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小説のリアリティとは

ますます乱読が進む2021年

“読書家”というのは古今東西の古典や専門書に精通する専門家というイメージなので、私は自分を読書家と思っていない。趣味で読み散らかしているだけだ。

今年はいよいよこの乱読傾向に拍車がかかって、きのうまでの読了は286冊になっていた。数を追求しているわけではないが、とりあえず年間として人生最大になった。やはりエンタメ系小説が多い。

ボーッと生きている私でも、流石にこれだけ読んでいれば小説の好き嫌いがはっきり分かってくる。

とにかく“リアリティ”がないとダメ

昨夜読了したあるミステリーは、自分にはとにかくダメだった。テーマの概要は興味深くリーダビリティがある。提示された“謎”もラストにきっちり回収される。しかし、まず警察の捜査の甘さがありえないレベル。さらに人物造形はステレオタイプ、文章は軽い。総体としてすべてが薄っぺらいのである。このあたりはSNS「読書メーター」の感想でかなり辛辣に書いてしまった。

所詮は娯楽、しかも架空の“お話”である。しかし、それだからこそリアリティを追求してくれないとシラケてしまうのである。だから竜や妖精が飛び回るファンタジーは、とにかく苦手だ。

文体の噛みごたえ

いま読んでいるのが真藤順丈「ものがたりの賊」。これが抜群に面白い。

関東大震災直後、大正時代の日本が舞台。そこで竹取の翁、坊っちゃん、光源氏、伊豆の踊子、机龍之介(大菩薩峠)らが活躍するという「日本文学至高のアベンジャーズ」(帯の惹句より)。

本作をここまで楽しめるということと、「リアリティがないとダメ」という上記の傾向は私の中で矛盾していない。「なるほど、このキャラクターならばこんなことをやってしまうだろうな」と納得できるのだ。リアリティって、難しい。

なによりも本書は、日本近代文学の伝統を意識した噛みごたえのある文体がこの世界観にマッチしている。もちろん作者がそれを計算して素晴らしい効果をもたしている訳で、読書の悦びはこんなところにもあるのだ。

あくまでも趣味・嗜好の問題だから明確な優劣がつくものではない。それだけに侃々諤々、あーでもない、こーでもないと楽しませてもらっている。
(21/11/29)

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