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自分に嘘つくの、もうええわ

中学生の頃、私は飢えていた。
友情に。
自信に。
人生における幸せに。


あの頃の自分といえば、常に何かに嘘をついていた。

中学生女子というものは、同じ格好・同じ持ち物こそ友情の証かのように振る舞う習性がある。それに反すること、それすなわち反発分子として認定され、彼女たちのグループから脱退を余儀なくされる。

私は人付き合いが苦手で、やっとできた友人たちに見放されるのが何より怖かった。
『裂くように開けられるほうがおしゃれ』というリーダー女子の謎センスによって壊されたジャージのジッパー。
大して可愛くない絵のタッチのガチャピン靴下。
「こんなセンス悪りぃの身につけてられっかよ」と内心思いながら、それを手放した瞬間彼女たちに敵認定されるかもしれないという恐怖心が襲ってくる。
しかし、それを誰かに打ち明けて、小規模な援軍を組むことすらできない。周りにそんなことを言っている子は一人もおらず、嘆いても『そんな考え方持つほうがおかしい』と罵倒されるんじゃないかと怯えた。
だからただ、「おそろ〜い笑」とへらへら笑って身につけるだけ。本当に自己がないことばかりしていた。

本当は文章を書くのが好きで、小説家やエッセイスト、とにかく文章を書く仕事をする人になりたかった。でも、後ろ盾するような功績は何一つない自分がそんな夢を語る資格はないと思っていた。
交換日記をしていたあの子は「もちこの書く文章は面白い」って褒めてくれたけど、果たして信じていいのだろうか?
自分を信じられないやつは他人も信じられない。もし、それがお世辞だったらどうしよう。それを真に受けたと思われて、馬鹿にされたらどうしよう。
お得意のネガティブが脳内を駆け巡って、口をつぐみ続ける。
臆病者で、心配性で、そのくせ『人と違う自分』のこともちょっと好きで、とにかく生きるのが下手くそ。


そんなときに救ってくれたのがお笑いだった。
どんなコンプレックスも、どんな逆境も笑いに変える彼らに、私は何度も笑顔をもらった。その度に心がぽかぽかと温まり、『ああ、今自分は嘘偽りなく楽しめているんだ』と感じられた。

それまで、『何が好きか』より『何が嫌いか』を数えたほうが早かった自分が、お笑いの影響で「これが好き!」と思えるものが増えていった。
お笑いを知れば知るほど、好きな芸人さんやネタが自然と増えていく。テレビを見て、劇場配信を見て、ライブを見て、どんどん好きな人たちが増えていく。
ネタが始まる前に流れる出囃子の影響で、音楽を好きになった。それまでみんなが歌うような何かのタイアップ曲と、父がいつも部屋で流していた中島みゆきしか知らなかった私は、B’zとポルノグラフィティに心を奪われた。初めて買ったCDも、B'zのベストアルバムだったと記憶している。
好きな芸人さんたちが『面白い』と言っていた本や漫画、その他彼らが好きだと言ったものたちを知ることで、いろんなことに興味を持つようになった。ギャンブルに若干の好奇心を覚えたのも、彼らのおかげである。

『好きなもの』が増えるたび、自分が形成されていく。
誰かの言いなりにならない、自分のためだけの自分になれた気がして、果てにはそれが自信になった。

自分の好きなものを迷わず好きと言える。
何かを『好き』と感じられる心がある。
それに気がついてからは、『好き』を感じるたび、心が満たされていた。
ああ、自分が空っぽだったから、きっと今まで周りの全てに畏怖していたのだろう。ちょっと押されたら倒れてしまいそうな私はもういない。好きなものがたっぷり詰まった満タンの心が軸となり、私をふらつかせないよう支えてくれている。
きっと、この満たされた気持ちが『ゆたか』ということなのだ。

それから10年たった今、いろんな縁が交わって、私は文筆活動をしながらお笑いに携わっている。
ライブのスタッフ、イベントのスタッフ、その仕事の端々でゆたかな気持ちになれる。私はあの時救ってくれたお笑いに貢献できているんだ。

お金じゃない。地位でもない。
あったほうがいいかもしれないが、仮にそんなものがなくてもきっと私は幸せなままだろう。
好きな物事に囲まれて、いつでも心が満ちているのだから。

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