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「美しすぎる◯◯」っていう表現は何か気持ち悪いわね

よく特集を組む女性に対して「美しすぎる◯◯」といったレッテルを張るテレビ番組を見るが、個人的にはこの表現が好きではない。そう感じている理由は2つある。

まず1つ目は、「番組制作サイドが美人かどうかを勝手に決めて、視聴者に押し付けている」ということだ。美的センスについては人それぞれ違っており、明確な基準などない。あたかも番組制作サイドの価値感=視聴者の価値感であるかのような、あるいはその方へ誘導しているような表現には疑問を感じる。

2つ目は、「美しすぎる◯◯」という言葉の裏を返せば分かりやすい。それまで番組制作サイドが勝手にそう思い込んでいたのか、興味が無くて何も知らなかったのかは分からないが、「その世界において活躍している女性はいないと思っていた。もちろん美しい女性も含めてね。視聴者の皆々様も私達と同じように思ってたでしょ?」と暗に言っているように感じられるからだ。

筆者の意見としては、「美しい」というのならまだ度合いを薄めた表現として理解はできるものの、「美しすぎる」という言葉遣いは番組制作サイドの美的センスの押し付け(共感の強要)を感じるので何か気持ち悪い、となる。番組制作サイドには是非、この「美しい」と「美しすぎる」という2語の境界がどこにあるのか教えて欲しいな、と思った今日この頃なのだ。

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