妬ましい人に「好きです」と告白すると、自分をちょっと好きになる

SNSのタイムラインを追うと注目度の高い人が浮き彫りになるが、底抜けに明るい人や華やかな活躍をする人など多くのタイプがひしめく中で、一際眩しいのが「どうにもこうにも好感度が高い人」である。

投稿頻度はさほど高くなく、内容もシンプルではあるのだが、ひとたび投稿すると雨嵐のような「いいね」が殺到する。すがすがしい笑顔と凛とした言葉、まっすぐな人柄により白く発光するような佇まいを魅せる。育ちの良さとも似ていて、見様見真似では体得できない、一種の神々しさがあるのだ。

私のような無いものねだリストからすると「うっ」と呻き声が出るほどうらやましい人望で、タイムライン上で目にするだけで息苦しくなり劣等感にのたうち回るのだが、そんな浅ましい私でさえうっかり「いいね」を押したくなる。どんな綺麗ごとを纏っても、きっとその人のような光は放てない。圧倒的な格の違いを見せつけられ、ぐぐぐと服の裾を握り歯を食いしばる。

基本的には「私だけは屈しまい」と下卑た虚勢を張って投稿をスルーするが、突発的に心の「いいな」ボタンが押されてコメントすることもある。結局のところあふれ出る人望に憧れているので、心のどこかで「お話ししたいな」と思っているのだ。

本当に不思議なのだが、こうした人たちはなぜか私の書いた記事を読んでくれている。もちろん全部ではないと思うが、何かしら「ちゃんと」読んでくれているのだ。「実はあなたの文章を読んでて、好きだ」と言われることが多い。いや、嘘じゃなくて。虚勢じゃなくて、本当なんだって。

でもやっぱり、だからこそ彼ら・彼女らは愛されているのだ。ちゃんと自分以外の人々に目を向け、体を傾け、言葉を投げかけているから、愛されている。「あいつが妬ましい」「あいつを出し抜く」なんてとげとげしく思っているうちは人も犬も猫も寄ってこないのである。

今日も今日として眩しいあの人に白旗を上げ、生きている。後光さすあの人越しの薄明りに照らされ、教訓にする日々だ。

妬むくらいになら「うらやましい」と言ったほうがいいし、不甲斐なさに歯ぎしりするくらいなら甘噛みしてでも「好きです」と言ってみよう。掲げた白旗が後光をはじいて、小さな私をやわく照らしてくれる。

aki kawori | Twitter

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