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その手から、きみ自身をはなすな。社会人1年目の私へ

 さて、何から話そうか。

 社会人一年目。それがいくつの時を指すのか未だに迷ってしまう。
 きみは就活もしていないし、それどころか大学も卒業することなく、卒業アルバムも友達も成人式もぜんぶ捨てて、身一つで『外』の世界へ飛び出したのだったね。

 それを「社会人一年目」と言うのかわからないけれど。
 実際は、とんでもなく未熟で、無謀で、そのわりに希望に燃えていたわけでもなかった。

 きみの社会人一年目は、新しい場所に踏み出したというより、それまでいた場所から立ち去ったというほうが近い。逃げたと言ってもいい。

 逃げたかった。ただただ閉塞感、抑圧、そしてしがらみと好奇の目で構成されたあの視線の網から逃げて、きみはきみに成りたかった。


 はじめて降り立った東京の土をおぼえているかな。
 それはとても硬い音を跳ね返しながら靴底をたたいて、こころもとないきみを怯えさせもしたし、鼓舞もしただろう。

 手垢のついたレッテルと謂れのない不躾な標榜は、とてもうるさかったはずなのに、きみはきゅうに何者でもなくなったんだ。

 怒鳴られながら厨房で働いて、いじめられながらやさしさにも触れて、ときには悪い男に付け込まれ、寂しさが顔に出てやしないか朝晩鏡をじっと見つめるようになった。
 メイクの仕方もわからなかったし、自分をどうカテゴライズして顔を作ればいいのかもわからない。
 やっぱり、何者でもないままだったきみ。

 日本だから言葉は通じる。けれど、言外のことまでは読み取れない。そういう訓練をしてきていなかったし、育った文化圏も微妙に違ったのだろう。
 目に見えない断絶が頑として横たわっているのを、感じ取ってしまうのはいつだってきみのがわの人間だけで、世界のほとんどはそうではない人たちのために動いている。


 何者にもなれないきみは、ただただ認めてもらいたくて、だからとても、とても打たれ弱かった。
 すぐに自分の価値を他人に明け渡して、いいようにされてしまうほどに弱かった。

 そしてどん底もやってきた。何度も。

 地元民じゃない、親もいない、保証人もいらないようなアパートに一人暮らして、やさしくされたと思えば、相手の期待する反応から外れた途端「裏切り者の恩知らず」とてのひらを返されて、
 そのたびに、「やっぱりまともな家の育ちじゃない子は」その言外の言葉はきみの背中に刺さり、じわじわと魂のようなものを削っていった。

 きみはかの故郷にいた頃より格段に自由だったが、やっぱり、閉じられていた。


 社会人一年目の「きみ」に偉そうなことを言えるようなものは、今も相変わらず何一つ持っていないのかもしれない。

 だから、言えることといえばこんな凡庸なことしかないんです。

 きみはきみの心が欲することを信じて、進みなさい。
 それがきみという人生の、新たな礎をつくってくれる。  
 歌でも、文章でも、おかねになってもならなくてもよくて、そこにこそ自分が居るのだ、在るのだ、と強く思えるものを、決してその手からはなすな。

 きみの心は思っている以上に深く長いこと傷ついて、それゆえに少々のことでは傷と感じることもなくなってしまったかもしれない。
 でもその感覚全部たたき起こして、世界がきみを照らすのを待つのではなく、きみが世界のどこでも好きなところを照らして歩くのだ。

 そうしてやがて、きみの「ガワ」じゃなく本当の姿を見ようとしてくれる人が現れる。
 決して多くはないけれど、ちゃんと助けてくれる、叱ってくれる人に何度も出会って、人より周回遅れだけど、きみはちゃんと、大人になる。

 大丈夫、きみは幸せに生きている。

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