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美術史第18章『ゴシック美術-後編-』


モンゴル軍がドイツ・ポーランド連合軍に大勝した
ワールシュタットの戦い
装飾写本に描かれた十字軍を滅ぼした将軍サラディン


  その後の13世紀、ヨーロッパではフランス西部を支配する貴族でありながらイングラド王でもあるプランタジネット家とフランス王家の争いが開始、イベリア半島でのイスラム諸国への侵略、レコンキスタがキリスト教諸国の勝利で終結、ヴェネツィア率いる第4回十字軍でビザンツが一時的に滅ぼされるが数十年後、ヴェネツィアの強力などで復活、中東の十字軍の国々が全てイスラムに滅ぼされる、東洋からはモンゴル帝国が拡大し東ヨーロッパに到達するなどの事が発生した。

S字に曲がった姿勢・優れた衣服描写などレベルの高い彫刻
 この時代よく作られたガーゴイル
死んだキリストをマリアが抱き上げるピエタと呼ばれるジャンルの彫刻

 ゴシック美術は、人像円柱は扉口にくっ付いた彫刻から独立した丸彫の彫刻に変化、S字型に捻った姿勢や、柔らかい表情、綺麗な衣装などかつての古代ギリシアの彫刻のレベルの表現技法が生まれ、14世紀初頭からドイツで作製された死んだキリストを抱く聖母マリアを描いたピエタのような悲惨な場面を描写した彫刻作品も生まれ、表現できる幅が大きく広がっていった。

テーマの絵が描かれたステンドグラス

ジャン・ピュセルの作品の一部
パリ写本派の作品の一部

 また、色彩美術ではステンドグラスで主題を表現する事が行われ、多くの作品が誕生、絵画では個人向けの聖書や詩集の制作がフランスやイングランドで活発化したことにより、それに挿入する絵を描く写本画家がパリを中心に活躍、ジャン・ピュセルによりフランスの優雅な表現とイタリアの空間表現が融合したパリ写本派が誕生し、後の写本の基盤となった。


ビザンティン美術からの脱却を行ったカヴァリーニの最後の晩餐の絵
フィレンツェで活躍した巨匠チマブーエの『荘厳の聖母』
チマブーエの弟子で世界史的にも重要なジョットの『オンニサンティの聖母』

個人的に好きなジョットの『ユダの接吻』
ジョットが建築したサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の『ジョットの鐘楼』
シエナ派の代表格マルティーニの『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』

 また、イタリアではギリシア方面のビザンティン美術の影響が強く、13世紀になってもゴシック美術は浸透していなかったようだが、ピエトロ・カヴァリーニなどの画家がビザンティン美術からの脱却を行った事により、それに影響されたチマブーエ、ジョット・ディ・ボンドーネ、シモーネ・マルティーニらが段階的にゴシック美術を受容、イタリアではプロト・ルネサンス時代が開始し、後の時代のルネサンス美術の基礎が傷かれていくこととなった。

モンゴルの広大すぎる領土、これにより疫病が広まった
ペストによって人々が倒れた町の絵
バルカン半島に勢力を広げたオスマン皇帝ムラト1世
百年戦争の様子

 14世紀に入ると、世界では小氷期が到来に農作物が減少、さらにモンゴルがユーラシアの東西を結んだ事により黒死病(ペスト)が大流行し人口も減少、さらに経済が大きくなりすぎて国際通貨の銀が足りなくなりユーラシアでの経済活動が低迷、ヨーロッパではさらにモンゴルの属国ルーム・セルジューク朝から独立したイスラム国オスマン帝国が、モンゴルが中国から伝えた火薬技術を持って東ヨーロッパで拡大を開始、フランス王とローマ教皇が対立しフランスが教皇をフランスに移すアヴィニョン捕囚が発生するなどし、その他、イングランドとフランスは百年戦争を行いカスティーリャなども巻き込むなど、疫病と戦乱が同時発生した。

ノートルダム大聖堂の内部

 そのため、大規模な建設事業などがあまりできなくなり、代わりに王侯貴族の邸宅建設や都市の公共施設の建設など世俗的な建築が多く行われ、14世紀後期には「ノートルダム大聖堂」のような骨組みの構造が複雑化し入り組んだ肋骨構造や曲線を絡み合わせたような装飾的な狭間が作られるようになった。

国際ゴシック様式の代表格のイタリアの画家ピサネロの『公女の肖像』

 また、今までの西ヨーロッパの美術においてオマケ程度の役割だった絵画がこの時期から美術の中心になり始め、西ヨーロッパ各地の宮廷で正確に細部を描写した豪華な「国際ゴシック様式」と呼ばれる様式が誕生し、ピサネロなどの画家が北イタリア、フランス、ブルゴーニュなどを中心に活躍した。

メルキオール・ブルーデルラムの作品
ジャン・マルエルの作品
アンリ・ベルショーズの作品
ランブール兄弟『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の一部


 メルキオール・ブルーデルラムやジャン・マルエル、アンリ・ベルショーズらブルゴーニュの国際ゴシック様式の画家は初期フランドル派というルネサンス美術の形式を形作っていった。また、同時期のブルゴーニュでは写実的な自然描写と精密な装飾を行う写本芸術家ランブール兄弟(リンブルク兄弟)が活躍し、写本芸術の最高峰とされる「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」などを作成しており、これも後の写本に影響を与えることとなる。

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