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「遊園地」 けっち

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Photo by Jens TheeB on Unsplash

遊園地といってすぐに思いうかべることが3つあって、ひとつは妻といったUSJ(テーマパークも遊園地といいのかな?)、そして神戸で育った者としての「神戸ポートピアランド」。最後にイヴ・モンタン主演の映画「ギャルソン!」。

USJやポートピアランドはともかく映画ってどういうこと? と自分でも不思議なのですが、僕のなかで遊園地=イヴ・モンタン=ギャルソン! のつながりが自分が思っている以上に強くて、まさか15年前くらいにDVDで1回みただけのこのフランス映画のことをこんなに思い出すなんて、出会いって不思議ですね。

さらに言えば、イヴ・モンタン主演「ギャルソン!」がどんな映画なのか、と誰かに語ろうとしても、いまいちピンとこない。というのも、僕はこの映画のラストシーンをまったく覚えていないのです。

ではなぜ「遊園地」とこの映画がこんなに深く結びついているのか……それは、映画にでてくる主人公イヴ・モンタンが「俺の夢は遊園地をつくること」といって、カフェのウエイターをしていたからです。主人公はウエイターで貰う給料を貯めて遊園地をつくろうとしていたわけです。なぜなら、自分のつくった遊園地に子供が集まるのをみたいから。

……と、これだけ書くとなんじゃらほい、な話なのですが、実際に主人公は父親か爺さんか忘れましたが広い土地を相続しているんですね。だからあとは遊園地をつくっていくだけ。土地がある、という設定があるぶん幾分現実的ではありますが、それでもウエイターの給料だけで遊園地をつくる、というのはなんだかのほほんとした夢ですよね。

そうか、遊園地に子供が集まる夢を実現するために主人公が頑張る話なのか! と言い切れると映画の目的もハッキリして、わかりやすい映画になるのですが、この「ギャルソン!」は遊園地をつくるためにがんばる、というより、まずすでに60ちかいけっこう年をとってるわりにメチャクチャ動きにキレがあるダンディなイヴ・モンタンが若い女性や金持ちの夫人やらと恋愛したかと思うと、ウエイター仲間の小太りな若者と同棲していたり、遊園地の夢はダラダラしていて、ずっと彼のそれほど冴えないパリの生活が描写されていく。それで肝心の遊園地ができたのかどうか僕はあんまり覚えていないんです……。

それなのになぜ覚えているのか? なぜ遊園地といえばたった1回15年前くらいにみたきりの映画が頭にうかぶのか。それは……無駄という名の優雅な時間の使い方がぞんぶんにこの映画のなかに流れていたからだと思うのです。

夢は遊園地をつくる! 
子供の笑顔がみたい! 
よし夢のためにお金をためよう!

……もしこういう映画だったとしたら、3行で内容が言えますよね。だから映画をみてもハッキリあらすじを語れるし、理解もできる。でも、なんだか企業CMみたいじゃないですか? あるいは雑誌の特集記事を読んでるみたいな、何も考えなくても「自動的」にスタートからゴールまで運ばれていくパッケージツアーみたいじゃないですか?

遊園地をつくるんだ、と一応いっておきながら、延々と色んな女たちに声かけて、どの恋もそれなりにいい雰囲気になるのだけど結局「いいひと」で終わりつづける主人公の冴えてるのか冴えてないのかわからない人生描写。あらゆるシーンが遊園地をつくるという夢物語にとって無駄であり、寄り道であり、構成も狙いもユルユルにしかみえない映画。だけどその無駄がたっぷりと無駄であるからこそ浮かびあがってくるイヴ・モンタンの華麗なる「フォークを並べる仕草の美しさ」だったり、シャツを着る場面のカッコよさだったりそういうことが強烈に印象にのこって、なぜかあんまり覚えていない「遊園地のシーン」が幻影のように僕のどこかに残り続けている……。今日もありがとうございます。

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