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SNS依存症・いいね中毒の脱出劇

遅くなりましたが、今週の投稿をしていきたいと思います。
夜の時間帯の初投稿。表題のままの内容ですが、よろしくお願いします。

実は今回のテーマ
「私の趣味」
とのことです。なかなか間口が広いけど、私にはその点書きたいことがあったので、助かった。夫よ、ありがとう。

私には現在趣味がありません。年齢で言うとおそらく25歳の頃、趣味としていたものに興味を持たなくなりました。いやいや、趣味失うの早すぎないか?と我ながら思いつつ、詳細込みでお話ししていきたいと思います。

まず、私の趣味(と、言えるもの)は約8、9年間「コスプレの被写体、ポートレートの被写体」でした。現在コスプレイヤーが職業の方もいて、偏見も少なくなったと思いますが、当時はまだ嫌悪というか、苦手意識を持っている方は多かったように感じます。
あ、私は生粋の元オタク(腐女子の方)。コスプレにハマったのは高校生の頃、友達から誘われて始めました。そして徐々にのめり込み、数多くのコスプレ会場・スタジオ・ロケ地を訪れました。その中で出会った人たちと友達として普通の会話をしたり、好きな作品を共感し合うのがとてもとても楽しかったんです。コスプレを始めた頃は1つイイネがくるだけで飛び上がって喜んでおり、最初は純粋に好きなものを自分で表現するってとこで済んでいたのです。しかしある日『認められたい』という心に変わっていったんです。「イイネが少ない」「みんなに見てもらって褒めてもらわないと意味がない」と思うようになり、イイネをもらうゲームのようになっていったんです。
このキャラのここが好きって皆さんあると思うんですが、私はその時点で「私は自分自身が好き」になっていたんです。元々自分に自信あり人間だったんですが、SNSを通して加速した感じです。キャラに寄せてメイクをしたり、アニメの作風に合わせて衣装の風合いを変えたりなど、こだわり抜いたものを作るのが楽しい世界を、一人はみ出してしまったんです。

そこで版権への愛がないことに気づき、コスプレをやめポートレートの世界へ歩みを進めました。インスタグラムを始めたばかりで、コスプレをやっている期間にカメラマンさんに撮っていただいていた写真を数点載せたところ、多くのイイネが。インスタグラムで有名なカメラマンさんからも声をかけてもらえるようになり、かなりタイトなスケジュールで無償の撮影を入れていました。この頃の私は「私って人気者や」と調子に乗っていたんです。自分の投稿、カメラマンさんの投稿に届くいいねや、海外の有名アカウントにフューチャーされることで承認欲求を満たす、その繰り返し。いわば、SNS依存症・いいね中毒のようなことになっていたんです。
他の被写体の方の投稿を見て「あーこの人なんでこんな表情なんだろ。あともっとポーズ変えたらいいのに。私の方がいろんなことできるのに」なんて思いながら眺めていたんですね。今思うと何様だって感じですが…あの頃の私は無双モードだったんです。マリオのスターを取った感じが続いていたので、痛い勘違いにも気づかない。いや、気付けない状態だったんです。

まあ、当時を振り返るとやべーやつだったことは確実。悔しいけど、そこそこに受け止めています。

少しスペックを話しておくと、
私は二年ほど前に気づいたんですが、HSPのようです。周りのことがすっごく気になる、嫌な思い出は月単位で引きずる...など、神経質なタイプ。そして自尊心も高く、自分のコンプレックスを人にさらけ出すことができない。今思えば袋小路な性格だったと思います。それが災いして、SNS依存になったのかも、と。
余談ですが、現在はセルフマネジメントできるようになっています。そのことは過去の記事でもちょこっとお話ししていますので、よかったらどうぞ!

コスプレより前は絵を描き、褒められることまでが趣味だったと思います。褒められることや賞をもらうことが大好きで、注意されることが本当にダメでした。当時、注意されればこの世の終わりかってくらい落ち込んでいたものです。
結局、絵の世界では行動範囲を広げるうちに「芸術分野は、上には上がいる」を知り、コスプレに移ったように思えます。変わらないのは「褒められたい」という承認欲求だけ。

そしてノリに乗っていたポートレートのピリオドを打ったのは、恋愛でした。そう、私は正真正銘の

友情と恋愛を両立できない女

だったのです。本当、テンプレのような女だったんですよ。
でも、このテンプレのような性格のおかげで知ったことがあるんです。それは

認められなくても生きていける

です。普通の人からしたら当たり前だったんですが、SNS依存症・いいね中毒の私には気付けないポイントだったんです。
当時お付き合いしている人に「写真UPしたらいろんな人に見られちゃうねー」とヤキモチ?を妬かれたのが発端です。恐らく深く考えずに出た発言だったんでしょうね。そして、恋愛依存な私が取った行動は

「本日を持ちまして、こちらのアカウントは削除いたします」

突然のインスタグラム引退投稿、贔屓にしてくださっていたカメラマンさんも驚愕。友達からも何度か引き止められたりしましたが、当時の恋愛依存気味の私は視野が10°ほどしかなかったので、振り切ってアカウントを削除。これでヤキモチ妬かなくて良くなったね!と晴れやかになったんです。
という経緯を経て、アカウントを削除したことによりいいねの数を気にしなくなりました。というか、気にする畑(不安要素)がなくなったんです。

Q. え?ハココさん、今まで何を気にしてたの?
A. いいね貯金が貯まっていくことを気にしていた。
Q. じゃあそのいいねが何になるの?それに価値があった?
A. リアルタイムでは自己顕示欲が満たされていたが、数日後には価値がなくなっていたように思う。
もしかしたら仕事につながるケースもあったかもしれないが、今思うと自身の能力やスペックは知れていた。フォロワーは結構な数いたが、結局展望のないアカウントだったように思う。そのため、価値はゼロに近いものとなった。

恋愛がなかったら、私のあの軽率なアカウント削除はなかったかも知れないんです。ずっとそのアカウントにしがみついて、自己陶酔していたんじゃないかなって。今思うと本当に寒気ものです。

と、いうことで私の趣味(だと思っていたこと)は自己顕示欲・承認欲求でできていたという話です。うまく趣味と向き合えている方が本当に羨ましく、長くその趣味と付き合えている方を尊敬しています。
本来の趣味って「依存」「中毒」「無理」がないものだよなって思います。のらりくらりでもいい、できないことは無理しない、多少満足できなくてもいい、誰からも理解されなくても自分が信じてたら続けたらいい、そんなものじゃないかなって。

例えばですが、ゴルフやテニスを趣味でやっている人はうまくなるように練習をしている。でもそのうまくなるようにはきっと「プロになる!」とまではならない人が多いし、「昨日の自分よりうまくなろう」と前向きになっている人が多いんじゃないかって。

・依存すると感動や楽しいという純粋な気持ちを見失う。
・中毒になるときっと体に良くないし、やめられない。
・他人と比べることは、自身に無理を強いることになる。

当時を振り返ると、まさにアンガーマネジメントができていない人間だったんです。ストレスに対して承認欲求(いいね)を盾をして生きていたんです。私にはこんなにいいねがあるし!って。心の逃げ場だったのかな。

しかし、いいねをストレスの吐口にすることも一つの通過点とも思うんです。上記で述べたことは私の黒歴史として話していますが、今となってはある意味いい思い出です。過去の私を見ることによって「こんな人もいるよな」って思えるんです。人って、基本的に褒められたいよね、怒られたくないよねって。今回書いたことを経たことで、自分を褒めてあげるように人を褒めてあげたいと思えるようになったんです。
当時の私は人の頑張りを見ても純粋に褒められない、心の奥ではケッ!と思っていたんです。でも今はなかなかできないことしている人や、私以上に頑張っている人を純粋に すごい!素敵!と思えるようになったんです。こうなったのも、過去の私がいたから。平たく表現すると、ドス黒い感情ばかりの自分は誰も愛してくれないって、気づいたんですね。そして、素直に生きていく方が何倍も何百倍も自分自身輝いていけるよなって。

友達が言ってたんです。
「他人と比べるんじゃなくて、昨日の自分より今がいいならいいんじゃない?」って。
私の場合、「過去の自分より今がいいならいい」と置き換えて、座右の銘としているところがある。そう、あの頃の私はもう心の中で小さくなっている。完全にいなくなることはないけど、今は他にずっとずっと大切なものができたから、あの頃の承認欲求が完全復活することはないと思う。

先週の私より良いアウトプットできてたらいい。

欲を言えば、一人でもいいから共感して、心の中で頷いてくれてたらいいなって。

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