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文章の書き方は教えられない

 愚痴を書く。

 報道局からいまの部署に異動しておよそ2年半が経った。60歳になって正社員を“卒業”してシニア雇用になっても業務内容はほとんど変わらない。毎週発行している社内報(のようなもの)では、担当する部下が書いてくる文章を添削する。

 この文章がいつまでたってもひどい。

 自社のサイトで広報しているテキストの一部をコピペするのは、まあ仕方がない。しかし「です、ます」への変換を忘れている。助詞がすっぽり落ちている。人名の「朗」を「郎」に誤変換。日付の曜日が間違っている。

 上司に提出する前に読み返すこともしていないのか、それとも本当に気がつかないのか。つまり日本語に対する意識がメチャクチャに低いのだ。煙を吐き出しながら「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と怒鳴ることができたら、どんなにスッキリすることか。

 当然ながら文書のリズムや語彙も悲惨だ。小学生レベルの事実関係の基本もできないのだから、これを期待するのは無理筋なのか。少しでもマシな日本語にしようとウンウン唸って文章を書き直して送り返すと、5分で「ありがとうございました。修正しました」と戻してくる。その素早さでは「元の文章のどこが直されたのか」「どう書けば、より良い文章になるのか」を自らにフィードバックしているとは到底思えず、つまり「言われたことをやるだけ」だ。

 これはもう仕事への姿勢の問題だ。「お前は日本語に対する意識が低いし文章も下手なのだから、せめて俺が直した文章と比べてみて反省するようにしろ」とまでは言わない。「そういう姿勢でやるなら、こちらもそういうヒトなのだと見切るしなかい」と思っている。我ながら冷たいものだ。

 中学・高校の頃から「いい文章って何だろう」と意識してきた。

 「文章の“いい”“悪い”を見分ける力があるのなら、あとは“いい”を書くだけだろうに」と思っていた。しかしおとなになったいま、「悪い文章」はすぐにわかるが、「いい文章」は簡単に書けるものではないと知っている。

 文章のリズムと語彙などはちょっと“勉強”しただけで身につくものではない。ノウハウ本も役に立たない。ひたすら読み、ひたすら書くという「1000本ノック」だけが上達への道だ。この部下は子どもの頃からほとんど本を読まず日本語に接する機会が圧倒的に少ないまま大人になったに違いない。そんな人間に文章の書き方を「教える」ことなど、到底できっこないのである。
(23/12/23)

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