【掌編】プールのある展示室

　展示室に入ると中は薄暗く、人の姿はなかった。剥き出しのコンクリートで造られた部屋の天井は高く、等間隔で配列された照明はぼんやりとした赤と青の光を交互に落としていた。対照な光同士は列を成して空間で交わり、展示室の全面を暗い紫で覆っていた。光は展示室全体を、まるで色付きのセロハンフィルムで覆っているような色合いだった。
　展示室の中央には床をくり抜いて作られた、部屋の大半を占める大きな正方形のプールがあった。プールは床のすれすれまで水で満たされていて、空調の無機質な風を受け、わずかな波を断続的に立て続けていた。静まり返った展示室内にはプールだけがあり、他に説明や作品は何もなかった。
　赤と青の光を受けたプールの中央、紫の波の中にデニムパンツが浮かんでいた。目を凝らしてよく見ると、デニムパンツは藍色の生地の中に銀糸が織り込まれており、落ちてくる紫の光を反射してぎらぎらと輝きながら波間を漂っていた。
　私はプールのふちに近づいていき、水面に浮かぶデニムパンツをしばらく見つめていた。見慣れない状況に戸惑い、迷ってはいたが、結局は着ている服を脱いでいき、最後には下着だけの姿になった。水の中に足からそっと入ってみると、水温は冷たく感じられたが、耐えられないほどではなかった。プールの底は思っていたよりも深く、全身が水の中に浸かっても、足先は底に着かずに浮いたままだった。
　私はゆっくりと泳いでプールの中央まで辿り着くと、デニムパンツを手に取った。水を吸った生地はずっしりと重たく、鈍い光沢を放っていた。私は、デニムパンツは履くためのものであり、それ以外の用途を持たないと考え、プールの中でそれを履き始めた。水の中で沈みそうになりながらデニムパンツを履くのは大変だった。時間をかけて両足を通していき、最後にはウエストのきついボタンを何とか閉め終えた。
　その瞬間、プール全体に強い電流が走った。水を通して電流を浴びた私は、全身を突き刺すような強烈な痛みに、驚く間もなく意識を失いかけた。飛んでいきそうな意識をかろうじて保ちながら、私は慌てて岸へと必死になって泳ぎ始めた。流れ続ける電流の痛みに耐えつつ、水を死に物狂いでかき分け、同時に水中でウエストの固いボタンを無理矢理にはずすと、足を必死にばたつかせながらデニムパンツを振りほどくように脱いでいった。
　意識が朦朧となりながらもプールのふちへ何とか辿り着くと、私は海獣の死骸が海から岸へ打ち上がるように、無機質な床に転がり出た。息も絶え絶えになりながらプールを振り返ると、デニムパンツは展示室に入ったときと同じように、ぎらぎらと輝きながら水面に浮かんだままだった。
　しばらく呆然としたままプールを眺めた後、私はゆっくりと立ち上がった。濡れたままの全身に痛みのなごりを抱え、着てきた服を回収するのも忘れて下着姿のまま、ふらふらとした足取りで展示室を出た。薄暗い通路はまっすぐに伸びた先で折れ曲がり、そこから微かに光がこちらへと差し込んでくるのが見えた。私は気力を振り絞って何とか歩みを進め、そのまま通路の先の光の中へと入っていった。
　光の中はいくつものズボンが並ぶミュージアムショップだった。スラックスパンツ、チノパンツ、カーゴパンツ、ショートパンツ、スウェットパンツ……。様々な種類のズボンの大群が部屋中に所狭しとかけられ、整然と並んでいた。もちろんそこにはデニムパンツも並んでいたが、それはよくある藍色の、何の変哲もないデニムパンツで、そこに銀糸は織り込まれていなかった。
　ミュージアムショップの入口で、下着姿の私はびしょ濡れのまま立ち尽くしながら、どのズボンを履こうかと考え始めていた。

（BFC5 2次予選通過作品）