「山月記」を読む① 臆病な自尊心と尊大な羞恥心について
▢ はじめに
1942年(昭17)の『文學界』2月号には「山月記」「文字禍」が『古譚』と題して掲載されている。これが中島敦の文壇デビューであったが、目次から分かるように、このときの『文學界』は中島敦のデビュー誌としてはいささかそぐわない面を持っている。
「古譚」の右側をみてほしい。「愛國詩特輯」という戦争プロバガンダそのもののような表題のもとに、三好達治、草野心平、竹中郁、尾崎喜八といった錚々たる詩人の作品が並んでいる。このことは、『文學界』も全体主義の中に組み込まれていたことを明確に示している。前年の12月、帝国日本は真珠湾を攻撃し、いわゆる「大東亜戦争」に突入した。この号が発刊されていた時期は、日本中が真珠湾攻撃の戦果に酔いしれ、勝利への揺るぎない信仰に近い信念を持っていた明るく能天気な頃である。
上記の文は、同じ年の『文學界』1月号の河上徹太郎の「光栄ある日」の一節である。手元に文献がないので小関素明先生の論文「天皇制と『大東亜戦争』関与の精神構造」 から孫引きさせていただいたものである。この部分を読むだけで、当時の高揚感と文学の進もうとしている方向がよく分かる。「大東亜戦争」によって、国民は待望の臣民としてのアイデンティティーを持つことできるようになった。文学もその国民の精神と一体化し、真の国民文学を創出しなければならないと河上は力説しているが、彼のこの主張はこの時代の多くの作家の気分と思いの代弁でもある。
※小関素明先生の「天皇制と『大東亜戦争』関与の精神構造」には、高村
光太郎、三好達治、長与善郎、坂口安吾、太宰治、火野葦平、武者小路
実篤、中野好夫ら著名な文学者もまた、河上とほとんど同じだったこと
が具体的に示されている。検索すればPDFで閲覧できるので、ぜひ読
んでほしい。
ファシズムに対する免疫がほとんどなく、国民のほとんどが臣民化している時代であったことを考えれば、現代のわれわれがこの理性放棄の痴呆状態を安易に批判することはもちろんできない。ここでぼくが指摘しておきたかったのは、この時代の戦争のもたらす陶酔も熱狂も、この号に掲載された中島の2作品、すなわち、「山月記」と「文字禍」には皆無だという事実だ。中島本人の思いがどうであったかは分からないが、結果として純文学の砦をひとりで守っているようにぼくには見えるのである。
中島敦はこの年の12月に33歳の若さで亡くなった。彼の創作期間は10年ほどであるが、「山月記」をはじめ「文字禍」「光と風と夢」「名人伝」「弟子」「李陵」などの名作は最後の2年間に書かれたものである。これらの作品のどれにも戦時バイアスが認められないのはある意味奇跡である。同時代の多くの作家や詩人が時代の波に飲み込まれていった中で、なぜ彼は文学者としての純粋さを保つことができたのか。これも確かな根拠があるわけではないが、彼の残りの人生の短さに対する予感が関係しているようにぼくには思えてならない。
▢教科書による「山月記」体験
「山月記」は戦後いちはやく高校の教科書に採用された(『三省堂』『二葉』1951年)。以来、現在に至るまで教科書に掲載され続けている。「羅生門」の教科書掲載は6年後の1957年である。このことから判断すると、「山月記」は日本の高校生に一番多く読まれている文学作品なのかもしれない。
ぼくもまた教科書で「山月記」を体験した。そのときの記憶は今も鮮明に残っている。ページを開いた瞬間、みっしりと敷き詰められた難解な漢字にドン引きしたが、虎になった李徴の告白場面に入ったとたん、作品世界に引き込まれた。そして「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」というフレーズが、思春期の心にダイレクトに響き、自分のうぬぼれを自覚させられた。もちろん、これはこの作品を読んだ多くの高校生にも言えることだろう。この対句は、その影響力とカッコよさにおいて、日本近代文学史上屈指の名フレーズだと思う。「山月記」をこれから読み解いていくが、まずこのフレーズから考察していこう。
▢ 李徴はなぜ、詩人になれず、虎になったのか
「虎」となった李徴が、かつての友で、今は監察御史になっている袁傪に自分の境涯を総括した件である。自嘲的に吐かれるこのフレーズが重要なのは、彼がなぜ「詩人になれず、虎になったのか」という問いが発生するからである。もちろん、この問いを解くことが、この作品の本質を理解することにつながる。では、その答えとは何か。
李徴自身の出した答えは、自分の詩の才能が世の中に認められない「憤悶と慙恚」によって、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が肥大し、制御不能となった、というものだった。
この後、彼は「専一に」自分の才能を磨けば「堂々たる詩家」になり得たはずだと述懐している。このことから、「専一に」努力していれば李徴は虎にならずにすんだと考える人が多い。だが、ことはそう単純ではない。なぜなら、「臆病な自尊心」が一番懼れるのは、「専一に」努力したにもかかわらず成功しないことによって自分の才能のなさが証明されることであるからだ。つまり、根っこの「臆病な自尊心」という「性情」を克服しない限り、李徴は「専一に」努力することはできないのである。したがって、彼の「性情」が制御できる代物であったかどうかが問われることになる。
▢臆病な自尊心と尊大な羞恥心の構造
これと関連して注目すべきは、李徴の性情を表すものとして「臆病な自尊心」とならんで「尊大な羞恥心」という語句が用いられていることである。この類似対句は、しばしば強調のためのレトリックとして説明される。だが、その指摘のみで済ますのは不十分である。この対句が単なる同義反復ではないことは、要素に分けて考えるとよくわかる。
Aー自分は誰にも負けない才能がある(自尊心)
Bー自分に才能がなかったらどうしよう(臆病さ)
Cー自分の才能のなさが人前にさらされたら恥ずかしい(羞恥心)
Dー自分の弱さを誰にも知られたくない(尊大さ)
この関係を図示する次のようになる。
〈自尊心〉と〈臆病さ〉という相反する心理的要素の葛藤が〈羞恥心〉を引き起こし、それを隠蔽するために〈尊大〉という仮面を必要とするのである。CはAとBを包含する対人意識であり、DはCのカムフラージュとして現れる。これが李徴の「性情」の構造とメカニズムである。
この「性情」のせいで、李徴は専一に自己の才能を磨くこともできず、他の人たちからアドバイスやサポートを受けることもできなかった。その結果、彼は世間から詩人として認められない。そしてこのことが、ブーメランのように彼に返ってきて、彼の〈性情〉を増幅させるのである。
世間から詩人として認められないという「憤悶と慙恚」が、一方では、自分の才能が不十分なのではないかという不安を増大させ、他方では、自分の才能が認められないはずはないという自負を膨張させる。「臆病さ」と「自尊心」は、一方が強くなれば、もう一方もそれに負けまいと強くなる関係にある。こうして自分を肥大させた「臆病な自尊心」は、統御不能になる。
▢ 李徴の悲劇性
このように見てくると、「臆病」と「自尊心」は、互いにネガティブなエネルギーを供給し合うという不幸な関係にある。これは、「尊大さ」と「羞恥心」についても同様である。要するに、李徴の破滅は彼の「性情」のアンビバレントな構造の力学によるものなのである。
辛辣に聞こえるかもしれないが、李徴は「専一に」己の才能を磨くことなどできない男として生まれ、「詩人に成りそこなつて虎になる」ことが運命づけられているのである。現代風に言えば、そのような性情のシステムが組み込まれ、破滅するようにプログラムされている、ということになる。いくら反省しても、泣きわめいても、どうにもならないのである。
ここまで、「臆病な自尊心」と「傲慢な羞恥心」について見てきたが、そこから導き出される結論は、李徴は悲劇的な人生を送るように運命づけられていたということだ。そして、この「悲劇性」こそが「山月記」という作品の本質なのである。
▢ 次回の予告
統御不能になった「性情」は李徴の人間性を破砕し、他を寄せ付けない「尊大」な虎に彼を変えてしまう。しかし、「性情」が「虎」となって自己実現を果たしたとき、皮肉にも、李徴は自分の「性情」から解放され、自らを客観視できるようになる。それは、「虎」になることによって「人間」が覚醒するからである。そして、このアイロニーこそが、より本質的な第二の悲劇を生み出すのである。次回は、アリストテレスの『詩学』を参照しながら、この問題を探ってみたい。
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