見出し画像

現在トーハクに展示中の国宝《松林図屏風》について、あれやこれやと書き散らかしてみました

正月も5日となって、昨日または今日から仕事がスタートした人も多いでしょうね。わたしも今日から仕事を始めたのですが……「仕事が終わったら、閉館間際のトーハクへ行って、松林図屏風をじっくりと見てみよう」と思っていました。なのですが……家で仕事をしていると、息子が「頭が痛い……ガンガンする」と言いながら、子供クラブから帰ってきました。家を出た昼過ぎまでは、あんなに元気だったのに……。ということで、トーハクへ連れていくこともできず、家においていくこともできず……トーハクは諦めました。

まぁ昨日少し寄って、松林図屏風はチラリと見てきました。

長谷川等伯《松林図屏風》

すみません、上の写真は昨年の正月4日の閉館間際に見た《松林図屏風》です。誰もいないなか……「閉館で〜す」と言いながら近づいてくる警備員さんの声を聞きながら見たものです。

長谷川等伯《松林図屏風》
長谷川等伯《松林図屏風》

すばらしいなぁ……とは、実は心の底からは思えないんですよね……。ただし、国宝にも指定されているうえに、毎年の正月始めの2週間は、必ずトーハク本館2階の国宝室に展示されている作品です。国宝や重要文化財には、文化財として価値が認められているものも多いと思いますが、こちらは文化財的な価値と同時に芸術性が認められての受賞……ではなく国宝指定だと思うんです。そんな日本を代表するほどの作品ですから、感動するほどすばらしい作品なのは間違いないはずなんですよね。いやもう、日本人のわたしとしては、見ているだけで涙がポロポロと落ちてくるくらいに感動したいんです。それでわたしも毎年、できるだけじっくりと見るようにしています。でもまだ分かりません。

ちなみに今年の昨日の正月4日の国宝室は、こんな感じでした。時間は13時過ぎくらいだったので、最も混んでいる時間帯だったかもしれません。

ということで昨日は、この人混みのなかをズズズゥ〜ッと掻き分け掻き分け展示ケースの前に進んで行って、実物を見てきたのですが……どうも人混みがものすごく苦手なので、落ち着いて作品を見られる心情ではありませんでした。

そこで1階へ移動して……《松林図屏風》のレプリカを、じっくりと見てきました。まぁこちらも毎年数回は展示されているので、けっこうな回数を見ています。でも上の階に本物が展示されている時に見ると、こちらも心構えが普段とは異なります。「なにか気がついたことがあったら、本物を見に行って、改めて気がついたところを見直してみよう」と思うからです。

長谷川等伯《松林図屏風(右隻)》複製

本当かどうか分かりませんが、YouTubeチャンネル『大人の教養講座』の誰かの西洋画を紹介している回で、「《松林図屏風》の複製には2000万円をかけている」と言っていました……単色というか階調で描かれている水墨画は、コストをかければかなり高い完成度で複製が作れる例として、この《松林図屏風》に触れていた記憶があります(裏取りはしていないし、あくまで記憶なだけなので、どこまで正確かは分かりません)。

わたしがiPhoneで撮った上の写真だと、なんだか安っぽいレプリカのように見えますが……実際にはもっと高級感というか品格があるように感じられます。《松林図屏風》を鑑賞するのには、少し天井照明が明るすぎるような気がしますが、その分、国宝室の本物よりもくっきりと見られます。もちろんガラスケースもないので、変な光の反射もありません。また展示台の下から何灯かの光がほわぁ〜っと照らしているので……少し陰影がついていて、「国宝室よりも、こっちの方が、制作当時の状況に近いのでは?」なんていう負け惜しみもしやすいです。

■離れて見ると「ふわっと繊細」、近づくと「がさっと大胆」

無理せずに1双全体が見られるほど、離れられるだけの部屋の広さはないのですが、片方の一隻ずつを見るくらいに離れて見てみます。すると、いつものように、もやぁ〜っというか、ぼけぇ〜っとした印象の松林です。風で揺られている様子が、「いや、そんなに風で倒れないだろ」というくらい大げさな感じで何本かの松の木が描かれていますが、そんなことは気が付かないくらい、自然に風が表現されているようにも感じられます。

そんな強い風が吹いているはずなのに、わたしには、あまり風の音は聴こえてきません。リゾートホテルのラウンジの、大きく広いガラス窓から、少し吹雪始めそうな外に広がる松林を眺めている……という雰囲気です。

そんなホテルのラウンジから外へ踏み出して、松の一本一本に近づいてみると……じょじょに風のゴゥゴゥという音や、幹が揺れてミシミシいう音、葉と葉がこすれあってカサカサという音が聴こえてきそうです。それは、長谷川等伯さんの筆致が……離れて見たときの印象とは異なり、意外にも荒々しいからだと思います。

サッサッサッと描いたから……というよりも、ザッザッザッ! と濁音とびっくりマーク(エクスクラメーションマーク)を入れた方がぴったりな筆致です。

その筆致からは、勢いよく描いた長谷川等伯さんの“活力”を感じる……というよりも、なぜか、やさぐれた雰囲気……「ちくしょう! ちくしょう!」と言いながら松の葉を描いたんじゃなないかな……なんていう風に思うのは、わたしが今、そういう気持ちだからなのかもしれません(←いや……特段、いつもよりも やさぐれているわけではありませんけどね)。

そう思うのは、おそらくわたしが「《松林図屏風》を描いたのは、等伯さんが息子さん、長谷川久蔵さんを亡くしたばかりだったかもしれない」と思っているから……ということが大きいと思います。そう考えると、知らなくても良い、余計な知識のような気もします。

幹の根っこの方とか、逆にてっぺんの方を見ると……「そんなに上手いか?」とさえ思ってしまいます。素人が何を言ってやがると言われるでしょうけど、どうしたって写実性至上主義で凝り固まってしまっているわたしには、「松の木というか樹木の先っぽって、こんなんじゃないよな」って思ってしまうんです。

左隻に目を移していくと、その右上には真っ白な山肌の柔らかい稜線の山が描かれています。まるで靄の中に、その一座だけが薄っすらと浮かんでいるようです。技法としては……いや分かりませんが……この山が、目立たないにも関わらず、描かれていることで……鑑賞者の目に見えるわけではないけれど、山があると感じることで、この絵の景色がだだっ広く感じる効果があるのかもしれません。この山一つだけで、ぐぐぅ〜っと絵に奥行きを出している……なんてことはありますかね。

よく「余白の使い方が上手」などと評される《松林図屏風》ですが……「余白ではなく、靄(もや)を描いているんだよ」……等伯さんからは、そう言われそうですし、わたしたちも、その色付けしていない「白」の部分が「靄」なんだと認識しているとしたら……それは“余”白ではないんですけどね。

そういえば、長谷川等伯さんは能登のとの出身でした。能登の七尾です。まだ長谷川等伯さんを知らなかった十数年前に、一度だけ出張で行ったことがあります。今は大変な時期ですが、また落ち着いたら行きたいなと思います。やはり1月2月の寒い時季か、まだ山並みに残雪が残る春頃に行きたいなぁと思うのでした。

トーハク本館2室(国宝室)での《松林図屏風》の、今年2024年の展示は、1月14日までです。その良さがよく分からないと言っているわたしが言うのもなんですが、ぜひ見て欲しい作品です。それで、noeなのかXなのかで、どう感じたのかを発信してもらいたいなと。色んな方がどう感じたのか……それぞれの印象を聞いて周りたいんですよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?