消費と創造のはなし
◆2020.11.11修正
こんにちは、こんばんは。就職しようかどうしようか、頭を日々ぐるぐるさせているイマイです。
このごろ何につけても、「消費」と「創造」という対比をよく思い浮かべます。
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10月末、新潟の友達のクルマに乗せてもらって、十日町のほうへ写真を撮りにいきました。
十日町といえば、3年に一度の国際芸術祭「越後妻有トリエンナーレ」の舞台として、津南町とともによく知られる場所です。清津峡や美人林、数々の棚田など、ゆたかな自然が魅力的。私もずっと行きたいなぁと思っていたところ、今回ようやく叶ったというところです。
朝、天気雨のなか新潟市内を出発。幸いなことに十日町へ近づくにつれ、文句なしの秋晴れとなりました。
(現像してなくて……スマホの写真で失礼します)
美術館を主とするキナーレは美しかったし、隣接の道の駅で食べたへぎそばは最高の歯応え。
静に屹立するたくさんのブナにやんわり夕日が差す、美人林の独特の雰囲気にも圧倒されました。
問題は清津峡です。
清津峡といったら、こんな感じのキレイな写真を思い浮かべますよね。(市観光協会パンフレットより)
水の滴りやら、木々の重なる音やら、鳥のさえずりやらが聴こえてきそうな、美しい写真です。
だけど実際は異なりました。
駐車場へ入るクルマの長い列。展望台へつながるトンネルへ、歩いて入坑するために料金が必要で、その窓口にも長い列。
たのしみにしていた数々の展望台も、国内外の子連れやツアー客らの喧騒で、正直楽しめたものではありませんでした。週末の土曜日だったこともあったでしょう。
清津峡を去るとき、「ああ、美しいはずの場所で台無しな気持ちになってしまった」「ガイドブックの確認にもならない情けないことをしてしまった」という後悔をしました。
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この「後悔」をもたらしたのは、私たちを含めた大勢の見物客がつくった喧騒であり、あるいは私が理想を求めすぎたせいかもしれません。
ガイドブックを手にして見どころを巡ったり、ツアーの一員となったり、という旅行は、いわばガイドブックの再確認、予定調和の移動であり、それ以上のものはあまり期待できません。
私たちのほかに清津峡を訪れていた大勢の人たちのなかには、満足して帰っていった方も当然たくさんいらっしゃることでしょう。
静かでうつくしい清津峡を確かめに行ったつもりが、行列と喧騒の波に阻まれてしまった。最低限の予定調和さえ壊されてしまった、この日の清津峡。私は不満足な気持ちしか抱けなかったのです。
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私は旅先で、できるかぎりゲストハウスに泊まるように、泊まらなくても館内にバーなどがあれば訪ねるようにしています。
ゲストハウスでの一期一会は予測不可能です。旅のスケジュールが良い意味で狂わされたり、その後の自身の行動や旅、考え方にまでつながったりすることも、往々にしてあります。
まあ、あんまり素直に従うのもどうかと思いますが、こんな人もいるんだ、こんな考え方もあるんだ、というひとつの人生経験としては、これほど新鮮なものはありません。
ゲストハウスに泊まるという予定まで立てておいて、そこから先は成り行き次第。じぶんの好奇心の赴くかぎり、満足の値はほとんどプラスに働いてゆくはずです。
対して予定調和の旅行というのは、予定どおりにこなして初めて満足するもの。スケジュールの狂いはマイナスイメージを伴います。
物は言いよう、とはよくいうものの、仮にあなたが次の旅を考えるなら、どっちがいいですか?
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ここで、今回のタイトルを思い出してみます。
消費と創造。
ある場所へ、おなじ移動費で旅に行ったとします。
用意されたものをじぶんの目で確かめて帰ることは、消費か創造か。
その場所を舞台に、新たな人のつながり、モノのつながりをつくって、次の展開をもたらすことは、消費か創造か。
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私は、おなじお金や時間をつかうなら、ただそれらを「消費」するのではなく、自分にとって「創造」となるほうを選んでいきたいのです。
身近な出来事があったため、今回は旅行を例として挙げてみました。
しかし、お金や時間の回し方、回され方によって、消費と創造どちらにも動くことは、ほかのことにもいえるんじゃないかと思います。
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たとえば、普段の買い物。
便利さを買って、チェーンのスーパーで材料を揃えること。
少し高くても、栄養面の考慮や地元農家の応援のために、地場産品のお店へ通うこと。
あなたにとって、これらはそれぞれ、消費と創造のどちらといえるだろう。
あるいは、学生のアルバイト。
生活費の足しにするため、タウ●ワークで応募した場所で淡々と働くこと。
あるいは、ZINEを置かせていただいたお礼に、少しでもお店の支えになったらと(時給等の条件にこだわらず)本の整理を手伝うこと。
あなたにとって、これらはそれぞれ、消費と創造のどちらといえるだろう。
あるいは、就職。
将来の結婚、家庭にむけて貯金するため、大学までの学びを生かせる、故郷から離れた大きな街で働きとおすこと。
あるいは、故郷で写真を撮って過ごすという夢を叶えるため、(労働条件や学歴の差にかかわらず)地元でのしごとにこだわること。
あなたにとって、これらはそれぞれ、消費と創造のどちらといえるだろう。
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「あなたにとって、」を繰り返したように、人により考え方はさまざま。
だからこそあらゆるものに、「消費と創造」を当てはめて考えてしまいます。
「消費と創造」のはなしは、いうなれば端的な100-0論です。だからこそ、じぶんの中で、消費する物事と、創造すべき物事との妥協点を適切につくる必要があります。
すべて創造に振ろうとしても、お金と時間がなくなって、本来の人生の主軸を見失ってしまっては本末転倒ですから。
しかし逆に、家や学校のもたらす風潮に言われるがままになって人生を歩むことは、私にとっては消費でしかありません。
結局じぶんのしたいことはなんなのか、そのために必要なことは何か。大学卒業後の選択肢をせまられる今だからこそ、それらを慎重に選んでいく必要があります。そして、誰もがこの必要に迫られるべきです。
一度きりの人生、たのしんで生きたいでしょ!
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正解のない話は、モヤモヤします。
正解がない、といえば、このまえ写真集をつくって、(私が勝手に)師匠と呼ぶ方へ見せに、新潟の某書店を訪ねました。
前のZINEよりぐっと良くなったね!と言われて嬉しかったものの、やはり改善点はあって。でもプロの方がつくる写真集にしても、100人中100人が好きなものって一体いくつあるんだって話で。
じぶんの主張をもちつつ、けれども主観が混じりすぎないよう、よりたくさんの人に分かってもらえるよう、客観性をも持つ必要がある。
ここにも目に見えない妥協点があります。この終わりなき(?)戦いがあるからこそ、本づくりは楽しいのかもしれません。
はー。たのしまなくては!
ではこの辺で
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