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「ひとり」をテーマに短編書いてみた

最近、知り合いが書いた小説?を読ませていただいた。
それに感化されてちょっと自分でも書きたいなと思ってしまったので書く。
その作品のテーマが「ひとり」だったのでそれに合わせようかなと。

以下、本編です。


『ひとり』

よくよく考えてみると
文章を書く、いや正確には打つなんだが
この作業は孤独だ。
自分の脳内にあるイメージを文章として出力するだけのこの作業。
他人が介入することはない。
故にこの作業は孤独なのだ。

私は孤独が嫌いではない。寧ろ、愛していると言ってもいい。
こういうと大概の人間に「友達いないんじゃないか」と言われるが。
いない、必要だとも思えない。
他人がいることで気を使わなければいけない、好き勝手動けない。
それが私は嫌なのだ。
縛られることが私を殺す。

人によっては
ひとりは嫌だとか、ひとりでもいいだとか、ひとりがいいだとか
ひとりという状況の捉え方はそれぞれだ。
これは自分を愛せてる度合いが関わっているのではないかと
私は考えている。

ひとりが嫌だと言っている人間は
自分を愛せない、いや愛し方を知らないのではないだろうか。
自信がなかったり、自分で決められなかったりで
他人に依存してしまうのだろう。
だが、私はそれが悪いとは思わない。
人間社会は集団行動。私のように好き勝手に動くやつより、
雰囲気や人の顔を見て状況を把握し、動ける人間の方が
人間社会にあっている。
そういう人間の方が社会では好かれているだろう。

ひとりでも大丈夫という人間は、
自分をちゃんと愛している人間じゃないだろうか。
一人でするか、仲間とやるかを自分で決められる、
それは自分の心に従っているということだ。
とても素晴らしいことではないか。
自分をもち、他人をみることができる。
リーダーができる人間とは、こういう人間のことなのだろう。

ひとりがいいという人間は
自分を愛しすぎてダメになった人間だ。自分のことだ、そう思う。
自分というものを過大評価しすぎているか、過小評価しすぎているか、
どちらにせよ自分に対して過保護になりすぎているのだろう。
自分を守ろうとするために自分から他人を切り離そうとする。
その結果、ひとりがいいという人間が出来上がる。
だが、自分の世界を持っている人間だ。
早めに創作や芸術などで生きる術を見つけたほうがいい。

ここまでいろいろ言ってきた、いや書いてきたが、
少しでも自分を愛せる人が増えるように、
ひとりを楽しむ方法を二つ書いておこうと思う。

一つは最初に書いてある文章を書くことだ。
自分の中の何か吐き出し、簡単に自分を知ることができる。
愛する始まりは知ることだと私は思う。

もう一つは文章を読むことだ。
ここまで読んできた君ならわかるだろう、
読むという行為はひとりを楽しむものだということを。
因みに、この時読む文章に自分のものを選ぶのはやめておいた方がいい。
私みたいなひとりを愛する人間になってしまうからだ。

以上が、私のひとりについての考えである。

君がこれを読んでいるということは、もう私はここにはいないだろう。
君がここまで読んでくれるとは思わなかった。

君は思うだろうな、
私がなぜこんな文章を書いたのか。


それは、



もう少しひとりになる時間が欲しかったからだ。
締め切りがあと2時間だということはわかっているが、まだ終わっていない。
もう少しでいいオチが浮かびそうなんだ、時間をくれないか。
お願いだ、あと2時間は探さないで欲しい。

編集の君が私の願いを聞いてくれることを切に願う。
最後まで読んでくれてありがとう。
そして、私の時間稼ぎに付き合ってくれてありがとう。

お読みいただきありがとうございました。

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