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WATERSHED

〜はじめに〜

 ここの記事を書いたり本を書き始めたきっかけは『ブラック企業』でした。会社がなぜ、ブラックになるのか? その原因を探していて、結論は脳の障害/疾患だと考えています。

 ・発達障害
 ・愛着障害
 ・人格障害
 ・精神疾患

 どれでもいいですけど、これらはに原因があります。
 ブラック企業がブラックになる原因を探っていくと、これらの障害/疾患の症状と見事に一致するのです。脳の障害/疾患が、会社をブラックにしている原因なのです。

 これらの障害の症状は、一般人からすると”謎”でしかありませんが、専門医からすると”当たり前”のことなのです。その人たちの言動はすべて”症状”だからです。障害/疾患の症状が出ているだけなんですね。

 であれば、素人があれこれ言う必要はありません。専門医が診れば一発で解ることですし、精神医学だか心理学だかの本にそのまま載っている人たちですから、専門医からすれば、解明し終わっている問題なのですよ。
 とっくの昔に解明され終わっているのです。”謎”でもなんでもない、ただの症状です。

 ・大声で喚き散らしている
 ・嫌がらせをする
 ・仕事と称して付きまとう

 これらの行動はすべて解明され終わっているものです。
 中には”暴力的な人”がいますけど、これは心理学では『ソシオパス』になりますね。心理学の本に載っています。わざわざ素人が解明する必要はありません。ちなみに『サイコパス』は、ソシオパスの一種ですね。両者の違いは大まかに、
 ソシオパス… 暴力性を隠せない
 サイコパス… 暴力性を隠せる
と、なります。現実では世話の焼ける人たちですが、心理学では”初歩”でしょうね。素人の私が知っているくらいですから。
 なにより、解明され終わった問題に興味はないのですよ。専門家が解き明かしているものを、素人がわざわざもう一度解く必要はないのです。
 会社がブラックになる原因はもう解決したので、あとは専門医に見てもらえとしか言えません。病院に行ってください。一般人がこれに対応するのは不可能ですからね。

 さて、脳の障害は専門医に任せて、今回も”思考”の練習をしていきましょう。





【普遍】
全体に広く行き渡ること。
例外なくすべてのものにあてはまること。

Skid Row - Monkey Business

「50歳になった時、20歳の時と同じように世の中を見ているなら、人生の30年を無駄にしたということだ」

プロボクサー モハメド・アリ

定量と定性

何かを”測る”とき、『定量』と『定性』の2つのやり方があります。それぞれ、

 定量… 物事を数値化できる
 定性… 物事を数値化できない

『調理』を例に取ると、初心者は先ず、定量化してグラムなどが分かっている”レシピ”通りに作ります。食材の量をレシピのグラム通りになるようにして調理しますね。そこから徐々に『目分量』が判るようになります。何度も何度も量っていると、見た目だけでおおよそのグラムが判るようになるので、目分量で作れるようになるのです。

 そして、この目分量で作ることが『定性』への入り口なのです。最初は定量的に計っていたことが、計らずとも”感覚”で判るようになる。これが『定性』です。
 ここで大事なことは、最初から定性ではない ってところです。

 定量 → 目分量 → 定性

と、この順番でできるようになっていくのです。

 定量のときには正確な分量ですが、目分量になると僅かにブレることになります。しかし、測る行為がなくなるので、仕事がスムーズに流れるようになります。目分量でブレることに問題はありません。というか、それが普通です。最後の『微調整』はそのためでもあるのですよ。目分量でブレたものを整えるための『微調整』です。
 達人は簡単に微調整をしていますが、ここまでくるには相当の修練が必要です。

 さて、ここでちょっと気になること… というか、聞きたいことが2つあります。先ず1つ目は、
「この”順番”を守って教えていますか?」
ってことです。
 というのも、個人的な経験上、逆行して教えている人がいるからです。

『微調整』は最後の最後にできるようになるのですよ。ところが、その微調整から教えている人がいるのです。最後のものを最初に教えるのですから、これは逆行ですね。今までの記事で取り上げてきた『視点の相転移』が起こっていない”弟子の視点”、あるいは『狂言ぶす』の”太郎”です。
 繰り返しますが『微調整』は最後です。だから、最初に教えてもできるわけがないのですよ。そもそも定量も定性もできていないのに、一体何を微調整するんですか? って話です。

 学問の『論理学』では”逆もまた真なり”となる場合がありますが、これに関しては『逆は偽』になります。
 逆行した教え方では、会得するまでに通常の数十倍の時間を要しますし、下手をすると永遠に会得できないなんてことも起こるでしょうね。

 そして、聞きたいことの2つ目は、逆行して教えている人たちは、上述のことを判った上で教えているのか、判らないで教えているのか? ってことです。
 順行の順番通り教えれば1ヶ月でできるようになることが、逆行して教えるだけで1年にまで伸びることがあるのですよ。そこまでかかる時間が”増える”んですね。で、これを、

 判った上で、逆行して教えているのか?
 判らないで、逆行して教えているのか?

と、聞いているのです。
 私が激しく興味を唆られるのは前者の人たちです。後者の人たちもサルですけど、まぁ教えればいいだけなので。後者の人には、
「教え方が逆行になっちゃってるので、順行で教えてくださいね〜」
と言えばいいだけですからね。

 前者の人たち、成長が遅れることを知った上で逆行して教えている人たち、所謂”カス”ってやつです。これは見ようによっては『会社に損害を与えている』とも言えます。成長が遅れるのですから、そう捉えることもできますよね。

(このカスどもに興味津々なんよな〜🎵)

 で、判った上でですか? 判らないでですか? どちらですか? どちらでもいいですよ。そのように対応するだけなので。
 判った上… カス
 判らない… サル
ってことです。

 判った上なのか、判らないのか、どちらですか? と聞いているのです。

 新人に対して最初から「点で狙え」と言うのも同じですよ。最初は”面”でいいのです。面でさえ当てられないのに、最初から点で当てるなんてできるわけがないですからね。「点で狙え」と言葉にしていなくても、相手がそう捉えてしまう言い方をしても同じことです。

 わざと相手が勘違いしてしまう言い方をする。

 これは無言で不機嫌になっているおっさんも同じですね。幼稚園児です。
 仕事をしていくと、同僚と”お見合い”になったりすることがありますよね。こっちがやろうとしたことを相手もやろうとしてしまって”お見合い”になってしまう。これもわざとやっている人がいますね。相手に「ミスった〜!」と思わせることで罪悪感を抱かせ、自分を優位な立場にしたい人がやります。なんていうか”セコい”んですよ。まぁこれも人格障害の1つでしょうけど。

(学童保育かな〜...)

 そろそろやめた方がいいですよ、お母さんのおっぱいを吸うのは。
 機嫌が悪くなると、机を蹴ったり叩いたりする人は、子どもの頃にも同じように机を叩いたり蹴ったりしていた人なのです。そういう子どもって小学生くらいのときにいましたよね。それが治らないまま、大人になったのですよ。脳の障害が治らなかったのでしょうね。

(かわいそうに...)

 物事を”逆行”して教えてしまうのは、わざとそうしている場合もありますが、無意識でやっている場合は、脳の神経回路が”逆”につながってしまっているのです。こういう人は犯罪者になる傾向も強いのですが、天才的な発明をすることもあります。

 どんなものも一長一短ですね。



(ギブズの『分配関数』に対して)
すべてがそこをめざして登ってゆく。
あるいは、すべてがそこから流れ出してくる。

物理学者 リチャード・ファインマン

独創と普遍

 会社がブラックになる原因を探っていく中で、意図せず、脳の構造で気づいたことがあります。いろんな分野の本を読み漁っていくと、とある”共通項”が浮かび上がってきました。

 各分野で、”鏡”や”逆さま”のような現象があるのです。

 数学・物理学 → 補元・対偶
 科学・仕事 → 逆転の発想
 心理学 → 鏡像段階
  ・
  ・
  ・
 どれも”鏡”のような操作をしますよね。
 で、これらの各分野は”具体”ですから、そこから共通するものを抜き出すことは抽象化すること、言い方を変えれば『普遍』を知ることになります。まったく関係がなさそうな違う分野でも、同じ構造が見つかるのです。

 ということは、これは人間の脳そのものにある構造なのではないか? と考えました。人間の脳が”鏡”のような構造になっているのではないか… と考えたのです。数学者クロード・シャノンが作った”電気回路”には『反転回路(NOT回路)』がありますし、哲学者のエルンスト・カップは、
『ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投射である』
と言いました。
 あるいは”視覚”は、目から入った像が、最初の神経細胞では上下左右が逆になっていて、次の細胞では元に戻り、次ではまた逆になり、その次は元に戻り… を何度も繰り返して後頭葉にたどり着いたときに、正常な像を結ぶようになっています。

 もしそうなら、人間が関わる物事すべてに応用の効く考え方になりますよね。
『ヒトは、物事を”逆さま”にして捉えることがある』
 たとえば師弟関係の”視点の相転移”では、師匠の視点は”繁栄の回転”であり、弟子の視点は”滅亡の回転”になりました。

 この前提に立てば、自分の考えを相手に伝えるときや、相手の考えを知るときに役に立つのではないでしょうか。この考え方の良いところは”分野を問わない”ってところです。人間の脳にあるものですから、人間が関わるなら、それらすべてに含まれているからです。

 ところで、政府が『数学』を推しています。理系の人を増やしたいのでしょうけど、今、私が述べている普遍を見つけ出すこと、

 複数の具体から、共通する抽象 = 普遍 を見つけ出す

 これは理系の十八番、まさに『真骨頂』と言えるものです。でも、いまいちそれができていないように感じるのです。

 理系といえば、学問では『科学』、仕事ではIT企業などでの『仕事のアイデア』になるでしょう。それらに関わる人たちはもしかしたら、逆転の発想から生み出される”独創”をやろうとしていませんか? 誰にも思いつかないようなオリジナリティのあるものを目指しているのではないでしょうか。それは良いことなのですが、”独創”というものに力点を置くと、

となって、1つの分野でのみ求められていることになるのです。まぁ、科学と仕事、の2つでも良いですけど。

 物理学では『より広い範囲に適用できる理論が”上位”の理論だ』と言われます。その理由は、より根源的なものになるからです。適用できる範囲が広いことは、すなわち、各分野に関わる人たちすべての手助けになるということです。

 科学の分野の”中”の話ですが、ジョサイア・ウィラード・ギブズという人がいます。1839年アメリカのコネティカット州生まれの田舎育ちだそうですが、この人の功績は尋常ではありません。当時から現代に至るまであらゆる科学の各分野 = 化学・物理学・数学・熱力学(≒ 量子力学)・統計力学の”礎”となっているのです。ギブズが考え出した数式・概念が、各分野での現象を説明する理論を構築する上で、大いに役立っているのです。というか、教科書にそのまま載っています

 詳しく知りたい方は『エントロピーをめぐる冒険 鈴木炎 講談社ブルーバックス』を読んでみてください。私では到底説明できませんからね。著者の鈴木さんのユーモアを交えた文章は、文系の人でも楽しく読めると思いますよ。

 ここで言いたいことは、独創より普遍を探す方が先じゃないですか? ってことです。

 どんなに頑張って独創を作ったとしても、他分野を見てみるととっくの昔に同じことをやっていたとなっては意味がありません。なにより現代の人は『分担(≒分断)作業』に慣れすぎていて、
 知の人は、行が足りない
 行の人は、知が足りない
と、なっています。
 そんな状態で作る独創なんてたかが知れているのですよ。全体の”半分”しかやっていないのですから、当然です。自分の分野以外のことを知らずに作った独創は、自分の分野にしか使えないことが多いでしょう。まさに自分さえ良ければいいって考え方ですね。

(俺が満足!
俺を満足!
俺の満足!)

 しかも、もし自分の分野にしか使えないものを、他の分野に”無理やり”当て嵌めようとすると、ただの押しつけになりますし、まるで自分が正しいことを認めてもらいたい子どものように見えることもあります。

(俺は俺は俺は正しい!)

 自分だけではなく、他人の役にも立ちたいのであれば、他人の分野のことも知ること、すなわち目線を”横”に広げることです。逆転の発想による独創ではなく、逆転の発想に相当するものを他分野から見つけ、同じ構造に気づき、普遍を見つけ出すことが大事だと考えます。

 会社だったら、

政府だったら、

ってことです。
 一応、”逆さま”にした図も載せて、『基礎と応用』も表しておきましょう。

 政府に関してはデジタル庁があるので、そこの職員は理系が多いでしょうし、DXが推し進められているなら、いろんな会社で理系の人を採用していると思います。だったら、複数の具体から共通する抽象を見つけ出すことは、その人たちが今まで散々やってきたことですから、それをそのままやればいいだけなのですよ。

(「どうした? これはキサマの領域だろう?」
グラップラー刃牙 烈海王)

 独創というものに囚われすぎて、何か”特別”なことをやらなきゃいけないと思い込んでいるのかもしれません。いやいや、今までやってきたことをそのままやればいいだけです。

 ここの記事では『積分思考』とか『変換学(metamorphosology)』とか言ってきましたけど、共通の構造、普遍、俯瞰像 を見つけ出すことは、中枢を担う人や上層には”必須”の能力です。そしてそれを”教える”ことも本社(上層)や内閣(中枢)の仕事です。まぁでも、株価が4万円になったり、円が¥150になったりしていろいろ忙しいのかもしれないので、今回は大目に見ておきましょう。

(フフン 🎶)

 独創のための逆転の発想は、『天才の大発見』などで使われる思考ですけど、ロジックそのものは”ひっくり返すだけ”ですから、そんなに難しいものではありません。とはいえ、なかなかできませんけどね。
 でも、ひっくり返すだけでいいのであればAIでもできるんじゃないですかね。というか、これぞまさにAIの”十八番”みたいな操作じゃないですか。逆転の発想は、ロジックさえ判れば、それが使えるか使えないかは別にして、AIはすぐに答えを出せるでしょう。

 それより気になるのは、AIは複数の具体から共通の抽象(=普遍)を見い出すことができるか? ってことです。つまりAIに、
「AとδとXIに共通する構造(=原因)は何か?」
と聞いて、答えが返ってくるかどうかです。

 私はAIは使ったことがないので判りませんが、もし答えが返ってくるなら、すぐに仕事で使えますね。もし返ってこなかったとしたら、それを見出すのはまだまだ人間の仕事ってことです。AIの進化は速いようですので、それもいつかはAIができるようになるかもしれませんけど。

 各部門や省庁の問題の”共通の普遍”を見つけ出し、それらが確認できるシステム… みたいなものがあれば、相当仕事の問題が解決できるのではないかと考えました。問題を解決するのではなく、問題の”構造”の方を見直す… ってことです。
 イメージは、

 こんな感じですかね〜。
 右側にモチーフの”富士山”と”雲”も載せておきますね。そういえば、富士山に雲がかかることを何て言うんでしたっけ? 笠? 笠雲? なんか呼び方があったような… 。

 独創… 独占、独裁
 普遍… 共有、共栄

 ヴァイオリニストのニコロ・パガニーニは、

私にとって作曲は決して簡単なものではない。芸術において大切なのは多様さの中における完全な調和であり、それを達成するのは非常に難しい。

ヴァイオリニスト ニコロ・パガニーニ

と言いました。
 調和 ≒ 普遍 を見出すことは相当難易度が高いので、パガニーニほどの天才でもなかなかできないことなのです。でも、なかなかできないと解っているのに、やるしかないのが”おっさん”の辛いところですよね。

(男は辛いよ〜🎵)

 現代の社会/会社に必要なのは、独創と普遍、どちらだと考えますか?



Aerosmith - Dude (Looks Like A Lady)

人生は解かれるべき”問題”ではなく、経験されるべき”現実”である。

哲学者 セーレン・キルケゴール

意識 = 五感の収束

問題… 紙の上… 視覚だけ
現実… 実践… 五感すべて

 AIが出てきたので、よく話題になる”AIの意識”について考えてみましょう。実はこれは”人間の意識”にも関わってくることなのです。
「AIに意識はあるか?」
と聞かれたら、私は「ない」と答えます。

 AIが返してくる答えは、相手の問いに適切な反応をしているだけだと思います。そして、そういう人間がいるからです。こっちが言うことに何も考えずに口だけ動いて返事をしている人っているじゃないですか。AIがやっていることは、まさにこの人と同じことなのですよ。ここで、
「でもその人は答えているのだから”意識はある”。だからAIにも意識はあるかもしれないじゃないか」
とか考えました? ブッブー! それは不正解です。なぜなら、その答えている人は何も考えていないからです。反射だけで答えているんですね。

(どっかで習ったんやろかね〜🎵)

『何も考えずに反射だけで答える』

 これはまさに意識がないと言えるのです。反射で答える人には意識がない、であれば、AIにも意識はありません。

(あるいは”猿”やな)

 ちなみに反射で答える人は”早口”な傾向がありますね。それと”反射”なだけあって、こっちが言うことに間を置かずに返してきます。こっちが言ったことを咀嚼して理解するための間がないのですよ。そして、AIもどちらかと言うと間を置かずに返答がきますよね。

 私はこういう人は犯罪者の傾向があるんじゃないかと考えています。『即答』することで、「自分は優れた人間だ」とか「そこはちゃんと把握してるも〜ん」とかしたいのでしょうかね。他人を”騙したい人”がよくやる行動なのですが、それを自覚はできないようです。

(”自分を客観視”ができんからな、あいつら)

 自分では「バレてない」と考えている辺りが、何度見てもおもしろいのです。小学生… いや、幼稚園児… ですかね。だから”お母さん”を求める… 。それと、仕事の会話の中でやたら滅多「逆に〜」っていう人に心当たりはありませんか? その人が犯罪者予備軍ってやつです。彼らは…

(ちょいちょい!
それは後半で話すやつや!)

 おっと、そうでしたね。じゃあ後半にお願いします〜♪
 さて、話を”意識”に戻しましょう。『AIに意識はない』と仮定すると、ちょっとおもしろい論考ができるのです。先ほど述べたように人間にも意識のない人はいます。では、この意識のないAIと意識のない人間の”共通項”は何でしょうか? それが『言葉/文字』なのです。

 AIは、意識はないのに、言葉/文字で返答してくる
 意識のない人は、意識はないのに、言葉で受け答えをしている

 両者はまったく同じことをしているのです。
 言葉を使うと、ついつい人は「この人には意識がある」と錯覚してしまいます。錯覚するから、AIには意識があるんじゃないか? なんて話が出てくるのですよ。しかし、意識がなくても言葉で受け答えをする人はいるのです。反射だけで喋る… まるで”昆虫”のようですね。昆虫は反射で生きている生き物ですから。では、人の方はひとまず置いておいて、

 AIには何があって何がないのか?

を考えてみましょう。
 先ず、AIは言葉を使うので、言葉は文字情報、つまり”視覚の情報”ですよね。視覚の情報がAIにはあるのです。で、他にはなんですか? 何かありますか? 絵を描いたりできる? 絵はもちろん”視覚の情報”ですよ。で、他には? 数字の計算? それも数字は”視覚の情報”ですね。

… というように、AIが扱う情報はすべて”視覚の情報”だけなのです。

(『だけ』ってところが大事やで)

 知っての通り、人間には『五感』があります。視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の5つです。これらの感覚が刺激されたとき、人間の『脳』では別々の場所が反応します。

(『別々』ってところが大事やで)

 視覚は後頭葉、聴覚は側頭葉、味覚は頭頂葉… などなど、脳の別の部分が反応するのです。
『人間の意識とは何か?』
 この問いの答えは現代科学を持ってしても出せていません。が、ここで仮説を立てましょう。

 仮説:意識は、五感の収束によって現れる

と、します。
 この前提に立つのであれば、やはりAIには意識はないのですよ。なぜなら扱う情報が視覚だけなので、他の4つが足りないからです。AIにないのは視覚以外の情報なのです。そして、どうしてそうなったかは判りませんが、人間でも五感から受け取る情報が少ない場合は、反射で答えるだけの人のように、意識のない人間になってしまうのではないでしょうか。

 私は今まで”現場(店舗)”にいて、”本社”の業務に携わったことはほとんどないのですが、本社での仕事はPC上ばかり、紙の上ばかり扱っていませんか? PC上/紙の上 = 視覚の情報 です。これはPC上の作業ばかりしたり、紙の上ばかりを扱うような仕事や立場にいる人に聞いてみたいことなのですが、
「ときどき、仕事中に自分の”意識”が消えることはないですか?」
と聞きたいのです。
 もし、意識が消えるようなことがあるのなら、それは五感を使っていないからですよ。自分の脳に視覚からの情報しか行っていないので、五感の収束を必要とする”意識の発生”は起きない、意識が消えていくに決まっているのです。

 結果、反射だけで答える、自分では何も考えない、意識のない人たちが、上層や中枢に集まることになってしまうのです。

 巷では『AIが人間の仕事を奪う』なんて言われていますが、いやいや、AIはすでにいるじゃないですか。何も考えないで、視覚情報だけで判断をしている人間たちですよ。今日あなたが、処理した仕事はすべて、視覚情報だけでしたよね。だったらそれは、AIと同じことをしただけです。だったらその仕事はAIに換えてもいいですよね。現代は”速さ”が求められるので、尚更AIの方がいいんじゃないですか? 人間だと1日かかることをAIは1秒で終わらせますよ。”速さ”を求めているんですよね? だったらやっぱりAIの方がいい。”速さ”を求めているんだから。

 西洋にやたらと『自我』を求める思想があるのは、西洋の上層(知識人)は視覚しか使わない仕事をする傾向が強いので、その人たちはどんどん意識がなくなっていく = 自我がなくなっていく からかもしれません。

彼ら(知識人)は現実を、生の現実を、自分の目と耳で捉えないからです。
紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。

『ひとはなぜ戦争をするのか』 アルベルト・アインシュタイン

 自我を目覚めさせたいなら、方法は1つ。『身体(五感)を使え』… ですね。

 AIには五感が足りないことが、意識が発生しない理由だと言いましたが、もう1つ、意識が発生しない理由があって、それは『化学的伝達がない』からです。脳の情報伝達には、
 a… 電気的伝導
 α… 化学的伝達
の2種類あります。
 AIは前者の電気的伝導だけを使って作られていると思います。2つある中の1つですから”半分”ですね。

(”中途半端”やな〜)

 これだと人間でいうところの、
 p… 知だけで、行をやらない人
 q… 行だけで、知を知らない人
となってしまいます。知と行の2つはどちらが欠けてもダメなのです。両方揃うから、真の力が発揮できるのですから。

 化学的伝達が機械で再現しにくいのは、脳の細胞同士の”隙間”にある『水』を再現しないといけないことになるからでしょう。正確には水ではない液体なのですが、知っての通り電気と水は相性が悪いですからね。

 しかも、化学合成はできたとしても、それを水に入れるとどのように広がるのか判りません。コーヒーに入れるミルクと同じです。予想だにしないところまで化学物質が広がるかもしれませんし、化学合成によってできる老廃物を取り除く機能も必要です。再現するには難易度が高いのですよ。

 情報伝達の種類は2種類あるのに、1種類しか使っていない。

 これもAIには意識が発生しないと考える理由の1つです。人間でも、知だけの人や、行だけの人っていまいち”意識がない”ように感じませんか? どことなく人間らしくない気がするのは私だけでしょうか。

 知だけの人 = AI(機械
 行だけの人 = 作業機械

 ところで、聖書の『創世記』は、意識の発生と類似するようにも読むことができます。

『創世記』
 始めに神は天地を創造された。
 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
 神の霊が水面を動いていた。
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

一方、意識の発生は、

『意識の発生』
物心がつくのは2歳くらい。
それまで”五感”から受け取る刺激が脳にいく。
親がいつもその子の名前を同じように呼ぶと、
脳の中の”同じ神経”が刺激され、その神経が発達していく。
子どもは、
親の姿(視覚)
親の声(聴覚)
親の匂い(嗅覚)
母乳(味覚)
親の体温(触覚)
これらの刺激を受けた脳の神経が成長していき、最後には収束される。
この収束が意識の発生 = 物心がつく ことではないか... と考える。

 この2つを合わせると、

と、『≒』で結ぶことができるのです。
 聖書は人間が書いたもの… 人間が作ったものですね。
 そういえば宇宙の始まりである『ビッグバン』は、高温高密度のエネルギーが小さな一点に集まっていて、インフレーションで空間の膨張が起き、一気に弾けました。

小さな一点 ≒ 五感の収束
空間の膨張 ≒ 空間の認識
一気に弾ける ≒ 意識の発生

としても、おもしろいかもしれません。
 超ひも理論に”ブレーン(膜)”というものがあって、宇宙は、膜と他の膜がぶつかってできたという説があります。

 これを脳 = 意識に当てはめてみると、一つの方向から複数の信号が入ってきたとします。そして反対側からも複数の信号が入ってきたら、当然その信号同士はどこかで”ぶつかり”ますよね。お互いに複数の信号があるのですから、それは”面”のように見ることもできます。複数の信号でできた面と面がぶつかる = 膜同士がぶつかる ってことです。

 ビッグバン、聖書、意識の発生… 同じテーブルの上に乗っているように見えるのは私だけでしょうか。



生きる意味とは、自分に与えられた才能を見つけること。
生きる目的とは、その才能を他人に分け与えること。

画家 パブロ・ピカソ

神のまにまに

 昔、マスコミが職人文化を否定するようなネガキャンをしたことがありました。それで増えたのが近親相姦(身内で売上)です。他にも『躾』を否定したこともありますよね。それで増えたのが先述の、大人になっても机を蹴ったり叩いたりする人たちです。『躾』は、その意図があるわけではありませんが、軽度の発達障害を改善するためのものでもあったのですよ。おそらくこれは、日本の長い歴史の中で自然に紡がれてきたことなのでしょう。昔は発達障害なんて名称もありませんし、なんなら、そんなものは”ない”とされていましたからね。

 でも、そういう症状を持った子どもたちはいたのです。じゃあなぜ、その子たちは、すべての子ではないにせよ、改善されたのか? それが『躾』なのです。躾とは自分の行動を”自覚させる”ことです。自分自身の行動を”客観視”して、自身の行動が良いことなのか悪いことなのかを、見極めさせることです。ヒトは”主観”で物事を見ている限り、その善悪を判断することが難しくなります。自分でやっていることは、ついつい肯定的に捉えてしまうのが人間ですからね。

(俺の俺の俺の視点!)

 独創だったり自我だったりに重きを置く人は、主観的な見方しかできないとも言えます。客観性がないんですね。それだと善悪の判断は難しいでしょう。だからその考え方に染まってしまった人は、躾を受けないまま大人になった人と同じなのです。

 じゃあその人たちはもうどうにもできないのかというと、そうでもありません。躾の本質は”自覚”です。だから自覚させるだけで改善されることがあるのです。たとえば人格障害の1つに『自己愛性人格障害』があります。簡単に言うと”スーパーナルシスト”ですね。この障害の人がよく言う言葉で、
「俺色に染めてやるぜ〜」
ってものがあります。猿色に染まりたい人などいないんですけどね〜。

(「かわいそうな人なんだよ!」
ガレッジセール ゴリ)

 ネットで検索するとすぐに出てきて、その症状も判ります。で、もし、自己愛性だと思われる人がいたら、その人にその症状を伝えるだけでかまいません。ネットのサイトを見せても良いですよ。とにかく、その症状を”知る”ことが大切なのです。知ったときに、
「あれ… これってもしかして俺のことじゃ… 」
と思ったなら、もう8割方症状は治っていると言っていいでしょう。自己愛性の症状は、知ると”ドン引き”するようなものが多いんですけど、それを知って自分のことかもと思えた時点で、改善の方向に走り始めているのですよ。

(いまだかつてないほどの”全速力”でな)

「こっちじゃなかったー!!」みたいになりますからね〜♬

 ちょっと話は逸れますけど、後輩や部下に仕事を教えて、自分がいなくなってしばらくしたあと、チラッと戻ってみたら、教えたことをすべてやらなくなっていたなんて経験はありませんか? これも簡単に説明できるのです。本人からすれば「なんでだー!!???」ってなりますけど、客観的に見た場合、至極自然なのです。

 キーワードは”主語”です。

 仕事を教えるときに”主語”はなんと言っていますか? って話ですよ。主語ですから2つしかありません。『I – 俺(自分)』か『YOU – お前(他人)』かのどちらかです。このときのWE(みんな)はI (俺)のことですし、 THEYは”I以外(俺以外)の人たち”ってことです。面倒なのでちょっと端折りますね。

(『都合よく使い分ける』ってことやけど
詳しくは精神科医にでも聞いてちょ♪
全部のパターンを書くのはめんどい)

 自分がいなくなった途端、教えたことをやらなくなる理由は簡単で、教えるときに『”俺のため”の仕事』を教えているからです。仕事とは本来、お客さんのためのものです。それなのに、教えるときに俺のための仕事として教えているのですよ。
「そんなつもりはない」
と返ってきそうですけど、自分がどんなつもりなのかは関係ないのですよ。相手 = 後輩/部下がそう受け取ったのなら、それはそういうことなのです。

 俺の言う通りにしろ
 俺を守れ
 俺が一番大事
 俺を助けろ
 俺を最優先にしろ
 とにかく俺の仕事ができればそれでいい、お前が何をやっているかはどうでもいい、大事なのは俺だ、文句(クレーム)を言われるのはなんだから、俺が最重要なんだ!!!!!

 見ての通り、俺の頭の中には俺しかいないんですね。そんなつもりはないとかはどうでもいいです。受け取る方がそう捉えているのですから、覆しようがありません。では、なぜ、このは、ばかり大切に、赤ちゃんを守るように大切にしようとするのか? ここでまさに”逆行”が起こっているのです。

 pb. 文句を言われるから、みんなに、俺のための仕事をさせる
 qd. 俺が、みんなのための仕事をしないから、文句を言われる

 ”逆行”と”相転移”の合わせ技みたいなものですね。俺がいなくなった途端に、教えたことをやらなくなるのは、俺が前者の視点で物事を捉えていて、その視点から教えているからです。後輩や部下には『俺のための仕事 = 俺を守るための仕事』を教えたのですから、俺がいなくなれば、守る対象がいなくなるので、やらなくなるのは当然です。
「だって文句(クレーム)が〜...」
とか思いました? だったら、俺は、俺のことしか考えていない ってことです。『俺の中には俺しかいない人』なのですよ。だったら、人の上に立つ立場にはいられないってことです。人の上に立つには、下の者たちを”内包”する必要があります。それなのに、俺の中には俺しかいない… であれば、人の上に立つことはできません。不可能です。

 俺を守るための仕事をさせるのは、「人は誰かを助けるのが当然だ」との考え方を持っているからですよね? だから、文句(クレーム)を言われて困っている俺を、他の人が助けるのは当然だ との考え方をしている… 。

 では、聞き返しますが、俺自身は人が困っているのを助けたことがあるのですか? 他の人が、その人自身の仕事をしているときに、助けに行ったことがあるのでしょうか? ここで、
「俺が”最優先”で、俺は”助けられる側の人”なんだから、他の人を助ける必要はない」
とか”言い訳”を考えました?
 物事の”つながり”が見えていない、俯瞰していない証拠ですよ。その人がやっている仕事ができないと、俺に文句(クレーム)がいくかもしれないにも関わらず、その人が困っているときには、俺は助けに行かない… それが文句(クレーム)として跳ね返ってきているだけなのです。

 文句(クレーム)の発信源はほかでもない、俺自身だった… ってことですね。

(因果応報〜🎵)

 俺の視点 = pbの視点から見ることに固執するのは勝手ですが、あなたの脳が現実をどう認識していようが、実際の現実は変わらないのですよ。pbの視点はあなたの脳がそう認識しただけであり、実際の現実とは限らないと言いたいのです。もちろんpbの視点が実際の現実の場合もあるかもしれません。しかし、そうじゃなかった場合、pbを続けても文句(クレーム)は言われ続けることになります。実際の現実と合っていないのですから当然ですよね。

 だいたい、”助けられる側の人”ってなんですか? それって子どもや赤ちゃんですよね。そして、子どもや赤ちゃんは会社にはいらないですよね? 会社に必要なのは、仕事をする大人ですよ。”助けられる側の人”なんていらないのです。最近の大人は”言い訳”ばかりしていて困りますね。

(お子ちゃまやな)

 もし、どうしても、人の上に立つ仕事がしたいと思うのであれば、先ず、やるべきことは、外に出ることですよ。俺の視点しか持っていない人は、博多のストーカー殺人の犯人と同じです。あの犯人も、
「俺の視点! 俺の価値観!! 俺の俺の俺の思い通りにするんだ!!!」
って考え方でしたよね。だから女性と別れるなんてことは考えられず、激昂し、悲惨な結末を迎えることになったのです。

(俺の満足!デュフン!)

 俺の視点しか持たない人は、犯罪者と同じ考え方になっていることに気づいた方がいいですよ。そういえば、幼児はよくお母さんにつきまとい = ストーカー しますね。精神科医が解明し終わっているので、解明する必要はありませんけど、犯罪者たちの思考のおもしろいところは、まったく関係のない人たちなのに”同じ”思考をするところです。逆行や相転移など、ここまで同じだとちょっとおもしろいですよね。

(単細胞… 猿か)

 現代はなんでもかんでも”思い通り”にしようとするじゃないですか。とにかく自分の考えた通りにならないと気が済まないようになっています。まさに”俺の視点”の考え方なのです。しかし、ここでの”俺”も、一歩外に出ればただの人間なのです。ただの人間が”自然の流れ”に逆えるはずもありません。この世で一番理にかなっているのは『自然のまま』にすることなのです。

 ここで、
「だったら躾はしない方がいいじゃないか!」
と考えました? というか、そう考えたから躾を否定したのでしょうね。でもそれは間違いです。視野狭窄ですし、時系列が逆ですね。
 p. 躾という文化がない方が、自然のままである
 q. 自然のままにしたら、躾という文化ができた
ってことです。躾を否定した人たちは、前者の見方をしているのですよね? だったら、その時点ですでに逆行しているのです。

 こういうことがあるから、子どもたちへの教育からは『歴史』は外せません。ただ、これは他の教科にも言えることなのですが、学問を”横”につなげない傾向があることが気になります。各教科が独立して他と分断され、連結されていないのです。たとえば、歴史では”江戸時代”が出てきますが、この時代に『和算家』がいました。現代の言葉では”数学者”です。『関孝和』が有名ですね。だから、歴史の授業をしている最中に、数学の話につなげることができるってことです。数学の問題をやる必要はありませんが、他の教科と連結できるのであれば、小噺程度でも子どもに話してあげればいいかもしれません。

 歴史とは、自然にそうなってきたものを記録したものです。現代のように意図して歴史を作ろうとした人たちは五万といたでしょうけど、なかなかそうはならないから自然なのです。そもそも、人間の世界 = 都市 だけが歴史ではない のですよ。日本には日本の歴史があり、地球には地球の歴史があり、天の川銀河には天の川銀河の歴史があり… と続いていくのです。

 世界のすべてを知りたいと願っても、人間には圧倒的に時間が足りません。今でも100年程度の生しかないですからね。それをどこまでも長くしたいから、人間の意識をデジタルに移植しようなんて話や技術が生まれてくるのです。それを止めはしませんが、面白そうではないな とは言っておきます。

 自然のままにしておきましょう。その先(未来)になにがあるのかは、現世代ではなく、次世代が見つけるものではないでしょうか。現世代がすべてを”予定通り = 俺の思う通り”にした結果、未来が無くなっているのです。これは”予定通り”ではなく、ただの未来の前借りです。現世代が未来を前借りしたから、次世代の未来が無くなっているのですよ。

 独創は、一世代
 普遍は、永世代

 俺 = 現在 のことばかり考えるのではなく、子ども = 未来 のことも考えてください。




〜Interlude〜

Gregg karukas - Azure Dreaming

(思考の話には脳の障害の話もせないかんなるね〜)

なかなか避けて通れないんですよ。

(保護が必要なほどの障害がある人の話やないで)

脳障害というより、人格障害とか精神疾患の方ですかね〜。
黒いカラスを、自分が”白”と言うだけで白になると思っている人たちです。

(違法なクスリでもやってんのか? おっさん?
ってなるよな)

自分の脳が現実をどう認識していても、
現実は変わらないことが理解できないのでしょう。
かわいそうに… 。

(自分の認識がどうであれ、現実は
❌ 太陽が地球の周りを回っている のではなく
⭕️ 地球が太陽の周りを回っている のや)

異常な人はどこにでもいるので、注意喚起はした方がいいと思いますけどね。
確か『ブラックバイト』は政府がガイダンスみたいなのを出してませんでしたっけ?

(それと同じように『人格障害』なんかのガイダンスも出せばええのや
少子化で子どもは少ないんやから、できるだけ多くを守らんとな)

人格障害のガイダンスでは”副産物”が手に入りますからね〜🎵

(子どもが”自覚”できるから
軽度の障害の子は”治る”可能性があるんよな
一石二鳥やな)

「これって俺のこと… ?… 」
となれば治る可能性があるのですよ。
『我に返る』ってやつです。

(我に返るといえば
日本はGDPを気にするのをやめた方がええと思う)

順位が落ちてますけど、それでいいんじゃないですか。

(”元々”のところに戻るだけよね
今までが異常やっただけや)

人口は1億2000万人が面積的にも”上限”なんじゃないですかね。
それ以上には増えないように”自然”のブレーキがかかっているように見えます。

(1億2000万人 = 120% と考えれば
そんな力をいつまでも出せるわけないのや)

外国人労働者を増やして社会の体制を維持しようとしてますけど、私には”ドーピング”に見えます。
そんなものが長く続くわけがないことは、人間へのドーピングを見れば判るでしょう。
それも結局は”俺の視点”なのですよ。

(自分 = 日本 の体制さえ維持できればいい
って考え方やな
自分だけ良ければいい
ちなみに「正しい」の”正”の文字は
『征服する』って意味がある)

キモいですね〜。
いつから日本人はこんなに”自己中”になったんでしょう。
その結果、壊れていくのは自分の身体 = 国 なんですけど。

(8000万人 = 80% くらいがちょうど良いかもね)

「それじゃ体制が維持できない!!」
って言われそうですけど、それが本来の姿とも言えるのですよ。

(我に返るのや)

80% は、仕事にも言えることです。

(全員が80%の力で働ける環境
これが理想や
まぁなかなか作れんけどな)

でも目指すべき目標ですよね。
なかなかできないと、判っていても、やるしかないのです。

(おっさんは辛いのや)

そういや、おっさんといえば、ダウンタウンの松ちゃんはいつまで遊んでるんでしょうね。

(なんか女に訴えられたか訴えたかしとるよな)

”言い訳”はどうでもいいのでさっさと仕事してほしいですね。

(今更お前の女関係なんざ興味ないんじゃボケー!!
って話やな)

ボケだけに。
また昔のガキ使のときみたいに浜ちゃんに、
「お前の仕事はなんやねん!!???」
って怒られたら目が覚めるかもですね〜。

(訴訟とか、思いっきり”スベっとる”がな〜
すべらない話の松ちゃんが〜
すべらない話の松ちゃんがスベっとるで〜おい♪
ってな)

スベるというか、吉本新喜劇の”ズッコケ”に近いんですけど、
最近の中国の”ズッコケ”具合もなかなかのものがありますよ。

(エリート教育をした奴らが全員”幼児化”しとるんやろ)

身体を使って経済発展して、エリート教育で盤石な状態にしようとしたら、
エリート全員が身体を使わなかったせいで”幼児”のままになってしまったのです。

(だから中国もポテンシャルはあるんや〜
”持ってる”ってやつよね)

そうなんですよ、中国も”持ってる”んです。
やはり火薬や羅針盤の発明は西洋より早かっただけのことはあります。

(エリートの幼児化は
宮川大輔さんの親父さんの話を連想させるんや)

喫茶店の水槽の話ですか?

(それそれ🎵
海水魚を淡水に入れて即死させた
とかいうやつや)

まさにエリートですね。

(「なんでじゃー!!」
ってなるんよな
中国も

完璧を求めるあまり、なにがなんでもなにかを抜かすんです。

(おっさんが頑張っても
いつもなにかが足りんのよな〜)

政治も経済もおっさんのせいでどんどん悪くなっていきましたからね〜。
これは世界的に起きていることなんですかね。
おっさんがやるとダメなんですよ〜。

(おとんのせいやー
俺は「おかんにゆーた方がええって!」
ってゆーたのに、おとんが
「俺は正しい!!」とかアホなことゆーて
勝手に進めたらおかしなことになったんやー
俺はおかんにゆーた方がええってゆーたー
おとんのせーやー)

ちなみに”鬼”は、そのイメージからついつい”男性”と思われがちですが、
鬼の一種である『般若』は女性ですよ。ゴゴゴッ…

(俺は何回も「これはこっちやって!」ってゆーたのに
アホなおとんが聞かんかったのやー)

子どもの話を聞いとけば良かったですね〜。ゴゴゴゴゴッ…

(勝ーちーやー勝ーちやー🎶
おーれーの勝ーちやー♬)

そういう歌って文字だと伝わりにくいんですよ。

(いや、あいつらは脳内再生できてしまうがゆえに
余計ムカつくんや🎵
脳内再生できてしまうがゆえに フフン🎶)

思考回路が似てる、もしくは”同じ”なんですかね〜。

(ホヘノハーニハー 🎵
(俺の勝ーちやー))

なんですかその『ムカつく言い方』は。

(これも脳内再生できてしまうのや フフン 🎶)

似たもの同士… ですね。
アメリカにしろ中国にしろ、強大な力を持っているのに歴史が短いのが気になります。

(アメリカは、インディアンの土地を奪ってできた国
中国は、前政権の民族を追い出してできた国
両者は”似とる”んよな)

おもしろいのは、現中国政府の前身である毛沢東の政党は農村出身ってところです。
農村は農業、つまり行の人たちなのです。
それなのに、現在は農業を否定するようなことをしている。

(ジャッキー・チェンを見たら判るやろ
身体を使うことを是としてきた人たちやったのや
それやのに、近代化が進んだ先で、身体を使わんなってしもうた
だから幼児ばかりになってもうたのや)

日本もどんどん一次産業を縮小していますよね。
「今さら稲作なんてやって何になる?」
とでも言わんばかりの方向に行っています。

(そんなこと言う奴には
「お前のその矮小な考え方しかできない”無様な脳細胞”も
農作物を元に作られているんだが?」
とでも言うとけばええのや)

『反田政策』でしたっけ?
天下の愚策とはこれのことですよ。

(日本も他国を笑える立場やないな)

日本は『自給自足ができない国』と言われていますよね。
反田政策のせいで。

(自給自足ができない国だった のではなく
自給自足ができない国にした のや)

自分でそうしただけなのですよ。
ですね。やれやれ…

(アメリカのトランプは「自分のことは自分でやれ」
ってスタンスなんよな
だったらアメリカからの小麦を半分にして
足りない分は日本で作りますでもええよな
米を加工すれば小麦の代わりになるからな
米の油や米の麺があるし
小麦の麺があるなら、米の麺もあるのや
麺は『ラーメン屋』には必須のものや)

そっちの方が日本人には合っているかもですしね。
原料が”米”なので。
自給自足は”自立”につながるので、トランプも喜ぶんじゃないですか。

(国の歴史が短い とは
人の学歴がない と同義なのや)

就職には学歴を気にするのに、国の歴史が短いことには言及しないんですか?
って話ですよ。
これは『俯瞰像』の領域ですけどね。

(まだ早いかもしらんけど
一応言っとくか)

人を採用するのに”学歴”が必要なのであれば、
他国の政策を自国で採用するのにも”歴史”が必要なんじゃないですか?
と言っているのです。

同じテーブルに並べないとフェア(公平)じゃないやろ
学歴を持たない人を採用しないのであれば
歴史を持たない国の政策を採用するわけにもいかんやろ
まして”滅んだことがある”なら尚更やな
猿でも判る)

知と行を対等に扱うべきだ と言っているのですよ。
行を主体に置いて、学歴など問わなかった昭和時代に日本は大きく経済成長しました

(その後の平成では学歴を気にし始めたけど
30年間経済は成長しなかったやろ
これは歴然たる事実ってやつや)

欧米のような体制にして国民負担を5割にしたのに、
国民に返す部分はそのままなのです。

(体のいい奴隷制度みたいになっとるよな
ホンマ、”上っ面”だけキレイにする)

”本質”が置いてきぼりなのです。
社会学者のデュルケームが『分業論』を提唱しました。

有機的連携… 分業有り → 文明人
機械的連携… 分業無し → 未開人

(これは
🇯🇵 メンバーシップ型… 有機的連携
🇺🇸 🇬🇧 🇫🇷 ジョブ型… 機械的連携
と、することができる)

日本は元々”メンバーシップ型”でしたよね。
それをジョブ型に変えるなんて動きがありましたけど、
その理由は欧米がそうやってるからですよね。

(でも”俯瞰像”を捉えたいなら
メンバーシップ型の方がええ)

欧米はジョブ型なのに俯瞰像を捉えるのが上手いじゃないですか。
プラットフォームを作るのとかを見ると欧米の方が上手ですよね。

(俯瞰像を捉えるのが上手い理由はジョブ型だからやなくて
国が滅んできたからなんや)

国が興ったり滅びたりを繰り返すと、
その地域の人たちは、国を外側から見ることにもなるのです。

(外側から見る とは、すなわち”俯瞰像”を捉えるということ)

だからプラットフォームを作るのが上手いのですよ。

(反対に日本は滅んだことがないから
国なんて大きなものを俯瞰で捉えたことがないのや
だからプラットフォームを作ることは苦手なのや
日本も良い感じに”錯乱”しとるよな)

”持ってる”ってやつです。

(農業を含めた一次産業に活路がある気がするけどね〜
稲作はやってみたいしな)

でも生活できないみたいですよ。

(そうなんよな〜
全然ダメらしいね
水田に映る空の景色が好きなんよな〜)

あれはキレイな風景ですよね〜。
現代は”身体を使う”ことを思い出すときだと思います。
なにかしら方法を考えないとですね。

(じゃあ、そろそろ後半に行くか♪)

はいはい〜🎵
知と行は、どちらが先でも後でもかまわないのです。




【真理】
確実な根拠によって本当であると認められたこと。
ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。

Peter White - Never Knew Love Like This Before

「人の価値はその人が与えるものに宿る。その人が受け取ることができるものに宿るのではない」

物理学者 アルベルト・アインシュタイン

具体と抽象

 中学になって数学の文字式を習い始めると、『2x – x』の答えを『2』としてしまう子がおる。俺が学生の頃にもおったし、今もおるんやろな。これについて「もしかしたらこれが原因かもな」と考えたことがあるのや。『2x – x』の”2x”には2つの捉え方があるやん。
 たし算… x + x = 2x
 かけ算… 2 × x = 2x
となって、両方とも”2x”と表記しとる。
 じゃあ、この2つでは何が違うのか? それが『具体と抽象』なんや。

 たし算では抽象の2を使って2xを表しているのに対し、
 かけ算では具体の2を使って2xを表しとるやろ。

ってことは『数学』という学問そのものが、具体と抽象の2を混同しとるのや。でもヒトは自分では混同していることに”気づいていない”んや。このぐらいの脳内での”切り替え”は当たり前すぎて気づかないんやろな。数学が得意な人ほど気づかんやろね。

 長所と短所は表裏一体。

数学が、
 得意な人... 切り替え良好 → 具体と抽象を混同する
 苦手な人... 切り替え不良 → 具体と抽象を混同しない

 だから、ここでつまづく子は具体と抽象の切り替えができん子とも言えるけど、具体と抽象を混同しない子、つまり、現実と空想を混同しないとも言える。
「違う昆虫だけど同じ昆虫」
と言われても判らないのと同じよね。前者の昆虫は”種 = 具体”で、後者の昆虫は”類 = 抽象”。
 トンボなら、

 セミなら、

ってことや。
 ホワイトヘッドの「人は具体と抽象を取り違える」ってのは、数学が得意な人ほどその傾向があるってことなんや。ホワイトヘッドの周りにおる人たちは”鬼神”のように数学に強い人だらけやろうけど、だからこそ、具体/現実と抽象/空想を混同してしまうのや。

 ここの2つの層の段差はものすごく”薄い”から、ほとんどの人が気づかん。現に、ここでつまづく子はそんなに多くはないからな。でもつまづくってことはそこには段差があるってことなんやろな。このくらい薄いといろんなものを”隠す” ”隠れる”にはちょうど良いかもね。

(「船は2隻あった」
ジョジョ第5部 ブローノ・ブチャラティ)

 数学でつまづく「子どもに問題がある」としてもええけど、数学って学問は”正確さ”を求められるやん。そんな数学で『具体と抽象の2を分けて表記する方法がない』ってのは、数学の方に不備があると言わざるおえない!! (_๑•̀ω•́)_バァン

 数学が不完全なのや!!! バァン_(・ω・_ 三 _・ω・)_バァン

 数学の他の問題で『自然数の数と偶数の数は同じになる』ってのがある。直感的には偶数の方が1/2の数になりそうやん。

 でもこれは同じ数になる。んで、なぜ同じになるのかというと、

 自然数を”抽象”として、偶数を”具体”として捉えるから。

 偶数の数を数えるときに”通し番号”を使って『1対1対応』を作る。この番号はまさに”自然数”やから、偶数の数と自然数の数は一致することになるのや。んで、自然数を通し番号に”変換”することは、具体の自然数を抽象の領域に引き上げたってことになるんや。
 でも、引き上げたことに数学者自身は”気づいていない”ってことよ。なぜなら、具体と抽象の切り替えが当たり前すぎるから。

 理系には発達障害の人も多い。養老孟司さんもとある対談で「自分は発達障害」って言うとったしな。そういや医者のかっちゃん(高須克弥さん)もサヴァン症候群みたいやし。
 理系の人は具体と抽象の切り替えがスムーズにいく。でもこれは具体と抽象の”区別がつかない”とも言える。
 反対に、数学でつまづく子や文系の人は、具体と抽象の切り替えが上手くできない。でもこれは具体と抽象の”区別がついている”とも言える。

つまり、どちらが発達障害なのか判らないってことやな。

 今まで言ってきた、
・アインシュタイン的逆説
・視点の相転移
・因果の逆転
・鏡像段階
・補元
・対偶
・具体と抽象

 これらはすべて、同じテーブルの上のことに見えるで。
 斉天大聖 孫悟空は、どれだけ高く登っても、結局は”お釈迦様の手のひらの上”なんや。

 『関数』とか『因数分解と展開』も、

と、してみるとかね。

「困難は分割せよ」

哲学者 ルネ・デカルト

 具体の2と抽象の2を混同して考えたり教えたりするから、そこでつまづく子がおるなら、それを”分割”して教えれば判りやすいのかもな〜と考えたのや。

 ただ、係数の『2』なんかを具体と抽象に分けて表記するとなると、数学の体系そのものをいろいろイジらんとあかんなって難しいことかもしらんけど、”教える”ときにはええかもね。
 分けて表記なら、

 具体の2… アラビア数字(1 2 3 ...)
 抽象の2… ローマ数字(I II III ...)、漢数字(一 二 三 ...)

とかやと、計算がめっちゃめんどいしな〜… これは難しいね〜… 単純に分数みたいに”上下”にする(真ん中に”線”は入れない)… いや〜混乱するか… う〜む。
 でも分けて表記することができれば、数学そのものが発展できることはあるかもね。
 物理学の『超ひも理論』の”11次元”は小さくまるまっとるみたいやけど、それはここでの具体と抽象の混同が原因かもな〜と考えたりもする。理論的に証明はできんけど。

 さて、よく”かけ算”なんかで「インドの方式が良い」ってのがあるけど、それなら日本以外の国で「日本の教え方が良い」ってのがあってもええわな。

 脳には『共感覚』ってものがあって、俺はドレミの”音と色”がつながってて、他にも”数字と色”とか”文字と色”がつながっとる場合もある。脳の神経回路ってのはどことどこがどうつながっとるのかは人それぞれなんや。だから具体を扱う領域と抽象を扱う領域のつながりが”強い”人もおれば”弱い”人もおるってことなんやろな。だから、つながりが、

 強すぎる... 天才 ≒ 発達障害 – 理系(数学者、物理学者)
 適度... 健常者 – 万能家、兼門家、文系
 弱すぎる... 発達障害グレーゾーン

と、捉えてもええ。
 スポーツでもそうやけど、天才は自分がやっとることを自覚できない = 意識できない = 説明できない ってのがあるやん。どんなに優れた天才であっても自分の”無意識”には気づけないのや。

 数学に強いってことは、その人の”脳”の具体を扱う領域と抽象を扱う領域のつながりが強すぎるから、自分では当たり前すぎて自覚も意識も説明もできん… ってことは考えられるかもしれんな〜と思ったのや。
 これは数学者や物理学者だけやなくて、脳科学者にも聞いてみたいね。著名な人やと、

数学者
 津田一郎
 瀬山士郎
 永野裕之

物理学者
 村山斉
 大栗博司
 冨島佑允

脳科学者
 毛内拡
 加藤俊徳
 養老孟司
          ...etc(敬称略)

 ちゃんと理解しとるわけやないけど、カントールの「実数の集合の基数はℵ0ではない」ってのは、自分の数に自分の数で通し番号は付けられないってことかもな〜と考えたりもする。自然数に対して、抽象の領域に引き上げた自然数の通し番号を付けられないのと同じよ。

 たし算とかけ算の左辺と右辺を見比べてみると、

 かけ算の方では左辺にも右辺にも『2』があるから、”=”で結ばれても違和感はない。でも、たし算の方は左辺には『2』が無いのに、右辺になると突然出てくるのや。この突然出てくる2はどこから出てきたのか? それが抽象の領域なんやで。
 左辺には無かったのに突然出てくるから「なんやこいつ〜!!」ってなるけどな。

 んで、かけ算の方では、その抽象の領域から出てきた2を、具体の領域に下ろして使っとるわけやな。

って感じ。
 テーブルと雲で表すなら、

 テーブル = 具体の領域
 雲 = 抽象の領域

として、図にすると、

 答えを『2』としてしまう子は、演算が”+”か”×”かに関わらず、
「xと2は、同じテーブルの上に乗ってて、そこからxを引くんだから残るのは2だ」
って考えてしまうのかもね。
 演算が『×』に変更された時点で、抽象の2を下ろしたことになることが判らんってことかな〜と。

 演算を『×』に変更 = 抽象の2を具体の領域に下ろす

 2xの意味は『xが2つある』という意味。だから2xからxを引くと、2つあるxの1つが消えることになるから、答えは『x』になるんや。

 2x – x = x

 かけ算では2を具体の領域に下ろしてきたけど、元々は抽象の領域のものやき、この2には実体がないのや。実体があるのはxだけ。xがないと2は存在できない。だから、2xからxを引いても2を残すことはできんのやで。

 ”抽象”は、具体がないと存在できない。(”空想”は、現実がないと存在できない。)

 自然数と偶数の数が一致することは、『無限』なんて大仰なものを使わなくても、具体と抽象の2層に分けることで説明できるってことよ。他の一見難解な問題も、2層に分けるだけで簡単に説明できることもあるかもね。

 旧来のやり方を”破壊”して、新しい方法で”再生”する… まるでジョジョ第4部の主人公・東方仗助のスタンド『クレイジーダイヤモンド』みたいなことをするのや。

 クレイジーダイヤモンドの能力は、破壊と再生を”同時”に行う


************************

補足1

 先述の、
 演算を『×』に変更 = 抽象の2を具体の領域に下ろす

 このとき、テーブル(具体)と雲(抽象)の2つの領域(層)は”ベチャン!”と潰され限りなく近くなり、ほとんど同じ層に見えてしまうのかもしれません。本当は2層あるのに、見かけは1層に見えてしまうのです。

 答えを『2』としてしまう子は、かけ算になったとしても、同じテーブル上からxが引かれるのだから、2の方を残してしまう。

 もう1つ、雲から2を下ろさない図も作ってみました。子どもに教えるときにどんな教え方が良いのかは、その子がどんなイメージを抱いているかによるので、計算上は2を表記しますが、頭の中はこちらでも良いかもしれません。

 このイメージだと2層は2層のままなので、具体と抽象を混同することは抑えられます。

 あるいは、かけ算を『平面の計算』だと捉えていて、平面は”縦 × 横”ですから、
 縦 = 2
 横 = x
と考えてしまい、xを引くと横が消えるから、残るのは縦の2になる… とも考えました。

 教える人はついつい、「こっちがどう教えたいか」に気を取られて、『子どもがどう捉えているか』を疎かにしてしまうことがありますから、大事なことは『子どもがどう捉えているか』を知ることです。でも、子どもはよく、自分が何を判っていないのかが分からない状態になるので、それをこっちに伝える手立てがない。だから、子どもの話をよく聞いて、よく見るしかないのです。

 聞く… 聴覚… 流れる時間
 見る… 視覚… 止まった時間

 相反する2つを、同時に行ってください。

************************

補足2

 『2x – x』のことをネットで調べてて、

 A… 1 – 1 = 0
 B… 1 + (-1) = 0

と、2つの数式を見かけたんやけど、これを見たときに”奇妙”な感覚になったのや。どっちも同じ式のはずやのに”奇妙”な感覚になった。んで、なんでかを考えてみると、

となった。
 前者の式には”時間の流れ”があるけど、後者の式では時間が止まっとるのや。んで、それを五感に当て嵌めると、
 流れる時間 = 聴覚
 止まった時間 = 視覚
ってことになる。
 聴覚を使う『音楽』は、流れる時間の芸術やし、視覚を使う『絵画』は止まった時間の芸術や。

 【表記を変えると一方では時間が流れて、もう一方では時間が止まる。】

 この感覚が正しいのであれば、脳の中では別の領域で捉えとることになる。言うまでもなく2つの数式は同じ意味やのに、脳の中では違う領域で捉えとるのや。解剖学者の養老孟司さんは著書『唯脳論』の中で、

ヒトの脳は、視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば”無理”につないだのではないか。

『唯脳論』解剖学者 養老孟司

と言うとる。

 言語には、音 = 聴覚で伝える『言葉』と、視覚で伝える『文字』がある。この2つは脳の中では違う領域が反応する。
 言葉 = 聴覚 = 側頭葉
 文字 = 視覚 = 後頭葉
 んで、ヒトは進化の過程で、この2つの領域をつないだのや。

 でも、そのつながりは、言葉と文字が同じであることを教えないとつながらないのやろな。最初からつながっとるわけやない。練習が必要なんや。実際、幼児はしゃべり始めても文章は読めんかったりするやん。それは自分のしゃべる”言葉”と、文章の”文字”がまだつながってない = 聴覚と視覚がつながってない からやろね。

 数学の代数で『A = B』が納得できない子がおるのは、聴覚で捉えたものと視覚で捉えたものが同じなわけがないって感覚なのかもしれんで。確かに”聴覚と視覚”で捉えたものは、”言葉と文字”という違うものやからな。
 だから、この2つをつなげる練習をせんとあかんのや。

『A = B』が理解できん子をバカにする人もおるやろうけど、そんなことも言ってられんのや。どうしてかというと、現代社会の”上層”は数字しか見ない、つまり、視覚しか使ってないやろ。ってことはその人たちはいつも止まった時間の中におるってことなんや。それでも流れる時間 = 現場 とちゃんとつながってれば、問題はないかもしれんけど、現場と遮断された上層ってのもおるんやないかね? そしたら、視覚と聴覚はつながってないことになるき、A = Bが理解できん子と同じことをしとることになるのや。

 数学に話を戻すと、

 △ 具体と抽象を分けた表記、交ぜた表記
 ▼ 聴覚と視覚を分けた表記、交ぜた表記

 ここに、数学って学問だけやなくて、ヒトの脳にも関係する新しいなにか… というか、見過ごされてきたなにか がある。



木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。

詩人 ヘルマン・ヘッセ

神と鬼

 論理学・集合論には『命題・逆・裏・対偶』がある。この関係は、

と、なっとる。
 大事なことは”時間”の流れる方向が”左 ➡︎ 右”になっとること。原因から結果に向かって時間は流れる。逆行はないのや。命題の”逆”は一見、時間が逆行しとるように見えるけど、これは逆行やない。2つの事柄があったとき、どっちが原因でどっちが結果なのかは、簡単には決められんってことなんや。統計学での”相関関係”が『命題と逆の関係』に当たる。
「逆もまた真なり」
ってやつやな。命題が真なら、逆もまた真のこともある…
相関関係】
 ⭕️ Aが原因で、Bの結果になった が成り立つなら、
 ⭕️ Bが原因で、Aの結果になった も成り立つ
ってことや。

 ところが実は、命題・逆・裏・対偶には法則があって、

 命題の真偽と、その逆/裏の真偽は必ずしも一致しない。
 
命題の真偽と、その対偶の真偽は一致する

となる。
 命題が真であれば、逆もまた真なりのこともあるけど、偽のこともある。逆が偽になってしまうのは、統計学では”因果関係”という。
因果関係】
 ⭕️ Aが原因で、Bの結果になった が成り立っても、
 ❌ Bが原因で、Aの結果になった は成り立たない
ってことやな。

 ”裏”も同じように、命題が真だからといって裏も真とは限らない。

 でも、命題が真であれば必ず真になることがある。それが”対偶”なのや。

 命題と対偶の真偽は必ず一致する。命題が真であれば対偶も真やし、命題が偽であれば対偶も偽になるのや。ここでちょっと表記を変えて、

とする。関係はさっきと同じやけど、命題を神に、逆を魔に… と変えてみた。

 ところで、現代社会は何でもかんでも”1つ”にすることを望んどるように見えることがある。まるで世界の真実は1つしかないとでも言わんばかりにね。ここで『神は真』としよう。そうすると、世界に真実は1つしかないのやから、当然、他の魔・狐・鬼は偽になるやん。先述のように魔や狐は、神が真でも、真とは限らない、偽のこともある。でも、神が真であれば鬼は真になるのや。

 んで、これを覆すのは不可能なんやで。

 長い歴史の中で構築されてきた論理体系やから、それを覆すなら、あらゆる学者を相手にせんといかんなるしな。

 現代社会の気になることは、神の真だけを証明するために、鬼さえも偽にしようとしてるんやないか? ってとこなんや。鬼が偽でもええで。でもそうするとその瞬間に神の偽も確定することになるんやで。鬼が偽なら、神は『偽物の神様』ってことになる。

 神が真ならば、鬼も真 が成り立つなら、
 鬼が偽ならば、神も偽 も成り立つ

『背理法(帰謬法)』みたいなもんやな。
 神と鬼は”相関”の立場におるのや。それやのに現代は、神だけを真にして、魔も狐も鬼もひっくるめて偽にしようとしとるように見えるのや。
 ここで1つ聞きたいことがあって、今述べたことを、

 判った上で、やっているのか?
 判らないで、やっているのか?

ってことやな。
 まぁ人間なんてみんな”猿”と大して変わらんから、
「俺は正しい! 俺が正しい!! 俺だけが正しい!!!」
ってなりがちやん? でも、そんなわけがないのよね。自分だけが正しいなんてありえんのやで。

 確かに名探偵コナンは「真実はいつも1つ」と言うとる。でも、その真実にたどり着く道は2つあるのや。これを『真理』という。

 神と鬼は、真反対の位置から、山の上にある同じ真実にたどり着く2つの違う道なのや。どっちから登ってもたどり着く先は同じ。じゃあ神と鬼を英語では『Double Eclipse ダブル・エクリプス』と言うことにしよう。

 対偶と同じようなものが”補元”よね。電気回路の”反転回路”とか、ド・モルガンの法則… は”変換”やから違うか〜… な?… 。まぁともかく、これを文字を使って文章で表現したものが『俳句』なのや。俳句は、周りの状態を示すことで、真ん中にあるものを現す。補元との違いは、
 補元… 見える… 具体
 俳句… 見えない… 抽象
ってところやろな。補元の数式は式も答えも”見える”やろ。でも俳句で現そうとしとるものは『感情』やったりするき、感じることができたとしても見ることはできんのや。
 補元… 見える… 具体… 視覚 👁
 俳句… 見えない… 抽象… 聴覚 👂

 視覚より聴覚の方が抽象度が高いのかもしらん。視覚の芸術は『絵画・彫刻・工芸・劇(映画)』など、いろんな表し方があるけど、聴覚の芸術は『音楽』くらいやし、それを視覚で捉える方法は”楽譜”しかないからな。

 だから、見えない俳句の練習として、見える補元を使うことができるかもね。

 俳句は”文字”で書かれとるから、文字ってのは『時間を止める』ものやけど、それを読む人はどんどん移り変わっていく。100年後にはまったく別の人が読む。これはまさに方丈記の、
『ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず』
なんや。
 俳句 = 川
 読む人 = 流れる水
ってことやで。 

 有名な松尾芭蕉の俳句を見てみると、

 古池や 蛙飛びこむ 水の音
 閑けさや 岩に染み入る 蝉の声
 夏草や 兵どもが 夢の跡

 俳句の読み方は読んだ人それぞれやから、どう読んでもええんや。んで、俺には止まった時間と流れる時間が同時に表されとるように読めるのや。

 こんな感じ。
 俳句の、流れる時間は赤で、止まった時間は青で表してみた。『閑けさや』は聴覚やけど、静かなときは時間が止まったようにも感じることがあるき、青にしとる。

 流れる時間と止まった時間を同時に、”等価”で現すことで、2つをつなげようとしとるようにも読めるね。そしてさらに、先述のように周りの状態を示すことで、真ん中にある『感情』を伝えようとしとる、見えない”心”を表現しとるのやで。

 永く受け継がれているものには、必ず”意味”がある。

 日本で鬼といえば『職人』が思いつくよな。いろんなことに厳しいからな。その職人の世界では、
「職人を育てる前に、人間を育てろ
と言われとる。
 これは、技術だけなら”猿”でも習得できたりするからなんや。実際、3歳までは人間の子どもより猿の子どもの方が器用なんや。でも、猿はそのあとがダメなんや。5歳くらいになるともう完全に人間の子どもの方が良くなる。それはなぜかというと、人間の子どもは5歳くらいから『相手の立場に立って考える』ってことができるようになるからなんや。猿にはできん。
 で、これが大人になってから致命傷になるんよな。大人はみんな”仕事”をするけど、仕事で一番大事な考え方がまさに『相手の立場に立って考える』ってことやろ。それやのに猿にはできんから、結局、お客さんの立場に立って考えるってことができん。だから、どんどんお客さんが来なくなるんやで。

 技術だけ習得しても意味はない。行だけじゃあかんのや。知と行、この2つを同時にやるんやで。

『意識 = 五感の収束』 ≒ 『心 = 聴覚と視覚の結合』



「人生で最も大切な日とは、自分が生まれた日と自分が生まれた意味が分かった日である」

作家 マーク・トウェイン

分離と結合

 脳の中でいろんな領域を”結合”していくことは大事やけど、デメリットもある。具体と抽象を混同するようにね。その場合は”分離”せないかん。
 p. 違うけど、同じ が成り立つなら、
 q. 同じだけど、違う も成り立つのや。

 一番わかりやすいのは『吊り橋効果』ってやつやろな。高いところにおることで”ドキドキ”するのを、恋愛の”ドキドキ”と勘違いしてしまうってやつや。前者は不安/恐怖で、後者は好意。

 a. 不安/恐怖
 α. 好意 

 人間の脳はこのまったく違う、真逆と言ってもいいようなものを同じにしてしまうことがあるのや。DVとかモラハラ夫なんかに引っかかる人は、これを混同してもうたんやろな。本当は「怖い!!」と感じとるのに、脳の中で区別ができんかったから、好意やと思ってしもうたのや。

 んで、『日本語』って言語を考えてみると、外国語に比べて語彙が多いやろ。日常で使われる言葉でも10,000語あると言われとる。英語の”LOVE”を日本語に訳するときは、
『愛する、好む、好き、慕う、慈しむ、楽しむ...』
とか、いろんな訳があるやん。
 じゃあなんでこんなに言葉が多くなったかを考えてみたときに、いろんなことを”区別”するためじゃないかな〜? と考えたのや。

 さっき言ったように人間の脳は違うものを同じにしてしまうことがある。不安/恐怖と好意、2つの違うドキドキは、脳の同じ領域が反応しとるのかもしれんし。でも、脳を変えるなんてことはできんやろ。だから、日本語では使う言葉を変えることによって、それらを区別する練習をすることになっとるのや。

 脳の中では同じものを、違う言葉を使うことによって”分離”していく

ってことやで。
『謙虚』と『怠惰/傲慢』もすごい履き違えとる人がおるやん。その人にやってほしいのに、
「いやいや私なんて...」
とか”言い訳”して、全然やらん人がおるやろ。これは謙虚やなくてただの怠惰/傲慢なんよな。お前がやらんかったら、他の人にしわ寄せがいって他の人が苦しむことになるのに、なにがなんでも絶対にやらんのや。
「他の人なんかどうでもいい、とにかく俺が安全ならそれでいい、そんな俺は謙虚だ!!」
とか考えとるんやろうけど、周りの人たちには怠惰/傲慢に映っとるで。なにもしない怠惰/傲慢な俺を”謙虚”と言う言葉で覆い隠しとるだけ。

 真 謙虚… 行動したことを称賛されても、調子に乗らない
 偽 謙虚… 行動もしないで、調子に乗ってる = 怠惰/傲慢

 これも脳の中で、俺に都合が良いからといって”同じ”にしてもうたんや。自分のことしか考えんのや。こういう人がもし、
「相手の立場に立って考えろ」
とか言ったとしても、それは、
の立場に立って考えろ」
ってことにしかならんのよな。
 都合良く使い分けとるだけ。しょーもない。
 これと似たようなことで、従業員に『経営者目線を持て』と言っとったことがあるやん。それなら、経営陣に『従業員目線を持て』も成り立つよな? それはできとるんかね。それができた上で従業員に『経営者目線を持て』と言うとったんやろか? できた上で言うなら判るけど、できてないのに従業員にだけは経営者目線を強いるってのは、どう考えても怠惰/傲慢にしか見えんけどな。

 神と鬼の真偽は一致する。

『逆転の発想』は、天才も使うけど”犯罪者”も使う。実際、天才と犯罪者の脳の活動を調べたらものすごく似とるんよな。両者の違いは”興味の対象”やったのや。前者は科学的/学問的なことを好んで、後者は犯罪を好んだだけ。
 狂言”ぶす”の太郎は、すぐに嘘をつくし、嘘をつくときに時間を逆行させるやろ。嘘つきは犯罪者になりやすいよな。んで、天才と言われる人たちも物事を”逆”に考える傾向がある。逆転の発想って思考法は、善にも悪にもなりうるのや。

 会話の中で頻繁に「に〜」って言ってくる人は、逆行する思考なのや。何かがある。神が真のとき、逆なのは”魔”、そして裏は”狐”やったな。その人たちが何を考えとるのかというと、”逆”にすることで魔や狐の領域に持っていきたいんや。その領域は”自分だけが得する領域”やからな。win - winにはならん領域や。なぜなら、必ずどちらかが真でどちらかが偽になるから。
 その領域に持っていくと、神は偽になることがある。魔や狐が真になるのやから、当然そうなる

 まさに”犯罪者予備軍”なんよな。そのまま放っとけば、そのうち詐欺をするようになって、最悪の場合は人を傷つけるようなことまでするようになる。人を騙すことに抵抗がなくなっていくのや。慣れると言ってもええ。「逆に〜」が通用しなくなったら、「あえて」とか「むしろ」とか、バリエーションを増やしてくるやろうけど、まぁ小手先よね。

 もしそういう人に出くわしたら、大人な人はどうするかね? 俺ならちょっと”泳がせ”たりして遊ぶけど、ホンマは止めてあげる方がええのよな。全部解ってますよ〜見抜いてますよ〜ってことを暗に示してあげて、そっちの道に行かないようにしてあげる方がええ。特にそいつが20代の若いヤツならなおさらやな。その歳ならまだ全然引き返せるしな。

 魔や狐が進んどる道の先にあるのは、真っ暗闇に墜ちる崖しかない。

(滅亡の回転… ですね)

 魔は西洋、狐は中国、両者の共通項 = 普遍 は、国が何度も滅んどることや。ただ滅ぶだけならまだ良かったんやけど、両者とも滅ぼすときに”全壊”させるんよな。ぜ〜んぶぶっ壊してゼロからやり直すことをする。新しく国を興す方はそれでいいと考えとるやろうけど、全壊のせいで、魔や狐の痕跡まで消してしまうのや。痕跡が消えたら追跡ができんなる。だから魔も狐も何度も復活するのや。

 全壊しないで痕跡が残れば、後世の人の中に、それに気づく人が現れる。だからそっちの方向に行かんようにできるし、悪しきものはなかなか復活できんのや。現代の日本で鵺が復活しとるのは、欧米の影響やろな。向こうの文化に染まったせいで、本来の日本文化の中にある悪しきものを抑制する力が弱まったのや。抑制する力ってのが『躾』や『職人文化』のことやで。の文化やな。

 つながるところがつながっていないものを結合させて、違うものを同じにしてしまったところを分離する。

 これはジョジョ第5部のブローノ・ブチャラティのスタンド『スティッキーフィンガーズ』のようなことをせんとあかんな。

  スティッキーフィンガーズの能力は、分離と結合を”同時”に行う

 人が人を守ろうとするとき、打算でやる場合もあるけど”本能”でやる場合もある。

 これを判った上でやっているのか? 判らないでやっているのか?

 どっちや?




Ending.

BON JOVI - I WANT YOU

〜おわりに〜

神と鬼は、同じ神社に祀られてたりしますからね〜。

(桃太郎と鬼も同じ神社やな)

たぶん日本は神と鬼を同格として扱うことで、
命題と対偶の等価を現そうとしてたんじゃないですかね。

(自分だけが正しいわけじゃない
ってことやな)

「自分だけが正しい」って考え方の根本には”独創”があると思いますよ。
若いときにそれを求めるのは判りますけどね。

(歳とってもそのままってのはダメよね
それはなんか”経験が足りない証拠”やないかね)

歳をとれば”全体像”の方に気がいくと思うんですけどね〜。
そうはならなかったのか… 。

(デジタル庁なんか”そのための機関”みたいに見えるけどな
あーいう新しいところは、思いつくことは片っ端からやっていけばええ)

職員が思いついたことは全部やるつもりでやればいいのですよ。
100個やって1個使えるみたいなことになりますけど、
トライ&エラーが大事なのです。

(命令を待つ = 受け の姿勢やなくて
自発的にやる = 攻め の姿勢やないとあかんのや)

自分の仕事を”受け”だと思い込んでいると上手くいかないのです。

(太郎ちゃんも『太郎を探せ』とかして
国民と”遊ぶ”ってことは、ポテンシャルはあるんよな)

ありますね、あれは。
それをどう引き出すかが”部下の仕事”だったりしますよ。

(部下
「この前の会議、なかなか良かったよ
ちゃんと指針を示すことができていたし、やればできるじゃないか」)

太郎大臣
「あ、そうでしたか。それは良かったです」

(部下
「それと、マイナカードだっけ
あれもいろいろ賛否はあるみたいだが
少なくともあーいうものを作る力が君にはあるんだ
もっと自信を持ちなさい」)

太郎大臣
「わかりました。ありがとうございます。グスン」

(部下
「なんだ、鼻水なんか垂らして
みっともないぞ
大臣としてしっかりしないと」)

太郎大臣
「そうですね。しっかりしないと!!」

(部下
「うむ
これからも精進してくれたまえ
君のような”上司”を持って私も鼻が高いよ
ハッハッハッハ」
みたいな)

河野大臣はワンチャンありますよ。
ちょっと若い子に行かせたいですね。

(でもそれは今はパワハラになったりするんや
もったいない)

時代の流れですかね〜。
上司の言うことには「Your Majesty」と言うしかない。

(そっちが ゆあまじぇすてぃ なら
こっちは まじぇゆあすてぃ と言ってやる フフン🎶)

どういう意味なんですか?
だいたい察しはつきますけど。

(意味は”仰せのままに”やけど
ゆあまじぇすてぃ… 下僕(しもべ)が主人に対して言う
まじぇゆあすてぃ… 主人が下僕(しもべ)に対して言う
だからこの場合は主人は『上僕(かみべ)』となるのや🎵)

上僕(かみべ)の方が言うことを聞くのですね。
こういうところは昭和の方がよくできました。

(さぁ行け! 我優秀なる上僕(かみべ)たちよ!
ってな
”程度”を知らんからダメなんよな
それさえ判れば許されるのに)

だから”真ん中”が大事なのです。
真ん中 = 普遍 ですよ。

(環境も技術も人材も揃っとるのに力が発揮できてないのや〜
こういうのを”宝の持ち腐れ”という)

「お前ら一体今まで何やってきたんだ!?」となるのです。
河野大臣のやりたいことの”イメージ”がちゃんと伝わってないような気がしますね。

(そこは太郎ちゃんが頑張らんとな
伝え方を変えてみるとか、いろいろ試してみんとあかん)

おすすめは”自然”をモチーフにすることですよ。

(一番確実で簡単なのよね)

『天人合一』にもつながりますし。

(ただ、どんな伝え方をしても”天才”的な受け取り方をするやつは
一定数おるからな)

いますね〜。
”相転移”も関係するのでしょうけど、『角度』がおかしいんですよね。

(根本的なところで
p. 国民のために、政府がある
q. 政府のために、国民がいる
これのどっちだと考えとるか? を聞いてみればよろし)

会社なら、
p. 現場のために、本社がある
q. 本社のために、現場がある
どちらですか? ってことです。

(ここに齟齬があるとホンマに
”笑ってはいけない”みたいな状態になるしな)

リアルコントになりますよね。
『笑ってはいけない』は、いつ復活するんでしょうね〜。

(サボりや
週刊誌に書かれて
「お母さんに言いつけてやるー!」
みたいになっとるのや
やはり志村けんさんには遠く及ばぬわ)

なんですかその
『「やはりバラン(父)には遠く及ばぬわ」ダイの大冒険 ヴェルザー 』
みたいなやつ。

(言いたかったんや〜♪)

見込み違いでしたかね〜。
笑ってはいけないは、週刊誌の前から休んでましたけどね。
裁判と同時に勉強も進んでればいいですけど。

(まぁ”やる”となったらとことんやるやろ
ダウンタウンわ
笑ってはいけないでは、ジミーちゃんが見たいんよな)

なにをやってもおもしろいですからね。

(ジミーちゃんにいろんな学問を教える授業をやればええよな
その科目の専門家を呼んで、教えるんやけど、ジミーちゃんは
全然分からない とかね)

そういうのは過去にもあった気がしますね〜。
なにを説明されても全然分からないっていう。

なにがなんでも理解させる専門家 VS なにがなんでも理解しないジミーちゃん

(まさに『矛と盾』の戦いになるのや
ジミーちゃんのあれはもう、”能力”と言ってええと思う)

激アツの対戦カードですね。
あらゆる専門家が総がかりでまったく歯が立たないとかですね。

(じゃあジミーちゃんの能力は
『VOID HOWLING ヴォイド・ハウリング(無効共鳴)』
と呼ぶことにしよう🎵)

どんな説明も無効にしてしまうんですね。
物理の授業で村山さんとか来たらおもしろいですけど。

(それはすごいな
まぁなんかあったらガースーが腹かっさばいて責任取りますんで〜
とかにしとけばええかな)

村山さんはピンク・フロイドが好きなので、あり得ますよ。

(それは理由になるのか?)

ロックバンドが好きな人はお笑いも好きなはずですから。

(どんな統計や)

お笑いと科学、というか、お笑いと知の融合ですね。

(むしろ知の中には元々お笑いの要素があるんやないの)

そして行にもお笑いの要素があります。
運動神経のいいお笑いってあるじゃないですか。

(ってことは、知と行はお笑いで結べる
お笑いにはそういう”力”があるんや)

その”力”を発揮できればいいんでしょうけど、なかなか難しいのです。

(知の人は、行をやってない = 知のチンパンジー
行の人は、知をやってない = 行のチンパンジー
になってもうとるしな)

そしてお互いにバカにし合っている... どんぐりの背比べです。
合わされば真の力が発揮できるのに。

(閃いた!!
知のチンパンジーと行のチンパンジーが合わされば
知 “n” 行 パンジー になるのや!!!(_๑•̀ω•́)_バァン)

え?

知 “n” 行 パンジー や!!(_๑•̀ω•́)_バァン)

いや今スベッ…

知 “n” 行 パンジー なのや!!!
バァン_(・ω・_ 三 _・ω・)_バァン)

わかりましたよわかりましたよ〜。
まったくもう。

(あそこまで理解しないと教える側の人たちが
「もしかして私の方が間違っているのか…?...」
とか考え出すんよな)

そこがちょっとおもしろいですね。
「そんなわけないやろ」って話ですけど。
英語の授業はケントさんにしましょう。

(ケントさんはテレビ慣れしとるし、著書を読むと
所々にお笑いの要素を入れてくるから、お笑いは好きやろうしね
めっちゃ発音ええしな)

さすがのケントさんもヴォイド・ハウリングには手を焼くでしょう。

(もはや『神の加護』みたいなもんやしな
あまりにも理解されんから
「F◯CKIN’ JESUS!!」とか言うかもしらんし)

キリスト教(モルモン宗)のケントさんが”F◯CKIN’ ”って言うといいですね。

(アカデミー賞のときのウィル・スミスばりの”F◯CKIN’ ”や
あのときはアカデミー賞とか平手打ちとかより
発音の良さの方が気になってしゃーなかったな
「F◯CKIN’ MOUTH!!!」ってな)

歴史の授業は、最近、教科書検定を通った竹田さんとかですね〜。

(絶対お笑いは好きやろ、あの人わ
しゃべりで判る)

脳科学の授業では養老孟司さんがいいですけど、ご高齢ですから難しいですかね〜。

(できれば養老さんがええよな〜
養老さんは、本の中ではそれほどでもないけど
講演とかではお笑いの要素を入れてくるし)

理系でお笑いの要素がある人は、他には高水裕一さんもいますね。
本の中で、映画でよくある”宇宙人の地球侵略”に対して、
「たとえば1000光年離れている星から侵略に来るとして、
それは光の速さで片道1000年かけて来るということになるが、
それは一体どんな状況なのか?」
とかですね。

(地球上で1000年といえば
それなりに国が興って滅んでするスケールになるからな)

そこまでして来るなら「話聞くけど?」みたいになりますよ。

(宮川のおっちゃんの出番や🎵
「1000年かけて地球に来た!? スーパッ ←タバコを吸う音🚬
おい、ちょ、大輔、オーヤンフィフィ2つ持ってこい!」
*オーヤンフィフィ = アイスコーヒー)

大輔
「なんやおとん、お客さんか〜?」

(宮川のおっちゃん
「そうや。なんか1000年かけて地球に来たらしいから
こりゃ話聞いたらなあかん スーパッ🚬」)

大輔
「おかーん、おとんがまたアホなこと言うとる〜」

(宮川のおっちゃん
「母ちゃんには言わんでええ!
ええからはよオーヤンフィフィ2つ持ってこい スーパッ🚬」)

親父さんはタバコ吸いすぎなのです。

(宮川のおっちゃんとは永遠に遊んでられるな、俺わ🎵)

光の10%の速度でも1万年ですからね。

(地球上では考えにくいけど
1万年のうちに”進化”してもうたりな)

出発時と姿が変わってるのです。

(出発時の写真見たら全然違うやーん!
みたいなね
光速といえば『E=mc^2』やな)

知らない人はいないでしょうね〜。

(この公式は変形できるのや)

どうするんですか?

(先ず、
c… 光速
Ƨ … 空間
t… 時間
とする
んで、
光速は”300,000km/秒” → 空間 / 時間 → c = Ƨ / t
とすれば、

ができる
左辺と右辺が、めっちゃバランスええやろ
んで、これは

と、なる)

ほうほう、それから?

(ここでの空間Ƨは距離、つまり『直線』になる
それを二乗するから”平面”ってことになるのや
んで、直線の空間に対応する時間も”直線”やな
これは「時間とは直線だ」と言ったアリストテレスの考えと同じになる
反対にプラトンは「時間は円である」と言った
アリストテレス... 直線
プラトン... 円
やで)

エネルギー = 質量
時間 = 空間
の2つを同時に表すことになりますね〜。

(そういうことや!
見てみぃ! このバランスの良さ!!

左辺と右辺のバランスが良いと。
まぁ学術的には意味はないですけどね〜。

(意味は無くても意義はあるやろ〜🎵
見てみぃ! このバランスの良さ!!
もう一回貼っとこ)

(ベロのじいちゃんもそこそこええ式を作っとったけど
バランスが悪いんや〜
そこが惜しいとこよね)

片方により過ぎと言いたのですね。

(そうなんや〜
まぁええ線いっとるけどな フフン🎶)

具体と抽象で表すなら、

って感じですかね〜。

(光速も”速度”である以上、時間と空間に”分割”できるはずやからな
そこを突いたのや)

そうやって遊んでいると、真理に近づけるかもですね🎵
知行合一や文理融合には、真の力を発揮するだけではなく、
お笑いの可能性もあると思うのです。

(でも仲悪いからな、あいつら
こういうときは”悪者”が必要なのや)

共通の悪者に対して、協力体制になることがありますからね。

(うむ、だから今度は俺が悪者をやるのや)

優しくしてあげればいいのに。

(いや、あいつらは優しくするとすぐつけ上がるからな
猿… いや、やな、あれわ)

犬が勘違いし始めるやつですね。

(そうや
犬を甘やかすと、犬が自分のことを
「俺が正しい!」
「俺がリーダーだ!!」
「俺が群れを教育せねば!!!」
とか考えるようになって
人間に噛みつくようになってしまうのや)

噛みつくのはダメですね〜。

(ホンマに犬と同じことをするからな、あの猿ども
めっちゃおもろ… じゃなくて、興味深いのや
犬や猿の言いなりになってたら、そりゃ病気になるわ)

脳の成長が犬の段階で止まっているのでしょう。

(なんとか自覚させんと
だから悪者が必要なのや)

あのときは青鬼が悪者になってくれたんでしたっけ。

(人間の世界には
『借りを返す』って言葉ある)

人間の世界は楽しかったですか?

(楽しいけど、まだまだやな、あいつらわ
全体が何も見えてないわ)

”半分”の力しか使っていないからですよ。
今度は自分が悪者をやる番… かわりばんこ ですね。

(「My Turn...」
ジェイソン・ステイサムばりにな)

一通りやられて、ひと段落した後につぶやくように言うのがカッコイイんですよね〜。

(小さな声で「俺の番だ...」
ってのがええのや〜🎵)

そのニュアンスで「My Name...(俺の名は…)」といえばおもしろいですかね?

(え?)

いやなんか、そのニュアンスだとウケるかな〜と。

(しばくぞ、ボケ)

つれないですね〜。
まぁでも、借りを返すことは良いことです。

(この辺は昔の人間の方ができとった気がするけどな
貰う視点 = 貰うのが当たり前 になってから
どんどんおかしな方向に行ってもうたな)

欧米の国々は、それが原因で滅んでいるのですよ。
だけどそれを自覚していないのが悩みのタネです。

(自覚させる ってことがいかに難しいかよね
人は自分の視点でしか物事を見れんのや)

視界を曇らせる原因の1つに『肩書き』があります。

(肩書きに覆い隠されて、自分の名前さえ忘れてしまうのや)

肩書きを外したときの、あなたの名前はなんですか?
ってことですよ。

(My Name...)

言ってるじゃないですか。

(俺が言いたかったのや〜🎵)

まったくもう。
とにかく、肩書きより自分の名前の方が”独創”であり”自我”に近いのです。

(だから肩書きを気にしとる時点で、独創は手に入らない
ってことやで)

肩書き… 公 ← 普遍
名前… 私 ← 独創/自我
ですよ。

肩書きを気にするなら、普遍を気にするはずなのや
それやのに、独創を気にしとるやろ)

そこで”矛盾”が起きているのです。
頭が良いなら、いいかげん気づいてほしいものですが。

(どんなものにも長所と短所があるからな)

非常識(= 独創)なことがやりたいなら、常識(= 普遍)を知れ ですよ。

(歴代の偉人たちが、少しずつ残してきた”Sign”
これを見逃すな)

それではこの辺で🎶

(ほなまたな〜 🐝 )





*参考書籍*
 ・エントロピーをめぐる冒険 鈴木炎 講談社ブルーバックス
 ・宇宙の哲学 伊藤邦武 講談社学術文庫
 ・集合と位相 瀬山士郎 講談社ブルーバックス
 ・物理学者、SF映画にハマる 高水裕一 光文社新書
 ・はじめての人類学 奥野克巳 講談社現代新書






【とある時代の逢魔時】

だいぶ暗くなってきたな〜、そろそろ帰るか。
まぁ、おとんもおかんも仕事で家にはおらんし、急がんでもええやろ。

トボトボ…

おーれーの勝ーちーやー🎵
おーれーの勝ーちやー🎵
ホヘノハーニハー 🎵
ホヘノハーニハー 🎵

もっとムカつく言い方はないやろか...

トボトボ…

ま🎵 じぇ🎵 ゆあすてぃ🎵
まじぇ🎵 ゆあすてぃ〜🎵
ま🎵 じぇ🎵 ゆあすてぃ🎵
まじぇ🎵 ゆあすてぃ〜🎵 かもん!
ま🎵 じぇ🎵 ゆあすてぃ🎵
まぢぃ🎵 夜遊び〜?🎵
ま🎵 じぇ🎵 ゆあすてぃ🎵
まじぇ🎵 ゆあすてぃ〜🎵 おーらい!

まじぇまじぇじぇ〜ま🎵 まぢデーマ🎵
まじぇまじぇじぇ〜ま🎵 まぢ出ー島🎵 かむべ!(←Come on Baby)
まじぇまじぇじぇ〜ま🎵 まぢヘーマ🎵
まじぇまじぇじぇ〜ま🎵 まぢ…

… ん? なんやお前...?

なーなー、なんでそんなとこで泣いとるんや?

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