今日も片手を、かたあしを
世界にひたして、触れさせておこう。
全身浸からなくてもいい。くったり疲れてエネルギーを搾り取られるまで身を置かなくても。
片手、片足でじゅうぶん。
浸り切ってないことと、それでもつながっていること、両方とも大切なことなんだろうと思う。
それから、昨日のよろこびを持ち越さないこと。
余韻に浸るのも、片手、片足、くらいでいい。
今日は今日のあたらしい風を感じるために、ちゃあんとひとりで、ちゃあんと新鮮なままで、とっておきたいね。
昨日は、というか今朝はつい没頭して5時頃まで作業をしてしまった。
作業というか動作確認ついでに歌もずっと歌っていたので、今日は心地よく怠い。
だけど、数ヶ月単位でペンディングしていた作業というかネックになっていた課題が解消されて、小さな大前進だ。
私は「思いついた時に進めないと進まない」人間だということがかここ一ヶ月ですっかりわかったので、そのフットワークが軽くなったな、という実感はある。
行動を始めるハードルをどこに置いてしまっているかは人それぞれ違うのでそれを知ることは大事だなと感じつつ、みんな、ほんと、子どものような心を大切にしたらいいって思う。
大人は成熟であると同時に、ほんと、大きな存在というか、世界とかまだ見ぬ他者のまえに「耳年増」になりがちだから。
それって未熟より無知よりざんねんなことだから。
目の前のきらきらしたものを、人が泥団子じゃん、と言おうが「きらきらしてる」と感じられるだけ感じ切っていいし、信号の「あお」が「みどり」にしか見えない自分を否定しなくていいし、振舞いは常識に照らす必要があっても感じ方までそうする必要はないし。
そのためにはきっと、シンプルに、「ひとを咎めないこと」が第一歩なんだと思う。
「片手と、かたあし」それ以外を自分の意志で浸からせずにおけるなら、咎めることも咎を受けることもなく繋がっていられるような気がした、一日のはじまりでした。
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