山頭火に遊ぶ-あざみあざやかなあさのあめあがり
▢ あざみあざやかなあさのあめあがり
読むより先に目に飛び込んでくる句だった。あざみ、あざやか、あさ、あめあがり。あざやかな「あ」のつらなり。事象はあざみにとどまる雨のしずくが朝の光に煌めいているのだが、ぼくには「あ」が煌めいていた。この句にまさる「あ」にであったことはない。あざみが「あ」に煌めいている。そん感じだったのである。
ざっと見ただけだが、山頭火の句にこのような句韻法はでてこない。もうひとつのこの句の特異性は、「あざみ」がこの句以外見当たらない、ということだ。あざみの季語は「晩春」であるがいくつかの種類にリレーされつつ夏、秋も咲く。したがって「夏あざみ」「秋あざみ」という言い方もでてくる。
この「あざみ」を旅人である山頭火は幾たびも目にしたはずである。にもかわらず詠んでいない。不思議なことである。
こういう二つの特異性を持つ句ではあるが、みたまま、いや、みえたまんまを即物的に詠んでいるという点では山頭火らしい句でもある。案外、詠んだあとに、おや、「あ」が、と本人びっくりだったかもしれない。
ちなみにこの「あざみ」、時期はいつか。前後の句を並べてみる。
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あざみあざやかなあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
若葉のしづくで笠のしづくで
「きんぽうげ」の季語は晩春。「若葉」は初夏。春と夏の境目の野あざみがうつくしく煌めいていたんだと思う。たぶん飲んではいなかっとは思うが・・・。
▢ 山頭火で遊ぶ
ちょっと遊んでみた。
いちじくをいじっていじけをり
うえていただくうどんのうれしき
えんにちでえらんだえほんに似るえくぼ
おおらかなおならにおおわらいのおおさかのおばん
あ、いま分かった。なるほど頭韻連鎖が山頭火の句にないわけだ。これだと実景実感が脱落してしまう。
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