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トーハクのイケメン仏像……顔の彫りが深い! @東京国立博物館
週末に東京国立博物館へ行った時に、本館や平成館が混んでいることがよくあります。そんな時に逃げ込むのが、アジアの作品が展示されている東洋館です。
その東洋館には、これまた各国の優品が集まっているんです。特に中国関連のものが多いように感じますが、今回は中国製を含めた仏像に注目します。
日本国内の仏像に慣れていると、外国人顔の如来様や菩薩様に驚くのですが、当たり前と言えば当たり前で……中東に近づくほど彫りが深く「あなた、ギリシャからいらっしゃいました?」と思ってしまうし、東南アジアの仏像などは「ずいぶんご機嫌ですね」と、こちらまで笑顔になりそうです。
今回は、そんなイケメンの仏像を紹介していきます。
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パキスタン・ペシャワール周辺(Near Peshawar, Pakistan 巴基斯坦 白沙瓦周辺)にあった『如来立像』です。
クシャーン朝(クシャーナ朝)と言われてもピンッときませんが、1世紀頃、イラン系民族が北西インドを支配して建てた王朝なのだそうです(現在はパキスタン)。
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「ガンダーラの仏像は、ギリシア彫刻の影響を受けた写実的な表現に特徴があります」と解説パネルに書かれているので、このあたりの仏像を「ガンダーラの仏像」と呼んでいるのでしょう。上の地図にも「GANDHARA」と記されていますね。
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少し伏し目がちというか、薄っすらと目を閉じているのを下から見上げると、なんともセクシーな表情に見えます。
そして、わたしの一番の推しが、下の同じくパキスタンのガンダーラからやってきた『菩薩立像』です。実際には髭面の男性を見ると警戒してしまいますが、彩色されていない石像だと「ヒゲもありだなぁ」なんて思います。
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如来像と異なり、豪華な装身具を身につけた王族の姿で表わされました。 釈尊が出家する前は王子だったことによります。この像は、持物がわかりませんが、ほかの菩薩像が着けるターバン冠飾がなく、頭髪を束ねていることから、弥勒菩薩である可能性が高
いといえます。
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クールな顔もですが、鍛え抜かれてよくしまった筋肉が良いですね。また、王族の衣装をまとっているということで、威厳があります。
穏やかな表情の下の『菩薩交脚像』も、同じくパキスタンのガンダーラからやってきました。やはり2世紀のクシャーン朝時代に作られているそうです。まったく知見がないのですが、クシャーン朝というか、このあたりの2世紀は、石像を作るものすごい高い技術を持っていたんですね。
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パキスタン・ガンダーラ(Gandhara, Pakistan、巴基斯坦 犍陀罗)クシャーン朝・2世紀
ガンダーラシリーズの最後は、『如来坐像(Buddha 如来坐像 여래좌상)』です。全体を撮り忘れてしまいましたが、こちらも穏やかな表情です。
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中心の如来を礼拝するように、円形の後光の向かって右に「インドラ(帝釈天)、左にブラフマー(梵天)とみられるインドの神が配置されています。釈尊に礼拝する姿を浮き彫りしています。解説パネルには「釈尊がもっとも優れていることを意味するのでしょう」と記されています。なんとなく、真ん中がキリストで、その上を飛びながら祈る天使……を思い浮かべてしまいました。
そして、下の仏像は『如来』です。首から上しか残っていないようですが、こちらも穏やかな、まさに「悟っているな」という表情です。髪のなめらかなウェーブ具合が、なんとなく西の人を思わせます。
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下は、現在の中国新疆ウイグル自治区の南部にあったホータン王国時代の、銅製(ブロンズ)の『如来像頭部』です。
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トーハクは、令和三年度に、いくつかのホータン王国由来のものを購入しています。それらの研究後に、もう少ししたら「ホータン特集」が組まれるかもしれませんね。イスラム教ムスリムの新疆ウイグル自治区に、かつてあった仏教国のホータン……とても興味深いです。(ちなみに中国語でホータンを記すと「和田」となるようです)
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東洋館は、360度から見られるようディスプレイされている仏像や器が多いのも特徴です。こちら『如来像頭部』もそうで、後ろから見ると、大きく欠けてしまっています。サビだらけの後頭部を見ると、あぁブロンズ製なんだなぁと分かりやすいです。
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イケメンとは関係なくなりますが、下のような板状の像も多く展示されています。こちらは『仏伝』シリーズとでも言うか、この釈迦の誕生シーンから涅槃までの代表的なシーンを表現しています。
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冒頭で紹介したイケメンの如来や菩薩像と同じく、パキスタンのガンダーラから届いた、クシャーン朝時代の石像です。見慣れている釈迦の誕生シーンも、ガンダーラのものを見ると、仏教は異国の宗教なんだなぁというのを実感します。
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十一面观音龛・Ekadasamukha in a Niche・십일면관음 감
この『十一面觀音龕』の前に10分くらい立って、一生懸命になにかをメモっている学生さんがいました。それで、わたしも気になって、時間をつぶすために2階へ行って、その子が立ち去るのを待ちました。なるほど……よく見ると、きれいな顔立ちの仏像で……これはガンダーラの仏像などとは異なり、とても親近感というか、外国人という雰囲気もなく、日本にもこういう人がいそうだなと思える表情ですね。
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龕という漢字がなかなか出てこないですね。調べてみると、コトバンクには「仏像を納めるため,岩壁を掘りくぼめた場所。古くインド,中国にその例がみられる。のち扉つきの厨子に仏像を安置したものを仏龕という。」と記されていました。
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寄贈者が細川護立さんということで、え……あの元首相の細川護熙さんのおじいさまじゃないですか。美術などにも造詣が深く、永青文庫や日本美術刀剣保存協会などを作り、東洋文庫の理事長なども務められた方です。そんな方の旧蔵品が、なぜ永青文庫ではなくトーハクに寄贈されたのか謎ですね。
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Ekadasamukha in a Niche・십일면관음 감
細川護立さん寄贈の『十一面觀音龕』の近くにありました。こちらも同じく中国の宝慶寺からのもので、形式も同じに見えるので、細川護立さんの寄贈品かと思ったら、そうは記されていませんでした。観音様の表情も似ているのですがね。
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下の『菩薩頭部』は、東洋館の入口から最も近い部屋に入ると、正面に見られる仏頭です。写真では大きさを伝えにくいのですが、けっこう大きい……大人の腰の高さ以上はあるのではないかと思います。見るたびに、片岡愛之助さんが笑った時の表情に似ているなぁと思ってしまいます。
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龍門石窟の賓陽洞(ひんようどう)は、北魏(ほくぎ)の宣武帝(せんぶてい)の命によって6世紀初めに造営が始まりました。3つの洞のうち中洞のみが北魏に竣工し、南北2洞は唐代に完成しました。この頭部 は中洞側壁の脇侍像のもので、アーモンド形の目、口元に微笑を浮かべた表情は、北魏時代の典型といえます。
↑ 解説パネルを読んでも、内容が頭に入ってきません……。この時代のことに無知なせいなのですが……。
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中国河南省にある石窟群「龍門石窟」の中で、最も古いとされるのが、この「(古)陽洞」なのだそうです。地図で見ると、洛陽
紀元前770年の周の時代に都が置かれてから、後漢・三国魏・西晋・北魏・隋・後唐の都だった場所です。たしか、こうして多くの時代に都が置かれたことから……日本では「洛」と言えば「都」であり、「京」のことを「洛」とも称するようになったのではなかったかな? 京都へ行くことを「上京する」と言いますが、戦国時代や幕末の将軍などが「上洛する」と書かれているのもこのためです。
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以上、東京国立博物館の東洋館に展示されている「イケメン」を中心にお送りしました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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