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【掌編】頭と体

 地の果てまで広がる草原に一頭の馬がいた。馬は頭を下げ、黙々と草を食べていた。生え揃ってきたばかりの若く青々とした草は新鮮で、馬の頭はその歯ごたえや香りや味に夢中になって、一心不乱に草をむさぼり続けていた。
 頭以外の胴に足に尾といった体は、初めのうちは頭が草を食べ終えるのを黙ってじっと待っていた。しかし草はあまりにも美味しく、頭はあまりにも草に夢中で、いつまで経っても食べ終える気配がない。延々と草を食べ続ける頭を待つのにうんざりして、ついに我慢の限界を迎えた体は、これだけ草に夢中になっていれば、離れてしまっても気がつかないだろうと考え、そっと頭から離れてみた。頭は体が自分から離れていったことにまるで気づかず、草を夢中で食べ続けている。体は頭に呆れながら静かにその場を離れると、草原の彼方へ走り去っていった。
 頭はそれからもしばらくの間、ひたすらに草を食べ続け、やっと満腹になると満足した。顔を上げると、体が自分から離れていなくなっていることに初めて気がついた。頭は事態が飲み込めず、混乱したまま草原をふらふらと浮かんでうろついてみたが、体の姿はどこにもない。頭は草に夢中になるがあまり、体に愛想をつかされ、見捨てられてしまったことを悔やんだ。
 頭はすぐに体を探す旅に出た。最初はまだ頭だけの状態に慣れておらず、少し進むだけでも疲れてしまっていたが、やがて慣れてくるにつれて空中を頭だけで滑るように飛んで、すいすいと移動できるようになった。
 頭が体を探しながらあちらこちらを飛んでいると、一つの町が見えてきた。町の中に入ってみると、そこには人や犬や猫や鳥や牛や亀や虫やたくさんの生きものたちが暮らしていた。もちろんその中には馬もいた。頭は、頭と体が繋がった馬たちの間をすり抜けながら、体だけの馬がいないか探していった。周りの馬たちはそんな頭を横目で見ながらけげんな顔で、あいつはなんで頭だけでうろうろしているんだ、と聞こえないように小さな声でうわさしていた。
 頭は日がすっかり沈んでしまうまで町中をくまなく探し回ってみたが、結局体は見つからなかった。体はいったいどこへ行ってしまったのだろう。体には足があるから、もう追いつけない遥か遠くまで行ってしまったのかもしれない。頭は落ち込んだまま、いつの間にかとぼとぼと町の外れまで来ていた。
 暗い道を落ち込んで進みながら、これからどうしよう、と地面を見つめて悩む頭の耳にどこからか、わいわいとにぎやかな声が聞こえてきた。頭が顔を上げると、そこには明かりと声が漏れてくる一軒の酒場があった。楽しそうな声は酒場の中から聞こえていて、頭は声に引かれるように中へ入っていった。
 酒場の中には沢山の馬の頭たちがいた。皆が体をどうしてか失っていて、頭たちだけで酒を飲みながら、楽しそうに騒いでいた。酒場の中にいた頭たちは入ってきた頭に気がつくと、おう新入りのお出ましだ! と言い、すぐに歓迎の宴を始めてくれた。頭たちは酒を飲みながら、あごや唇や舌を使って器用に楽器を奏で、陽気に歌を歌い、踊りを踊っていた。新入りの頭は驚きながらもすぐに輪の中に加わっていき、大いに宴を楽しんだ。
 ここはいいところだろう、新入りさんよ。みんな頭だけになっちまって、どうしようと思ってた奴らばっかりさ。だけどここにいれば、同じような奴らといつまでも楽しくやっていられる。あんたもずっとここにいるといいさ。
 頭は優しく声をかけてくれる仲間の頭たちの中に入ることができて、心の底から安心し、嬉しかった。その一方で心の片隅では、体も同じように体たちの酒場を見つけて、そこで楽しくやれているんだろうか、と思っていた。


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