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自分で自分を貶めるな

「笑い声が聞こえると、自分が笑われている気がする」
「嫌な言葉が聞こえると、悪口を言われている気がする」

打ち明けると、「考えすぎ」「気にしすぎ」と処理されてしまう。
不確かなことに振り回されている自分に嫌気がさす。

そんな負の連鎖を断ち切る発見をした。

「自分で自分を他人から笑われる存在」だと、潜在意識レベルで思い込んでいたのだ。

過去のトラウマ

先日、主婦向けの就労支援所で相談をしてきた。

いつも人気があまりなく、他の相談者が来ている光景は珍しい。

その日も相談者は私しかおらず、対応してくれたコンサルタントの人以外は壁に隔てられた部屋でおしゃべりをしていた。
暇なのか、ずいぶん賑やかで、単語もいくつかはっきり聞こえてくる。
フロアが静かな分、壁越しでもどっと笑いが起こるのが耳障りだった。

人の笑い声が今でも時々不快なのは、専門学生時代の出来事が根強く残っているからだ。

私は同じ学科の隣のクラスからなめられていた。側から見ておどおどしていたのだろう。

授業が終わり、そのクラスと教室が入れ替わりになった日があった。
忘れ物をしたため、隣のクラスが授業を始める直前に物を取りに行き、さっさと退散した。

その際、特に私を嫌っていた女子が「とりあえず笑っておけ」と口にし、教室にいた全員がゲラゲラと天井を仰いだのだ。
あのとき笑っていた人間が何をしているかはさっぱり分からないが、すくなくとも何らかの痛い目には遭っているだろう。モロに犬のふんを踏んだとか。

それはさておき、過去のトラウマと似たシチュエーションになると、私はどうも間違った計算をしてしまうらしい。

相談先で、別段悪いことも何もしていないのに「裏で私のことを笑っているのかな……」と急に不安になってしまったのだ。

なんとか軌道修正できる日もあるのだが、その日は不安が拭えなかった。
コンサルタントの人に「笑い声が聞こえて不快だ」「もう相談に来たくない」「数日前に面接に行った際もオフィスの話し声が気になった、この状態では働けない」とボロボロこぼした。

5月にセミナーで習ったExcelを忘れかけているのもあり、「しばらく相談に来たくない」と吐き気に似た胃の重たさを抱えながら帰路についた。

自意識過剰への抵抗

自意識過剰なのは分かっている。

冷静になれば、来所した相談者をバカにする職員はまずいないと分かる。
取り立てて言うほど特徴もない人間のことなど、誰が話題にするだろう。

それでもダメな日はダメなのだ。
HSP(繊細な人)の特徴である、

・飛躍した結論を出す
・物事を自分に関係があると思いやすい

これらも関係していると考えられる。

コンサルタントの人は私が苦しんでいるさまを見て、相談後に「リフレーミング」の話をしてくれた。

※リフレーミング…ある枠組み(フレーム)で捉えられている物事を枠組みをはずして、違う枠組みで見ることを指す。
Wikipediaより

物事を別の角度・視点で捉え直す、いわゆる「認知行動療法」だ。

後日、「笑われたかもしれない」件について、あるワークを行った。

バイロン・ケイティ著「ザ・ワーク」に基づき、いくつかの質問に答えるものだ。
ワークは公式サイトに掲載されている方法に則って行ってみた。

ワークの中身

①探求する言葉(悩み)を決める

相談先でバックヤードの人たちの話し声や笑い声が筒抜けだった。自分しか相談に来ていなかったし、自分のことをバカにされたのでは?

②4つの質問に答える

1.それは本当でしょうか?

いいえ。いや、分からない。

2.その考えが本当であると、絶対言い切れますか?

分からない。

3.そう考えるとき、あなたはどのように反応しますか? 何が起きますか?

あなた方に私の何が分かるってんだ
もう相談に来たくない

4.その考えがなければ、あなたはどうなりますか?

今まで通り相談に来れる

③①を反対の言葉で置き換える

・別の日は他の人も相談に来る
・私のことをバカにしていた訳ではない

④①を肯定的な言葉で置き換える

・色んな人が相談に来るんだから特定の人をいちいち覚えていない
・私は別にバカにされても構わない

ワークのねらいは、④の答えを導き出し、あらゆる考えや体験を歓迎することだ。

しかしワークを進めていく過程で、私は④を導き出す前におかしな点を見つけた。

それが冒頭の「自分で自分を他人から笑われる存在だと思っている」、潜在意識レベルの思い込みだった。

気づいた瞬間、ものすごくバカバカしくて下らなくて、乾いた笑いが漏れた。

要は自分が何か言われる落ち度があると無意識に思っているから、「何か言われたかも」「笑われたかも」と思ってしまうのだ。

おそらく、過去にいじめを受けたり、嘲笑われたりした経験からくる考え方のクセなのだろう。

それにしてもだ。
「自分に呪いをかけてはいけないよ」と説いた映画「ペネロピ」から、教訓として胸に刻んでいたのに。
バカらしくて仕方なかった一方で、長年抱えていた頭痛が消え、妙に頭が冴えていく感覚もあった。

「直さなくていい」

「はじめは何かあるたびに自分の欠点を直そうとするけど、直さなくていいんだよ」

悩んで疲れてしまった話を夫にすると、そう言ってくれた。

たとえば、私のように細かいことまで気になってしまうのは、裏を返せば「人が気づかないことまで気づける」のだ。

細部まで目を配るのは仕事において大事な能力だ。前述した思い込みに気づけたのもそのお陰といえる。

日陰が涼しい場所として重宝されるように、ものは捉えようによって、いくらでも良いほうへ変わる。

不安の何割かは「もっとこうなれたらいいのに」「こういうところがあるから自分はダメだ」といった自己嫌悪が引き金となる。

だが、ダメなところをダメだと決めつけて攻撃していては、いつまでも悪いものとしか捉えられなくなる。

ワークの④で出した答えに付け加えるなら、
「たとえバカにされたとしても、私は私」。

たいていの人はそんな無作法ではないけれど、そもそも人格否定してくる人間の言葉など、信用するに値しないのだから。

思慮深くて周りの目を気にする人ほど、もっと細やかな感性を誇っていい。より心地良く暮らせるよう注力したほうがいい。

自分で自分を貶めるな。
自戒を込めて。


※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。

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