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俺の努力 ”だけ” 褒めてくれ

自己肯定感がないとどうなるか。
人様にそんなことわかってたまるか、と卑屈に命を吹き込まれた存在である私は思う。

社会で生きていれば、他人から褒められることがある。私はあの瞬間が一番苦手だ。
こんな言い方をしたらたいそう誤解を生みそうなので注釈を入れると、褒められることが嫌いなわけではない。むしろ嬉しくてたまらない。
褒め言葉とはそれはそれは威力絶大で、何日も何週間も、場合によっては一生その言葉に喜ばされる。一種の延命装置なのでは?と思うほどだ。焼きたてのパンやアニマル動画、ふかふかのお布団と並ぶほど、トップクラスの多幸感があるとすら、私は思っている。

では何が苦手なのか?
喜んでいるくせに!
人目を惹くための誇大表現か!
この大ホラ吹きが!
そう思われてしまうかもしれないが、苦手なのは事実だ。厳密に言うと、「褒め言葉に言葉を返す」のが苦手なのだ。

例えばヘアサロン。
私は地毛が直毛で、それに加えてこれまで染髪やパーマを施したことがない。そのためか、特にケアをしていないが髪質が良いらしい。
そのため、美容師さんに「髪の毛サラサラでいいですね」と褒めてもらえることがたまにある。私はその度、サロンの窓ガラスを割って逃げ出したくなる。

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例えば友人たちとカフェで談笑中。
生まれつき色白の家系に生まれ、日焼けしづらい体質と己のインドアが祟って私の肌は白い。怠惰な生活によって睡眠時間もめちゃくちゃ取るせいか、肌荒れもそこまでひどくないらしい。
そのため、「肌綺麗だね」と褒めてもらえることがたまにある。私はその度にやはり、店の窓ガラスをX割り逃げ出したくなる。

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自身が努力を自負できる分野ならこんな悩みは浮かばない。
例えば、こうやって云々唸りながら書いた文章。少しでも面白がってもらえるように書いているつもりである。それを「面白いね」と褒めてもらえたら、素直に「ありがとうございます!頑張った甲斐があります!」と笑って言える。むしろ泣いて喜ぶし、一生忘れないくらいには感謝し続けるだろう。
しかし髪には何もしていない。肌にも。努力してないそれらを褒められて、どうしろってんだ。

相手に悪意はない。そうわかっている場合、返事をしない方が悪だ。
かと言って、「本当ですか?本当に言ってますか?」と返すのは良くない。さすがに相手の好意を疑うのは非人道的だし、もし相手が聖人だったら具体例を交えて褒め言葉を加速させるだろう。後者はもうどうにもできない。返す言葉が思いつかずに会話の応酬が叶わないまま、怒涛の褒め言葉の波で溺死させられるだろう。……なかなか良い死因だな。

かと言って、言葉をそのまま受け取るのも危険だと思う。なぜなら、世の中には『社交辞令』という大地雷があるためだ。
もし、褒め言葉が実はお世辞だったら?それを鵜呑みにしてキャッキャと喜んだら、「こいつチョロいわ〜笑」「褒めときゃ無理な要望も通してくれるだろ笑」とか思われるかもしれない。友人にそんなクソ人間はいてほしくないが、金の無心とか、怪しい浄水器の営業とか、全員が得するシステムへの勧誘だとか、私を見る目がいつ『優秀なカモ』になるかわからない。

相手の褒め言葉を疑わず、しかし決して真に受けたような態度をしすぎず。
このちょうどラインをいく返しとして、私がたどり着いた最適解は『上手いこと言う』だった。

髪質を褒められれば

「今まで貧乏で染めなかったからですよ〜そのおかげですね!笑」

と返し、

肌を褒められれば

「暇さえあれば寝てるんで〜そのお陰ですわ!笑」

と返す。もちろん、「ありがとうございます」を頭につけて。

正直、これを名案だとは思えない。
実際、『褒められた時の上手い返し方とは?』みたいなノウハウを紹介している記事でも、「素直に感謝の言葉を返す」ことが良しとされ、「返事で大喜利をする」ことは推奨されていない。
そしてこれがバカウケしたこともない。ただ、「またまた〜笑」と笑われて私への褒めターンが終わるだけだ。私はターンを奪取して相手を全力で褒め、そこからはずっと自分のターンを死守するよう努力も欠かせない。親しい友人とか、本当に尊敬する人ならスラスラ褒め言葉が出てくるだろう。しかし、初めて会った美容師さんとか、まだ関係の浅い仕事相手とか、褒め言葉をひねり出すのにカロリーを使う場面もあるのも事実である。

「普通に受け止めればいいのに」と言える人々にわかってたまるものか。
自己肯定感が低いと自分への賛辞どころか、その賛辞を贈ってくれる人すらにわかに信じられないというネガティブさを、『褒められるのが普通』だと何も疑わずに生きていた幸せな人たちに理解できるものか。
私があなたたちの素直さが信じられないくらいなんだ、わからなくても無理ないはずだ。

私はこの性格を脱することは一生できないと思う。明るくなれば世の中に不満など消え、こんなにも文章で表現したい欲求も消え失せるだろう。私が、私でなくなる。
だから私は自分のままであるために、また褒め言葉に冗談を返し、ややウケで会話を終わらせるのである。

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