酒井創

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【詩】クローゼット

クローゼットの中には 喜び、憧れ、懐かしさ、悔い、恥ずかしさ、悔しさ、苦しみ、怒り、悲しみ・・・・・・ 扉を開けるまで忘れていた こいつらはまとまって襲ってくる たじろいで扉を閉めてしまうと 安全で退屈な日常に元通り (ココア共和国2021年7月号電子版)

    • 【詩】放り投げられた私は

      放り投げられた私は なめらかな放物線を描いて 尖りすぎた山の頂上に 突き刺さった こいつはいい眺め (ココア共和国2020年12月号)

      • 【詩】馬の訪問

        馬は窓の端から顔を出して こちらをじっと見つめていた 私がその視線に気がつくのを ずいぶん前から待っていたようだった 私の目と馬の目が一瞬合った 馬が何を考えているのか読み取ろうとしたが 暗く沈んだ茶色の瞳は 私に何も教えてくれなかった 馬は私が気がついたことを確認すると 静かに窓枠の外へ去っていった 慌てて窓に駆け寄り外を見渡すと 馬の姿はもうどこにもなかった 見えたのは馬の顔だけだった 身体は見えなかった 顔だけが来ていたのだろう この辺りに馬はいないから (ユリ

        • 【詩】本物の鮭

          本物の鮭は 釣り上げられた瞬間 準備しておいた偽物の鮭と入れ替わる こいつはでかいぞと騒ぎながら 抱えて写真を撮っているときにはもう 本物は川の底へと逃げている 偽物の鮭は精巧な造りで 見た目はもちろん 食べても本物の鮭のよう 皆が偽物を本物だと思い込んでいるが 本物の鮭は川の底の暗がりで 次の獲物を待っている (ココア共和国2021年3月号)

        【詩】クローゼット

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        • 5本
        • 掌編
          8本

        記事

          【詩】鼻は銃

          巨大な象の沈んだ目は 遥か遠くの一点をじっと見つめている 垂れ下がっていた長い鼻が ゆっくりとひとりでに持ち上がり ついには地面と水平になり静止する 先まで皺の刻み込まれた 長く真っ直ぐに伸びる鼻は どこまでも撃ち通す銃 根元を膨らまし狙いを定め 目には見えない弾丸を放つ 発射された透明な弾丸は 知覚できない猛烈な速さで 空気を裂いて一直線に飛んでいき 買い物帰りのあなたの頭に 深く確実に突き刺さる 不意に撃たれたあなたの頭の 気づけ得ない意識が開かれる あなたは買い物

          【詩】鼻は銃

          【詩】ささやいてください

          ささやいてください でも近くでささやかれるとうっとうしいです 離れてささやいてください でも離れてささやかれると聞こえません 大きくささやいてください でも大きくささやかれるとささやきになりません 慎重にささやいてください でも慎重にささやかれると疑念を抱きます 明瞭にささやいてください でも明瞭にささやかれると伝わりすぎます 控えめにささやいてください でも控えめにささやかれると心配になります 自信をもってささやいてください でも自信をもってささやかれるとたじろいでしまいま

          【詩】ささやいてください

          【詩】瞳の中の楽園

          猫の瞳の中に楽園があることは 猫好きたちにも知られていない 猫を思いやり 信頼し 愛している者が 穏やかな心持ちで その瞳に見入っていると いつの間にか中へと吸い込まれ 気がついたときにはもう 楽園に着いている 瞳の中の楽園は 晴れ渡る暖かな空の下に 柔らかな草原がどこまでも広がり あちらこちらで無数の猫達が 毛づくろいをしたり ちょっかいを出したり 散歩をしたり 昼寝をしたり 本当にここは楽園じゃないかと思い 近くの猫をなでようとしたとき 自分もまた 一匹の猫であると

          【詩】瞳の中の楽園

          【詩】泡の鎧

          泡の鎧を身にまとえ 相手は滑って何もできない 自分も滑って何もできない すぐに鎧を洗い流せ

          【詩】泡の鎧

          【掌編】蛇使い

           蛇使いはいつも上から下までゆったりとした黒ずくめの格好で、蛇と共に静かに町に現れた。決まって日の沈みかけた、明るさと暗さの混じり合う夕方の、商店街の出口近くに陣取っては、芸を披露していた。所定の位置について準備を始めると、観客たちはどこからともなく一人、また一人と現れた。辺りには開いている店も人通りもまばらだった。それでも蛇使いの周りにはいつも必ず複数の観客たちがいた。  蛇使いが無言のまま小さくお辞儀をして芸が始まると、周りを取り囲むように行儀よく並んだ観客たちは揃って小

          【掌編】蛇使い

          【掌編】嵐の図書館

           その日、図書館はいつものように平穏で、何も変わったところはないように見えていた。棚には沢山の本が整然と並び、利用者たちは静かに本を選び、読んでいた。外は真夏の盛りの晴れた日差しでうだるような暑さだったが、空調の効いた館内は快適だった。天井や壁は綺麗な真っ白に塗り直されたばかりで、職員たちは落ち着いて仕事に励んでいた。  初めはその天井に、ぽつりぽつりと小さなしみができ始めただけで、まだ利用者も職員も、誰もそのことに気がついていなかった。しみは少しずつ数を増やしていくと同時に

          【掌編】嵐の図書館

          【掌編】鼻の出現

           その日、私は初めて入ったカフェにいました。友人との待ち合わせの駅に、珍しく約束の時間よりも早く着き、時間をもてあましていたためです。カフェは駅前にある昔ながらの純喫茶で、店内は少し暗いけれど落ち着いていて、雰囲気の良いお店でした。店内にはカウンターの向こうに老紳士のマスターが一人いるだけで、私の他にお客さんは一人もいませんでした。  私は窓際の席に座り、まずホットコーヒーを注文しました。一息ついて正面の壁に目をやると、そこには古い幾何学模様のタペストリーが掛けられていました

          【掌編】鼻の出現

          【掌編】脳の中の革命家

           男の脳の中には革命家が住んでいた。男はうだつのあがらない、小太りな中年のサラリーマンで、誰の印象にも残らないような、地味で平凡な人間だと思われていた。男は友人や家族をもたず、いつも一人でぼんやりと無気力に生きていたが、その脳の中にはもう一人、革命家が住みつき、共に暮らしていた。  革命家は革命の成就を目指し、落ち着いて計画を練れる場所を絶えず探してきた。知的な活動を行い続ける脳は計画を練るのに最適な場所で、革命家が見つけた男の脳の中は、まさに格好の住処だった。仕事と家を往復

          【掌編】脳の中の革命家

          【掌編】頭と体

           草原に一頭の馬がいた。馬は頭を下げ、黙々と草を食べていた。生え揃ってきたばかりの、若く青々とした草は新鮮で、頭はその歯ごたえや香りや味に夢中になって、一心不乱に草をむさぼり続けていた。  頭以外の胴に足に尾といった体は、初めのうちは頭が草を食べ終えるのを黙ってじっと待っていた。しかし草はあまりにも美味しく、頭はあまりにも草に夢中で、いつまで経っても食べ終える気配がない。延々と草を食べ続ける頭を待つのにうんざりして、ついに我慢の限界を迎えた体は、これだけ草に夢中になっていれば

          【掌編】頭と体

          【掌編】酪農

           酪農家は不思議に思いながら、牛舎の中にずらりと伏して並んだ、沢山の牛たちを目の前にして立ち尽くしていた。白地に黒い水たまりを浮かべた牛たちは、まだ日が昇ったばかりの明るい朝なのにもかかわらず、揃ってすやすやと深い眠りに陥っていた。  酪農家は一日の始まりと共に牛舎に入ると、いきなりこの光景を目の当たりにした。困惑したまま愛しい我が子のような牛たちに向かって、声をかけてみたり、体をさすってみたり、むりやり持ち上げてみようとしたが、目を覚まして起き上がってくれる牛は一頭たりとも

          【掌編】酪農

          【掌編】木の根もとを掘る犬

           犬はそびえ立つ大きな木の根もとをじっと見つめている。雑種の小型犬で、白と茶の入り混じったふわふわとした体毛で全身を覆われている。犬は普段、人に飼われているようで、毛が刈り揃えられ、小奇麗な身なりをしている。しかし首輪は着けておらず、周りに飼い主らしき人の姿はない。  犬が木の根もとを掘り始める。一心不乱に穴を掘り続けていく犬の姿を、伸び上がる太い木が見下ろしている。  やがて犬は、自身の体と同じほどの大きさの穴を掘り終える。はあはあと息を切らしながら、自分が根もとに掘り終え

          【掌編】木の根もとを掘る犬

          【掌編】プールのある展示室

           展示室に入ると中は薄暗く、人の姿はなかった。天井からは配列された照明がぼんやりとした赤と青の光を床に落としていた。光は混ざり合いながら床の全面を暗い紫で満たしていた。光はまるで展示室全体を、色付きのセロハンフィルムで包んだような色合いだった。  展示室の中央には床をくり抜いて作られた、部屋の大半を占める大きな正方形のプールがあった。プールは床のすれすれまで水で満たされていて、空調の無機質な風を受けて、わずかな波を断続的に立てていた。展示室内にはプールだけがあり、他には説明も

          【掌編】プールのある展示室