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午前四時の玄関は決して見てはならない

小さい頃に不整脈があって、その後遺症なのか自分の運動能力は常人の6割程度しかありません。たぶんそれが尾を引いて、学生の頃にガリ勉にシフトした原因になりました(が要領が悪かったので、成績には余り結びつかなかったです)。今は体力がこれ以上落ちないように軽く1時間半のランニングをしていますが、やはり心肺には相当負担がかかっているように感じます。まぁ、私の死生観に書いたように「毎日いつ死んでもいいわ」っていうスタンスで生きてますので、たとえランニング途中で死んだとしても自分としては全然問題ないです。それくらいに死を近しいものとして受け入れていますから。

事が起こったのは、とある冬の日の午前四時――。目が覚めて、寝床から起き上がりました。13段ある薄暗い階段を下りて1階のトイレに行きます。階段を降り切ったところは(写真のように)玄関になっていて、磨りガラスに縦格子を組合わせたドアからは、道路を隔てた電柱のライトが弱く差し込んでいます。

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用を足した後に戻ろうと廊下を歩いていると、突然インターホンが鳴りました。「こんな夜中に何鳴らしとんねん」と声にならない声で呟き、テレビモニターをおそるおそるチェックしてみました。……誰もいません。「夕方四時のノリでピンポンダッシュすんな」と気色悪さは感じましたが、このことは忘れてさっさと寝たいっていう眠気の方が勝りました。

ところが、玄関の方に向かうと何とも言えない違和感があります。明らかにさっきより光量が減っているのです。そろりそろりと玄関の方へ行って確認すると、磨りガラスの右端に身長160cmくらいの小柄なおっさんが顔をへばりつかせて家の中をうかがっていたんです。

瞬間、怖すぎてリアルに心臓が跳ねあがり、これ以上ないほどの激しい動悸に襲われました。少し前に村上春樹が多用している現実にはあり得ない意味不明な比喩表現を読んだら動悸がしたと綴ったんですけれども、これはその比ではなく、一冊分の比喩表現をまとめて一気に味わったような、禍々しい何かを感じました。

過呼吸状態となり、思考がしばらく停止した後「とにかく見つからないように寝に行こう」と現実逃避と呼ぶべき判断を下して、床をゆっくりと這いつくばいながら階段を上ってそのまますぐに寝ました。

幸いにも、それ以来おっさんが現れることはありませんでした。今となっては、現実に起こったことかどうかの記憶が曖昧になってきていますけれど、夜中に用を足そうと階段を下りる時にはその時の恐怖が残照のように甦ってきます。このように、真夜中のピンポンってのは想像よりも遥かに非日常的な恐怖を人に与えるものだと(自分の中では)確信しているわけです。少なからずうちの場合は、午前四時の玄関は決して見てはならないのです……。

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