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誰かが残した道しるべが、自分の行き先とは限らない
今年のnoteの展望を書いた途端、パッタリと書けなくなった。
途中まで進めていた記事はあるが、心のどこかで、果たしてこれは私が本当に伝えたいことなのだろうか? と常に疑問符がつきまとっていた。
ノウハウの圧迫感
本音はこうだ。
「そんなにお役立ち記事を書かなきゃいけないの?」
ネットのあちこちで、有用・有益な記事の提供が推奨されている。さらにnoteは有料で知識やノウハウを売買する環境も整っている。
もちろん、役立つ知識や情報を主として発信している方も多い。そういった方々はそれが生業、もしくは好きで書いているのだろうし、私を含め勉強させてもらっている方も多数いるだろう。
私は単純に、さまざまな所で推奨されているからと、有益な記事を書かねばならない謎の強迫観念にとらわれていたのだ。
ウニを食べなくても別に生きていけるのに、「魚介類のおいしい所に住んでいるんだからウニ食べなよ、おいしいよ」という謳い文句にのって、大して好きでもないウニを食べる。もしくは箸でつまんで持て余していたのだ。
誰も強制などしていないし、仕事ならともかく、noteに書くことなど本当はもっと自由でいいのに。
無理に書こうとするからつらくなるのだろう。
本当に人に伝えたい、役立ててもらえたらと思える内容ならば、また記事にできるはずだ。
どうしても相容れないもの
また、Twitterも辞めた。
Twitterはこれまでも、何度もアカウントを作っては長続きせず消している。交流してくれた方には申し訳ないが、挨拶は特にしなかった。
(note関係でつながりのある方は、よろしければ引き続きこちらでよろしくお願いします)
辞めた理由は、ひとえに自分のペースが保てなくなったからだ。
私はWebライターとして仕事をさせてもらっているが、家庭の事情で量はこなせないのが現状だ。家族とも「まずは家と息子のことが優先」と約束している。
特定のことでバランスが崩れたのではない。暇さえあればSNSを開いていたわけでもない。
それでも数多のつぶやきは脳に蓄積し、意識が自然と「家と息子<仕事」に傾いてしまった。
その結果家族とぎくしゃくしてしまい、別の悩みもあって数日間塞ぎ込んでいた。
何故、散々相容れなかったTwitterを運用していたのか。それは仕事の受け口、履歴書代わりにしたかったからだ。
そういった運用をしているライターの方のノウハウを真似て、つぶやきもなるべく有用なものを心がけた。
しかし、誰もかれもがTwitterを運用している訳ではない。仕事の受け口が必ずしもTwitterのDMである必要はないし、履歴書ならnoteでもクラウドソーシングのプロフィールでもいい。
どうしても相容れないものを取り入れても、極端な話アレルギーのように弊害が伴う。
さまざまな方の有益な情報、モチベーションの上がるつぶやき、何気ない日常は読んでいて楽しかったが、精神的な消耗が勝ってしまうのなら、別のやり方に替えた方がいいと判断した。
Twitterを好んで利用している方はそれでいいと思う。楽しんで使える方をうらやましくも思う。
私のように、合わない人間もいるだけの話だ。
noteという街で、ただのアパート住まいになる
話をnoteに戻そう。
私はnoteもSNSだと思っているが、noteの距離感はさほど苦ではない。
Twitterが渋谷の交差点の真ん中で喋っているとすると、noteは江ノ電に乗って好きな駅に降りるような身軽さがある。路面すれすれに立ち並ぶ民家のように、濃密な文章がひしめき合っている節もある。
noteは自由な街だ。色んな屋号を立てる人がいて、色んなお店がある。
本を売ったり、個展を開いたり、詩を配ったり、ストリートで弾き語りをしたり、ラジオを放送したり…。ぶらついているだけでも楽しい。
一方で、私の屋号はなかなか定まらない。希望だの料理だのぬかしておいて、一体何をしたいのだろうと路頭に迷っている。
だから、一旦屋号を出すのは止めて、ただのアパート住まいになろうと思う。
お客さんが来たら、煎茶や紅茶、ドリップコーヒーでも出して、最近あった出来事や好きなもの、昔話でもして、時折耳寄り情報も話す。自由に出入りしてもらえるような、何の変哲もないアパート。
そのくらい気楽な方が、私には向いている。
そして、それが私の本来したかった、発信の形なのだろう。
のびのびと歩める道を進もう
私は、自分が信じた「誰かがこう言っていた」に忠実すぎた。
「自分がこうしたいから」という純粋な衝動を後ろへ追いやって、無理に肩肘を張っていた。
知識や情報、誰かの言葉から何かを得ようとするのは、決して悪いことではない。まずは試してみて、向いているなら続けてみる。そうでなければ別のものを試す。トライ&エラーの大切さは多くの方が説いている。
ただ、情報に振り回され、本来辿りたい道を見失っては本末転倒になる。
誰かが辿った道を、自分も同じように進めるとは限らない。
砂利道を四輪駆動車でガンガン進む人もいれば、車酔いするので徒歩の方がましだという人もいる。
誰かが残した道しるべ=ノウハウが、自分の行き先とは限らないのだ。他の道は、いくらでもある。
ひとつ変わらないのは、私のnoteを、立ち寄ったあと少しでも明るい方向を向ける場所にしたいということだ。
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