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如来の頭部・髪型コレクション…如来の頭はいつから螺髪なのか? @トーハク

週末に東京国立博物館(トーハク)へ行った時のはなしです。混雑している本館を避けて、久しぶりに東洋館をじっくりと巡ってみようと思い立ちました。

それでなぜだか忘れたのですが気になったことがありました……如来像の頭って、いつからパンチパーマみたいな髪型になったんだろう? ってことでした。インドで釈迦が仏法を説き始めたときからなのか、それとも仏教が中国などへ渡った時なのか……がね、ふと気になったんです。

如来に限らず、仏様たちの頭って、それぞれのアイデンティティというか、階級を示す大切なポイントなんだと思うんです。仏様の中で最も位が高い如来については、外見上の優れた32の特徴があるそうです……三十二相というそうなのですが、この三十二相は、どこかに文章で書かれていたんでしょうね……「如来さんのお姿は、こんな感じですよ」というように。その文章を元に、後年の人たちが仏像などが描いたり作ったりした……だからはじめは仏師や地域や宗派によって、異なる解釈で表現されたのでしょう。

そして如来さんの頭について言えば、まずは肉髻(にくけい)ですよね。正月の鏡餅みたいに頭の上にもう一段の盛り上がりがあります。さらにその頭は渦巻き状の縮れた螺髪(らほつ)となっています……と断言してしまいましたが……如来さんの中でも大日如来については「螺髪(らほつ)」ではないそうです。

また大乗仏教と小乗仏教によっても、表現は大きく異なるものだったでしょう。大乗仏教と小乗仏教の違いについてはよく把握できていませんが、どうやら大乗仏教では、特にお釈迦さん……釈迦如来は、超人的な存在に祭り上げられたようなんです。人を超えてしまったんですね。「螺髪(らほつ)」の有無は、もしかすると、そのあたりに起源があるのかもしれないなぁと思いつつ、まぁ大乗仏教と小乗仏教の違いについて語るのは、一般人には難しすぎるので、今回は東洋館で外見……頭……頭髪だけを見ていきたいと思います。

ちなみに、かなり長いnoteです。そして長い割には結論的なものは見えてきません。ただただトーハクの「如来像の頭」を並べているだけのnoteとなっております。


■パキスタン・ガンダーラ|クシャーン朝・2~3世紀

今回見た中では、最も古い如来は、パキスタンのガンダーラの《如来坐像 TC-80》でした。日本における最古級とされるのは7世紀始めの飛鳥時代のものらしいので、それよりも5世紀500年も古い仏像です。

ひとくちに「如来」と言っても、釈迦如来以外にも薬師如来や大日如来、阿弥陀如来、多宝如来、宝生如来、弥勒如来、毘盧遮那如来、阿閦如来などがいらっしゃいます。

さて、今回の如来は出品名には《如来坐像》としか記されていません。それでも、解説パネルには「円形中向かって右にインドラ(帝釈天)、左にブラフマー(梵天)とみられる古来信仰を集めたインドの神が、釈尊に礼拝する姿を浮き彫りしています。釈尊がもっとも優れていることを意味するのでしょう。」と記されています。この《如来坐像》が、「釈尊=釈迦が如来となって後の尊称」だと断定しています。釈迦如来であることを示す何かが、この像にはあるんでしょうね。

ところで、髪型を見てみると、肉髻(にくけい)はありますが螺髪(らほつ)ではありません。わたしと同様に天然パーマなのか、少しカールしていますね。

パキスタン|クシャーン朝・2~3世紀|片岩

同じくパキスタン・クシャーン朝の《如来坐像 TC-734》です。後光のようなものは壊れてしまっていますが、同じ時代の同じエリアで作られた如来ということで、それ以外の大きな差異は感じません。頭髪についても、肉髻ありの螺髪(らほつ)なしです。

パキスタン・ペシャワール周辺|クシャーン朝・2~3世紀

次の《如来立像 TC-733》も同じパキスタンではありますが、ペシャワール周辺にあったもので、少しエリアが異なりますね。ただし髪型については、こちらも肉髻ありの螺髪(らほつ)なしです。

ガンダーラの仏像は、ギリシャ彫刻の影響を受けた、写実的な表現に特徴があります。彫りの深い顔、波型の頭髪、両肩をおおう衣の流れるような襞にその特色があらわれています。腹部のふくらみ、左膝を軽く曲げた様子が衣を通してうかがえる点も巧みです。

解説パネルより

Wikipediaの「ガンダーラ美術」の項では、この像のキャプションに「仏陀直立像、東京国立博物館。1 - 2世紀」と記されています。もしかするとわたしの記録間違いかもしれません。いずれにしても釈迦の像であることは間違いないようです。

■パキスタン・ガンダーラ|クシャーン朝・2~3世紀

同じくパキスタンのガンダーラ地域で作られた《如来および供養者群像 TC-83》です。真ん中にいるお釈迦さんを、供養者(亡くなられた人?)が囲んでいるような構成になっています。

《如来および供養者群像 TC-83》
山中定次郎氏寄贈

真ん中に居るお釈迦さんの髪型を見ると、髪型については、やはり肉髻ありの螺髪(らほつ)なしです。

■パキスタン・ガンダーラ|クシャーン朝・3世紀

ガンダーラの同じくらいの時期に作られていますが、こちらは「3世紀」と断定されている《仏伝「誕生」 TC-732》です。

この《仏伝「誕生」 TC-732》に関しては解説がなかったように思うのですが、周囲にあった出品物の解説パネルを確認したところ、同じようなものがいくつか展示されているなかの1つとして扱われているようです。

その同種の別の出品物の解説パネルには、「小型のストゥーパの壁面を飾るパネル」だったようです。仏伝「誕生」とは、有名な、お釈迦さんが誕生するシーンですね。「右手を上げたマーヤーの右脇腹からシッダールタ太子(後の仏陀)が生まれ出で」た場面です。

↑ よく見ると、マーヤ夫人のワキから生まれてきた釈迦さんの頭の形は、既に如来特有の2段階の肉髻になっています。生まれてきたときから悟っていた……という想定なんでしょうか。これまで同様に螺髪(らほつ)は見られず、程よくカールした天然パーマです。

■中国・ホータン3~4世紀|銅造鍍金

中国のホータンは、中国西端の現在は新疆ウイグル自治区にある、シルクロード上にある町です。比較的にガンダーラから近いことから、おそらくこちらの《如来像頭部 TC-456》は、ガンダーラ美術の影響を多く受けている……ということになるかと思います。解説パネルにも「口髭、見開いた目など、ガンダーラ・スワート地方の石像からの影響が顕著です」と記されています。

《如来像頭部 TC-456》
中国・ホータン3~4世紀|銅造鍍金
大谷探検隊将来品

その解説パネルを見ると、銅造の鍍金とあるので……しかも胴部(胴体)もあったようなので……製作当時は金ピカの銅像だったんでしょうね。「西域における青銅製の最古の仏像」なのだそうです。

以前、360度の全周から見られる独立したケースで展示されていた時に、裏側も見ましたが、ちょうど頭部後方がざっくりと損失していました。下のnoteで見られます。

それにしても、これって「肉髻」と言えるものなのでしょうか。頭の上にポコっと髪の毛が固まっているだけのような気もします。髪質は不明ですが、螺髪(らほつ)ではありませんね。

もう1つ気になるのが、眉間の間にあって光明を放つとされる長く白い巻き毛……白毫ですけれど、この像で白毫にあたるものが、「九曜紋」に似ています。調べてみると、もともと九曜紋は、インドの天文学や占星術で使われる9つの天体と、それを神格化した神に由来するそうです。

■中国|五胡十六国時代・4世紀|銅造鍍金

解説パネルによれば、中国ではこの頃から……4世紀くらいからブッダ像……つまりは釈迦如来像が、盛んに作られるようになったそうです。今回のボケボケの写真は《如来坐像 TC-640》。容貌や衣もガンダーラ風なのですが、ガンダーラでは珍しい「禅定印」を結んでいる(指の組み方をしている)のが一般的だったそうです。※写真はボケボケのブレブレなので、後日、差し替えるかもしれません

■パキスタン|4~5世紀

パキスタン出土の仏像が続きます。顔は少し東洋人っぽさが見られるような気がしますが、肉髻ありの螺髪(らほつ)なしは変わりません。

《如来立像 TC-801》パキスタン|4~5世紀
ストウッコ、彩色
川上宗雪氏寄贈

肘を懐に収めて右手を胸前に出すポーズは、ギリシャの哲学者ソポクレス像に由来し、ローマの肖像彫刻やガンダーラの仏像の造形表現に取り込まれました。この作品は細かな土に石灰を混ぜたものを型に押し込んで造ったストゥッコ像で、この技法も地中海地方からもたらされたものです。

解説パネルより

やたらとパキスタンの仏像が続くなぁと思って、少し調べてみたら、かつてトーハクで開催された特別展『コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』の関連サイトが出てきました。そこには、次のように記されています。

インドで最初に仏像が作られたのは、ガンダーラと北インドのマトゥラーで、紀元後1世紀頃のことと考えられています。この時代に北インドから中央アジアを支配したのはクシャーン朝で、仏教美術も大いに隆盛しました。

ということで、ガンダーラ……パキスタンの仏像が多く見られるのでしょう。それにしても「インド」っていう言葉は、国名を意味しているのかと思っていたのですが、ここでは「インド文化」という意味で使われているようですね。

特別展『コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』のチラシ

■インド・サールナート|グプタ朝・5世紀

前項までのガンダーラ仏像とは異なる、インドのサールナートで5世紀に作られた如来像《如来頭部 TC-716》が、東洋館の地下1階に展示されています。

やっと……やっと螺髪らしい「螺髪(らほつ)」が登場しました。これまで何度か見たことのある仏頭ですが、周りの展示物の多くが東南アジア系の仏像なため、インド産とは思っていませんでした。

《如来頭部 TC-716》インド・サールナート|グプタ朝・5世紀・砂岩

螺髪であることもですが、それよりも顔立ちが全く異なるような気がします。ガンダーラとは明らかに異なりますが、現在のインド人っぽくもないような……。むしろ東南アジア系ではないですかね?

■中国山西省雲岡石窟第2窟西壁|北魏時代・5世紀 石造(砂岩)

天龍山石窟は、6世紀中頃から9世紀にかけて造営されたそうです。そのなかで5世紀に作られたのが《如来頭部 TC-408》です。

表情が……ライティングのせいもあるでしょうけど、なんか悪いことを企んでいそうな、薄ら笑いが不気味な如来さんです。

《如来頭部 TC-408》

肉髻は確認できますが、螺髪は確認できません。

■中国・ヨートカン 3~6世紀|青銅

ヨートカンもまた今では新疆ウイグル自治区に属す、シルクロード上の町です。そこから大谷光瑞らの大谷探検隊が持ってきたものの1つが《青銅小像 TC-512》です。

《如来立像 青銅小像 TC-512》
中国・ヨートカン 3~6世紀|青銅
大谷探検隊将来品

肉髻なのは分かりますが、小さすぎて髪質については判然としません。下の《如来坐像》は、さらに小さくて、わずかに「肉髻だよね?」っていうくらいしか分かりません。

如来坐像

■中国・ホータン 5~6世紀

仮面のような《如来像頭部》は、岩佐又兵衛の『洛中洛外図 舟木本』を滋賀県長浜の舟木家で発見した、美術史家の源豊宗氏が寄贈したものです。「寺院の壁面に貼り付けられていたと考えられ」と解説パネルには記されていますが、いつごろ日本に渡ってきて、どこから手に入れたんですかね?

《如来像頭部 TC-704》
中国・ホータン 5~6世紀|塑造
源豊宗氏寄贈

解説パネルには、髪型に関する言及があります。曰く「如来の額上部中央と肉髻正面には旋回文が表現され、ガンダーラ美術の影響が認められます」とのこと。いや……普通に天然パーマなだけで、旋回しているわけではないような気もしますけどね。

■中国|東魏時代・6世紀|石造(石灰岩)

6世紀になると……なのか分かりませんが、中国・東魏時代の《如来三尊立像 TC-646》は、けっこう大きなもので、しかも真ん中(中尊)の釈迦如来の顔が柔和な感じなのが印象的です。

《如来三尊立像 TC-646》

頭は肉髻であるものの螺髪ではなく、ツルッツルに光沢すら感じます。

ちなみに「顔は長細く、からだの肉づきが平板な点に北魏時代以来の特色が見られる」そうです。ちょっと顔の形が「平たい族」になってきたのが分かりますよね。

そして《如来三尊立像》ですが、真ん中が釈迦如来なのは分かるのですが、その両脇に控えているのが誰なのかが分かりません。解説パネルにも「三尊がおさまる光背には奏楽飛天のほか側面から背面にかけて結縁者の名前と姿が所狭しと彫り表されています」と記すばかりで、左右に両脇侍については言及がありません。

仕方ないので調べてみると、釈迦三尊の両脇侍(りょうきょうじ)の仏様は、決まったものがないそうです。文殊菩薩と普賢菩薩の場合もあるし、梵天と帝釈天、または薬王菩薩と薬上菩薩、金剛手菩薩と蓮華手菩薩なんて組み合わせもあるとWikipediaに記されています。

■中国|西魏時代・6世紀|石造

東魏の次は西魏の如来様です。三尊だけでなく五尊像というチーム編成もあるんですね。如来のほかは、2人の比丘と2人の菩薩で構成されています。

《如来五尊像 TC-647》

肉髻ありの螺髪なしですね。

■中国・ホータン|6~7世紀|ストゥッコ

ストゥッコは、たしかレンガのようなセメントのような素材だった気がします。これら《ストゥッコ小像》もまた大谷探検隊が、ホータンから持ち帰ってきたもの。小像のほか、どこかの壁を飾っていただろう装飾の断片などといっしょに展示されています。

《ストゥッコ浮小像及び装飾断片 TC-501-1~7・504-2・3》
中国・ホータン|6~7世紀|ストゥッコ
大谷探検隊将来品

いずれも小さすぎて詳細は見えないのですが、肉髻は確認できますが、螺髪ではなさそうです。

■朝鮮|三国時代・7世紀|銅造鍍金

東洋館の5階か6階にある朝鮮半島の部屋には、7世紀に作られた《如来及び両脇侍像 TC-654》があります。いくつもの小像が並んでいるなかの1つです。

ちなみに日本国内の最古級の仏像というのが、飛鳥寺の安居院(あんごいん)にあるという、重要文化財の「銅造釈迦如来坐像」です。この「飛鳥大仏」が作られたのが7世紀と言われています。

《如来及び両脇侍像 TC-654》朝鮮|三国時代・7世紀|銅造鍍金小倉コレクション保存会寄贈

肉髻は確認できますが、螺髪については……作りたかったけれど、銅製だから作れなかった……なんてことはありませんよね。やっぱり、螺髪で作ろう! という感じではなかったのかもしれません。

■日本|飛鳥時代・7世紀|銅造鋳造鍍金

常には、同じトーハクの法隆寺宝物館の、真っ暗な展示室にいる《阿弥陀如来像および両脇侍立像 N-144》。こちらは7世紀に作られた日本最古の阿弥陀三尊像です。先週までは、特集『阿弥陀如来のすがた』のため、本館2階の特別1室に移られていました。

肉髻(にくけい)が大きくて、頭との差がわかりにくいのですが、左右にいるのが観音さんと勢至さんなのは確実なので、真ん中にいるのは如来の中でも阿弥陀さんだということが分かります。

で、しっかりと螺髪が確認できますね。

同じく法隆寺の、こちらは7〜8世紀に描かれた金堂壁画の模本ですが……上と同じ特集に展示されていた《法隆寺金堂壁画(模本) 第六号壁》も載せておきます。肉髻ははっきりと確認できますが、螺髪なのかは不明。そもそも絵画で「螺髪」ってあるんでしょうか? これまで全く気にしたことがなかったので、今後は見ていきたいと思います。

《法隆寺金堂壁画(模本) 第六号壁》

■中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安4年(704)石造(石灰岩)

トーハクの1階に10個くらい、ずらりと同じような、8世紀に作られた《如来三尊仏龕(ぶつがん)》と呼ばれる釈迦如来三尊像が並んでいます。その1つが《如来三尊仏龕 TC-718》。

こちらは細川護立氏寄贈とのこと。この方は旧肥後熊本藩細川家の第16代当主です。かなり古美術の保護に熱心で、永青文庫を設立して、細川家に伝来した美術品や古文書を収蔵しています。そのほか太平洋戦争直後の1948年には日本刀の保護を目的に日本美術刀剣保存協会を設立していますし、東洋文庫の理事長を務めたりもした方です。

《如来三尊仏龕 TC-718》

肝心の如来さんの頭については、肉髻に螺髪です。顔は思い切り平べったい「平たい族」で、ぽっちゃりとした輪郭です。

前述した通り《如来三尊仏龕(ぶつがん)》については、10個くらいが常設されています。いずれも同時期に作られたものですが、それぞれの表情や髪型髪質は異なります。頭部だけ載せておきます。

阿弥陀三尊仏龕 TC-769
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安3年(703)石造(石灰岩)
如来三尊仏龕 TC-772
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・8世紀 石造(石灰岩)

↑↓ この上下の如来像は、宝冠をかぶっているあたりが菩薩さんを想起させますけれど、如来さんなんですね。

如来三尊仏龕 TC 717
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代、8世紀 石造(石灰岩)
如来三尊仏龕 TC-773
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・8世紀 石造(石灰岩)
如来三尊仏龕 TC-770
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安3年(703) 石造(石灰岩)
如来三尊仏龕 TC 721
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安3年(703) 石造(石灰岩)
如来三尊仏龕 TC-774
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安3年(703) 石造(石灰岩)

↓ ひとつだけ、「如来三尊」という表記ではなく《弥勒三尊仏龕》とされるものがありました。なのに「肉髻+螺髪」なんですよね……なんで? 最初見たときは「あっ! 螺髪の如来像だ!」と小走りに駆け寄ったんですけどね……菩薩って……。

弥勒三尊仏龕 TC-720
中国陝西省西安宝慶寺|唐時代・長安3年(703) 石造(石灰岩)

■中国山西省天龍山石窟第21窟か|唐時代・8世紀 石造(砂岩)

6世紀中頃から9世紀にかけて造営された天龍山石窟にあった《如来倚像 TC-449》です。「倚像(きぞう)」という聞き慣れない言葉ですが、まぁ椅子に座ってますよ……ということでしょう。ただ、この如来さん、ちょっと座り方が下品というか、両足を開いて偉そうにしています。だからなのか(そんなわけない……)頭部が破壊されてしまいました。

《如来倚像 TC-449》

同じく中国の山西省、天龍山の石窟ではあるものの上とは異なる第18窟に接地されていたのが、下の《如来頭部 TC-92》です。唐時代・8世紀の作と言われています。

それは良いとして解説パネルには「この頭部は西壁に残る如来坐像のもの」と記されています。まさかとは思いますが……そのまさかなのでしょうが、頭部だけ日本に渡ってきたんでしょうね。

「渦状の頭髪、ふくよかな頬、切れ長の眉目、小さな鼻、ぎゅっと締めた口元に、唐時代が理想とした理知的な面貌が示されている」と、解説パネルには記されています。

こちらの寄贈者は根津嘉一郎さん。あの根津美術館を設立した根津さんですね。

■朝鮮|統一新羅時代・8世紀|銅造

朝鮮半島の小像シリーズです。特にこの銅造の《如来坐像 TC-657》は、高さ十数センチの小さなものでs.8世紀に統一新羅時代に作られたものとされています。

画像を拡大すると、肉髻は確認できますが、螺髪までは判然としません。

《如来坐像 TC-657》朝鮮|統一新羅時代・8世紀|銅造小倉コレクション保存会寄贈

■日本|8世紀|神護寺の薬師如来像

スカッと爽快感のある螺髪が、あまり多くないので、日本で8世紀に作られたと考えられている神護寺の国宝《薬師如来立像》を入れておきます。

■インド|パーラ朝・9世紀

インドに戻ってきました。8〜12世紀に東インドのベンガルを中心としたビハール地方に存在した、パーラ朝の仏像が《如来坐像 TC-419》です。パーラ朝では、歴代の王様が仏教を信奉し、解説パネルによれば「インドの仏教美術が最後の花を咲かせた」時代だったようです。

続いて「釈尊は胸の前で転法輪印を結び、その下に法輪と鹿を配するので、サールナート(鹿野苑)の初転法輪を表わしたもの」とある通り……と言っても、全体的には何を意味する文章なのか理解できませんが、とにもかくにも、この《如来坐像 TC-419》は「釈迦如来」だということです。

《如来坐像 TC-419》インド|パーラ朝・9世紀

で、間近で見てみると、この釈迦如来は東インドで作られたにもかかわらず、顔立ちがガンダーラの仏像と似ていませんか? ヒゲも生やしちゃっているんですよね。それなのに「肉髻」かつ「螺髪」がはっきりと見て取れます。インドでも「螺髪」の如来さんが居たんだなぁと、ちょっとホッとしました。

■朝鮮|統一新羅時代・9世紀|銅造

また統一新羅時代の朝鮮半島で作られた、高さ20センチ前後の《如来立像 TC-88》です。とても保存状態の良い銅造の仏像なのですが、残念ながら螺髪は確認できません。

《如来立像 TC-88》朝鮮|統一新羅時代・9世紀|銅造

■インドネシア|10世紀頃

インドネシアの青銅製の《大日如来坐像 TC-709》です。頭上の傘が頭部に影を作ってしまって、髪型がよく見えません。ただし、こちらは大日如来なので、螺髪(らはつ)ではないはずです。螺髪=天然パーマだとすると、大日如来はストレートということなんですかね?

《大日如来坐像 TC-709》
《大日如来坐像 TC-709》

■インド、ボードガヤー|パーラ朝・11~12世紀

「インドの仏教美術が最後の花を咲かせた」という、8〜12世紀の東インドに存在したパーラ朝の仏像《釈迦如来坐像 TC-425》です。先ほどの《如来坐像 TC-419》と同じく、中央に座した釈迦如来の左右にはストゥーパのような塔が立っています。

《釈迦如来坐像 TC-425》インド、ボードガヤー|パーラ朝・11~12世紀

とにかく頭は肉髻があり螺髪でもあります。

パーラ朝での仏教についてWikipediaでは、「密教としての仏教が盛ん」だったと、次のように記しています。

パーラ朝時代の仏教は、密教としての仏教がさかんでいわゆるタントラ仏教であったため、チベット仏教もその影響を強くうけている。また、芸術を保護したため、絵画、彫刻、青銅の鋳造技術が著しく進歩して、仏教美術では、「パーラ式仏像」を生み出して世界的に有名となり、その美術は「パーラ派」や「東方派」と呼ばれ、優れた技巧と典雅な意匠で知られている。

解説パネル

右手を膝の前に垂れて地面に触れるのは降魔節(触地印)と言って、釈迦がさまざまな誘惑のことばを投げかける悪魔を退け、悟りを開いた時の姿であることを意味します。光背には「すべては因縁から生じる」ということばで始まる縁起法頌(ほうじゅ)を、台座には寄進銘を刻みます。

解説パネルより

■カンボジア、アンコール・ワット|アンコール時代・12世紀

ちょうど20年くらい前にアンコール・ワットを見に行く機会がありました。本当はマレーシアで1カ月を過ごすつもりだったのですが、食事が……どうにも合わずに半月くらいでタイへ逃げ出したんです。せっかくタイへ行ったのですが、なんだか「アジアの喧騒」に疲れてしまい……そこからカンボジアの首都、プノンペンへ飛びました。そこからアンコール・ワットのあるシェムリアップまで、往路は川船で遡上し、帰りはアナボコだらけの国道を、車で……リアルに車の天井に頭をボコボコとぶつけながら帰ってきた記憶があります。その往復の道程は、もうそりゃ苦行でしたね。わたしが持って行ったガイドブックの『Lonely Planet』には、「船で遡上する場合は、船内が暑くて船の屋根に登る人が多いが、川岸から狙撃される危険があるのでおすすめしない」みたいなことが書かれていました。今はもっと行きやすくなっているんでしょうけど……。

それはさておき仏像ですね。カンボジアは、けっこう血の気の多い民族という印象があるのですが、仏像の表情はいたって穏やか……というか、かなり愛嬌のあるお顔立ちをしています。この12世紀にアンコール・ワットで作られた《仏陀坐像 TC-399》

《仏陀坐像 TC-399》カンボジア、アンコール・ワット|アンコール時代・12世紀・砂岩|フランス極東学院交換品

頭は……これは肉髻というんでしょうか? これまでのこんもりとした肉髻とは、かなり様子が異なり、仏塔のような形に見えます。う〜ん……やはりこれは螺髪ではありませんよね。

■カンボジア、アンコール・トム|アンコール時代・12世紀|砂岩|

こちらは同じ12世紀に、アンコール・ワットの近くにあるアンコール・トムにあった《ナーガ上の仏陀坐像 TC-378》です。こちらのブッダ=お釈迦さんは、もうはっきりと微笑んでいらっしゃいますよね。

禅定に入る仏陀(釈尊)を降り続く雨から守るために、蛇神ナーガがとぐろを巻いた体を台座に、7つの頭をさしかけて守る様子をあらわした像です。東南アジアでは水を司る神であるナーガに対する信仰が篤く、仏教と結びついてこの形の像が多数造られました。

解説パネルより
《ナーガ上の仏陀坐像 TC-378》カンボジア、アンコール・トム東南部のテラスNo.61アンコール時代・12世紀|砂岩|フランス極東学院交換品

頭を撮る時の角度が悪く、頭頂の様子がよく見えませんでした……失敗。ただ、頭には帽子をかぶっているようで、その上に、ツノのような、仏塔のようなものがニョキッと見えますよね。でも、それが肉髻なのか螺髪なのかは判然としません。

それにしても、トーハクのカンボジア・アンコールの仏像群は、「フランス極東学院交換品」とされているものが多いです。フランス極東学院ってなんだろ? と思ってググってみたら……トーハクのサイトがヒットしました。

昭和18~19年(1943~1944)に文化交流として、日本の帝室博物館(現在の当館)と当時ベトナムのハノイにあったフランス極東学院との間で、文化財の交換事業が行なわれました。
昭和18年に当館から極東学院へ、翌19年には極東学院から当館へ、それぞれ文化財が送られました。日本からの交換品は長らく所在不明でしたが、近年の九州国立博物館の調査で再発見されました。

1089ブログ』より

わたしは上の文章を読んで、ちょっと驚いています。昭和18~19年(1943~1944)に、「ベトナムのハノイにあったフランス極東学院」と文化財の交換事業って……なんぞや?

この数年前…… 1939年9月にヨーロッパでは第二次大戦が勃発。1940年5月には、フランスはドイツに降伏しています。同年8月に、ドイツと同盟を組んでいた日本は、日本軍の仏領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)への駐留を認めさせています。ただし、9月6日には、中国とベトナム国境にいた日本軍の一部がフランス軍と交戦。同月23日にはハノイへ入城しています(前後に、インドシナにおけるフランス軍が降伏)。

その3年後の1943年に、フランス極東学院との文化交流で、トーハクに現在所蔵されているアンコール周辺の仏像などが日本に渡ってきたということのようです。前述のトーハクのブログをサラッと読んだ限りだと、日本からも仏像を渡しているので、まぁ「交換品」に間違いのでしょう。

インドシナでフランスが破壊してぶんどった仏像などが、さらに日本と交換して渡ってきたという……。カンボジア人からすれば、どっちもどっちな感じでしょうか……。それにしてもフランスには、残りの松方コレクションを変換してもらいたいものです(日本が権利を放棄したんですかね?)。韓国にも対馬の仏像を、早く返還してほしいですけどね。

■カンボジア、アンコール|アンコール時代・12~13世紀

次もカンボジアのアンコールから持ってこられた《仏陀三尊像 TC-380》です。詳細な場所は解説にも記されていないため、アンコール・ワットからなのか、アンコール・トムからなのかは不明なのかもしれません。

《仏陀三尊像 TC-380》カンボジア、アンコール|アンコール時代・12~13世紀砂岩 |フランス極東学院交換品

さてセンターの中尊については、仏陀とされるので釈迦如来ということでしょう。ちなみに脇侍するのは「右に四本の腕を持つローケーシュヴァラ (観音菩薩)、左にプラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜多菩薩)」と解説には記されていました。

その仏陀の頭は、やはり帽子をかぶり、その上にはとんがりコーンのようなものが載っていますね。

中央ナーガに坐す仏陀、右に四本の腕を持つローケーシュヴァラ (観音菩薩)、左にプラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜多菩薩)をあらわしています。ジャヤヴァルマン7世の時代に寺院に奉納する目的でこの三尊が多数造られました。

解説パネルより

■中国・クチャ|元~明時代・13~14世紀

大谷宗瑞などの大谷探検隊が、シルクロードのクチャから持ち帰った《如来坐像牌 TC-460》です。ただし、「永寿王造」という漢字での銘文が陽鋳されていることや作風からも、中国製だろうと、トーハクの解説パネルには書かれています。

頭部については、とても小さい肉髻が結わられいますし、ポツポツと螺髪(らほつ)にもなっています。

《如来坐像牌 TC-460》中国・クチャ|元~明時代・13~14世紀鉄製

クチャは、いくつかあるシルクロードの道の「天山南路」という、天山山脈の南……タクラマカン砂漠の北を通るルート上にある街です。

《如来坐像牌 TC-460》中国・クチャ|元~明時代・13~14世紀鉄製
《如来坐像牌 TC-460》中国・クチャ|元~明時代・13~14世紀鉄製

「牌(ハイ・パイ)」とあるとおり、鉄板を裏から叩いて作ったような感じになっています。

まだ他にも、トーハクの東洋館に限っていっても、如来像は展示されていますが……今回はこのくらいにしておきます……。いちおう結論めいたことを書けば……如来の「肉髻(にくけい)」に関しては、ガンダーラで仏像が作られ始めた当初から表現されていたことが分かりました。ただし「螺髪(らほつ)」については、必ずしも如来の必須要件ではないようです。

■おまけ01 アフガニスタン|3〜4世紀

肉髻(にくけい)だ! と、駆け寄って撮ってから解説パネルを見たら……如来ではなく菩薩さんだった、3〜4世紀の現アフガニスタンの《仏鉢供養・菩薩交脚像 TC 728》でした。「正直……なんだ如来じゃないのかぁ」と思ってしまいましたが、考えてみると「肉髻=如来」ではないことが分かりますね。ちなみに、こちらの菩薩は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)なのだそうです。

《仏鉢供養・菩薩交脚像 TC 728》アフガニスタン|3〜4世紀・矢野鶴子氏寄贈

中央の鉢は釈尊が四天王から各1つずつ受け取って重ねたもの。口縁の刻線は重ねた様子を表現しています。左右の脚を交差させて坐す菩薩は弥勒菩薩。釈尊の鉢は後継者である弥勒菩薩が思惟を続ける兜率天で供養されたといわれます。ガンダーラには仏鉢があったと法顕や玄奘が記しています。

解説パネルより

弥勒菩薩も頭部に盛り上がった部分がありますが、ガンダーラと同じように「螺髪」っぽいものはなく、天然パーマのカールした髪質です。

こちらは、もう片方の弥勒菩薩でしょうか。髪型は先のものとほとんど同じです。

■おまけ02 中国| 隋時代・6世紀|銅造鍍金

こちらは、はじめから如来ではないと分かっていた重要文化財の《勢至菩薩立像 TC-652》です。とてもきれいな勢至菩薩さんなのですが、今までnoteすることがなかったので、こちらに残しておきます。

丸顔ですらりとした長身の体型、繊細な装身具などは隋時代の典型的な表現で、七仏を配した光背の透かし彫りも見どころです。宝冠に水瓶を伴うため勢至菩薩とわかりますが、対になる観音菩薩像が静岡・MOA美術館に所蔵されます。本来は中尊として阿弥陀如来像があったのでしょう。

解説パネルより

■おまけ03 《キジル石窟 地獄図(模本)》

こちらは仏像とは全く関係ありませんが、東洋館にあった資料です。

現在の新疆ウイグル自治区にあたる場所に存在した、古代の仏教王国「亀茲国(きゅうしこく)」が、だいたい3〜8世紀にかけて、236の石窟を作っていたそうです。

キジル石窟(画像:Wikipedia)

その中で第199の石窟に描かれていたのが、今回の地獄図。「さまざまな地獄の光景を横1列に表して」いたそうですが、取り外されてしまいました。その取り外した壁画を、森田亀太郎さんという方が紙に模写したのが、トーハクにある《キジル石窟 地獄図(模本)》です。

《キジル石窟 地獄図(模本)》森田亀太郎模写|原本:中国・キジル石窟大正~昭和時代・20世紀、原本:7世紀|紙本着色

ドイツのグリュンヴェーデル(1906年)やル・コック(1913年、1914年)、日本の大谷探検隊(1909年、1913年)など、各国の研究者がキジル石窟に訪れて調査を行った。特にル・コックは石窟の壁画を大量に切り取ってベルリンに持ち帰り、民族学博物館に陳列した。これによってキジル石窟の貴重な壁画が破壊されたため、現在は無残な状態となっている。

Wikipediaより

この原本はキジル石窟第199から取り外された壁画で、さまざまな地獄の光景を横1列に表しています。この模写はかってクチャ地方において展開した地獄のイメージを知る上で貴重な資料です。

解説パネルより

今回のnoteは以上になります。東洋館であらたな如来が出現したときには、後で追加するかもしれません。

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