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キメラのいた系譜 第三部 8(最終話)

←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部7"  あの、テロ組織最高司令官となった彼は、自らの妻キタハルが自ら命を絶った理由を知れなかったのと同じく、また彼女がいつ死んだのかも知らなかった。一回目の地下鉄毒ガス事件のもたらした結果にショックを受けた彼は、部下からの連絡を一切無視してしばらく家族のいる自宅に引きこもっていたが、ある夜に妻と同じベッドに入って眠り、翌朝目覚めてみると、彼の妻は、既に傍らで静かな永遠の眠りについていた。彼女自身が以前より服用していた

    • キメラのいた系譜 第三部 7

      ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部6"  水泳部の活動がお預けとなっていた、絶望的に長い秋冬を超え、中学二年生となった彼は再び抗いがたい幸福を感じていた。ゴールデンウイーク明けに、久々に集まった水泳部員たちによって学校の屋外プールの掃除が行われたが、数か月ぶりに同期や先輩たちとまともに顔を合わせ、自らの胸に溢れた幸福感がまさかと思うほどに凄まじく、自分でも一人で目を見開いてしまうほどに驚いていた。また夏が終われば、再びそれを失うことになると思うと恐怖

      • キメラのいた系譜 第三部 6

        ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部5"  ある一人の男がキタハルとの間に息子をもうけた、しかしその男は、いざ自分の息子が生まれるという時になっても、自分がなぜキタハルと結ばれることになったのかを全く理解できていなかった。彼女が自分を愛していないことは明らかだったし、また男の方も彼女を愛してはいなかった。彼女と結ばれて以降、男には常にそういった謎が付き纏っていて、それが解けることはついになかった。 「最後の戦場でお前に口づけをされたあの瞬間から、俺の人

        • キメラのいた系譜 第三部 5

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部4"  彼の進学した中学は第二志望の学校だったが、それでも偏差値の上では都内で二番目の、十分な進学校だった。中高一貫校で、高校において成績優秀な生徒は半ば強制的にアメリカへの留学を勧められ、そこで半年間を過ごした。後の人生においても大いに役立つと思われる下品なスラングを大量に身につけ、胸を張って帰国した彼ら彼女らは、ほとんどが国内の最高学府か、アメリカもしくはイギリスの私立大学へと進学していった。  彼がその中学に進

        キメラのいた系譜 第三部 8(最終話)

          キメラのいた系譜 第三部 4

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部3"  それから四ヶ月経っても、彼と彼の友人の仲が修復することはなかった。年を越し、中学受験の本番を一か月後に控えた彼は、他の中学受験組と同様、受験を終えるまでは学校を休むこととなった。朝ベッドで目覚めてから、その日の最後にまた同じベッドに収まるまでの一日中、自室に閉じこもり、机に向かって入試の過去問を解いていた。時折家の外に出ることはあっても、それは塾に通うときだけだった。今この瞬間にも自分は、子供としての大事な何

          キメラのいた系譜 第三部 4

          キメラのいた系譜 第三部 3

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1" ←"第三部2"  それが起こった当時、彼はまだ小学六年生だったが、あの最も親しかった友人に関する出来事で、彼が老衰で死ぬ間際になってもはっきりと覚えていた事件がある。彼と友人が生死をかけた決闘をするのはそれから僅か二年半後のことだったが、小学六年生の頃の彼らは、まだ互いに親友と言ってもよい間柄だった。あの日、受験勉強に関して覚醒して以降、彼は大切な何かを失ったが、同時に勉強における苦悩は完全に消え去っていた。友人も同じような境

          キメラのいた系譜 第三部 3

          キメラのいた系譜 第三部 2

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第三部1"  六月のある水曜日、彼と友人は下校途中にその文房具店へ寄っていた。店先にしゃがみ込み、以前よりそこで腹ばいに寝そべっている黒猫の背を、二人で機械的に撫で続けていた。そうしていれば、家に帰ると待ち受けている塾の問題集の存在を一時忘れることができた。気が付けば五分間ほど無心で猫を撫で続けていた。彼は不意に尿意に襲われ立ち上がった。店の中へと入っていき、暗い奥で新聞を読んでいた店主の老人にトイレを貸してもらえないかと頼んだ。老人は黙

          キメラのいた系譜 第三部 2

          キメラのいた系譜 第三部 1

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部8"  生まれた直後からその身に緑色の化け物を宿していた父親が、自分の体の特異性に気が付き始めたのは中学二年生の頃、放課後にトイレの便器の前に立って用を足しているときだったが、対してその息子が、自分の体の特異性に気が付いたのは、まだ小学四年生の頃だった。ある初夏の午後の昼休み、尿のすえた臭いの充満する男子トイレの便器の前に立ったときに、緑色の尿が出たのだ。自分の性器から勢いよく噴出している緑色の液体を見て、さすがに始めは驚いたが、し

          キメラのいた系譜 第三部 1

          キメラのいた系譜 第二部 8

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部7"  目覚めたとき彼は、明るい病室のベッドに横たわっていた。傍には若い女の看護師が立っていた。クリップボードを持って、滑らかにペンを動かしながら何かをメモしていた。彼が目を開けたのに気付くと、看護師は彼に笑いかけた。 「戦争は終わりましたよ」  そう言うと、看護師はそっと彼の肩に手を置いた。 「あなたの体の中の化け物も、ようやく死んだらしいわ――良かったわね。これであなたも、もう戦わなくて済むのよ」 「まだ死んでないよ」彼はまだ寝

          キメラのいた系譜 第二部 8

          キメラのいた系譜 第二部 7

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部6"  最後に戦闘に巻き込まれてから五日後、彼とキタハルは千葉の銚子に到着した。夕暮れ時だった。空全体は驚くほどの鮮やかさでオレンジ色に染まっていた。銚子市は海に面していたはずだったが、二人が辿り着いた場所は内陸寄りで海から遠く離れていたために、少しも潮風を感じることはできず、ただ辺りの空気が妙に湿っぽいだけで全くの無風だった。今やキタハルの唯一の肉親らしい彼女の伯父は、廃校になった県立高校の校舎に暮らしているらしかった。それも、血

          キメラのいた系譜 第二部 7

          キメラのいた系譜 第二部 6

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部5"  彼にとってその旅は、天国と地獄が複雑に入り組んだような、何とも言い難いものとなった。有難いことに雨に降られることはなかった。本来であれば半日と少しで終わるはずの旅だったが、彼らは旅の不慣れと、途中不運にも戦闘に巻き込まれたせいで、目的地の銚子に辿り着くのに丸々二週間もかかってしまった。初めのうちは酷いものだった。エンジンのかけ方は分かった、乗り始めてすぐにライトを点けることも出来たし、アクセルとブレーキの理屈も分かったが、運

          キメラのいた系譜 第二部 6

          キメラのいた系譜 第二部 5

          ←"第一部1" ←"第二部1"  ←"第二部4"  緑色の化け物をその身に宿す彼は、長雨の間も戦場へ駆り出され続けた。彼の体に宿る双子の弟もまた、テロリストたちと同じ様に、悪天候のせいで兄の体の内側から光合成をすることが出来なくなっていたが、その問題は、庁舎の特別施設に特殊な機材を設置することで解決された。その機材とは、やはり省内の研究者が日焼けサロンで使われる日焼けマシーンを改造したもので、光合成の効率性について最適化された、疑似日光浴を可能とする画期的なものだった。それ

          キメラのいた系譜 第二部 5

          キメラのいた系譜 第二部 4

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部3"  初めて戦場へ連れ出されたときのことを、彼は、百二十歳を過ぎて老衰で死ぬ間際になってもはっきりと思い出すことができた。脅しで銃を向けられていた恐怖よりも、怪物じみた、真っ黒い巨大なヘリコプターが突然空から舞い降りてきた衝撃に流されて、彼はあの夏の日、やはり突然のヘリコプター襲来に呆然としているキタハルを置いて、そのままヘリに乗り込んでしまった。これから自分は、テロリストと戦う戦場へと連れて行かれるのだということに気が付いたのは

          キメラのいた系譜 第二部 4

          キメラのいた系譜 第二部 3

          ←"第一部1" ←"第二部1" ←"第二部2"  彼の父親は、自分の息子がテロ攻撃に巻き込まれていたことを一切知らなかった。モール内で、悪魔が自らの存在を示すときのような化け物の叫び声と、いくつもの銃を撃ち鳴らす音が響いたと思ったら、状況はしんと静かになってしまった。特別な任を帯びた警察の部隊員たちは、モールの出入り口、大小合わせて計十一か所全てを見張っていたテロリストたち全員を、それぞれ五百三十メートル離れた位置から一斉に狙撃した。先の戦時中に司令の弟が開発したあの銃弾、

          キメラのいた系譜 第二部 3

          キメラのいた系譜 第二部 2

          ←"キメラのいた系譜 第一部 1" ←"キメラのいた系譜 第二部 1"  小学校が爆破されて、世の中が多少どころではなく騒がしくなっていたとしても、ついにキタハルと言葉を交わせるようになった彼にとっては全くどうでもよいことだった。せいぜい話の種になる程度のものだった。初めて言葉を交わして以降彼は、相変わらずどのタイミングでどのように声を掛けるかについては前日から心の用意をしている必要があったが、しかし回数を重ねるごとに、前日の彼が予め覚悟しておく、彼女との会話時間は次第に長

          キメラのいた系譜 第二部 2

          キメラのいた系譜 第二部 1

          ←"キメラのいた系譜 第一部 1"   体の内側に緑色の化け物を寄生させているが故に、彼は、果たして自分を夫として受け入れてくれるような女性がこの世に存在するものなのか、さらには、仮にそういう女性がいたとしても、その女性との間に生まれてくる子供というのは、何か自分のそういう特異な体質を受け継いでしまったような、異常を持った形で生まれてくるのではないかという不安を常に抱えていた。しかし、彼は二十六歳のとき見事にそれらの不安を乗り越えてみせた。  そもそも彼が自分の身体の異変に

          キメラのいた系譜 第二部 1