って止めてあげてください。

最後に

子どもに感謝される親であってください。
すぐに理解されないかもしれません。
一時期は嫌われるかもしれません。
時には酷い言葉を投げつけられるかもしれません。
それでもお父さんお母さんが子を思ってとった行動の末に、子どもに残るのは感謝です。
私がそうだったように。

長々と書き綴ってしまいました。
稚拙な文章で申し訳ありません。
生意気なことを言ってすみません。
ですがどうしても伝えたかったのです。
こんな時代だからこそ。

子育てに疲れたなら私で良ければいつでも子ども目線で話を伺います!
いや誰やねんって感じですね。笑
力になれるかは分かりませんがいつでも協力いたします!

以上
素晴らしい全国のお父さんお母さんへ。

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