当たらない『勘』・信じる『直感』
『勘』や『直感』って本当にあるの?
私の『勘』は当たらない。
スイカやメロンを買う時「こっちの方がおいしいかな?」と選んでも、その決断が正しかったことがありません。
「こっちの方がおいしいかな?」は、『統計学的思考』で選択したものにすぎず、『勘』ではないと主人は言って笑います。
それは置いておいて…
例えば、人と出会った時の『直観』はどうでしょう。
年を重ねた今は、経験から、その人がどんなタイプか想像できるという事はあります。つまり、それも『直観』や『勘』とは違い、私の長年の経験をベースにしたスタディーケースの中の複数ある類似例と照合して、瞬時に「この人はあの人に似ているから、こういうタイプの人間に違いない」という結論に達する「事例ベース推論」であって『勘』ではないのかもしれません。
もし『勘』や『直感』というものがあったと仮定すると、私の持っている『勘』や『直感』は全くあたらない。それは確かなのです。
友達Aさんとの出会い
新しく就いた職場に初めて出勤した日に、Aさんと入口ですれ違いました。
彼女を見た瞬間に私の『勘』が私にこう伝えました。
「この人は私と合わないタイプだ。」
出会いから20年経った今も、日本とイギリスと離れ離れで、会う機会も少ないのにもかかわらず、Aさんは誰よりも私の事を理解し、私の気持ちをさりげなく察してくれています。LINEのやり取りは、基本お互い必要事項を伝え合う時のみ。それでも会うと、離れていた時間や距離があっという間に縮まり、いつまでも一緒にいたいと言う気持ちにさせてくれる、私にはなくてはならない友達でいてくれています。
イギリスで一番仲良しにしてもらっている友達のBさんとの関係
日本人ママ友グループの会合で初めてBさんに会った時に「私の勘」が私に言いました。
「この人とは深く関わることはないな。」
数年後、私の娘とBさんの娘さんが急接近し、仲良しになったことをきっかけに、今まで30人近く会った日本人ママ友の中で唯一、定期的に会っている友達となりました。
「自分の直観を信じて!」
「自分を信じて!」や「自分の『直観』に従って!」は、イギリスではよく耳にするフレーズです。
娘の大学の選択の時も、主人が娘にこう言っていました。
主人:「エマ(娘)の直観はなんと言っているの?」
娘:「う~ん・・・ そうだなぁ、〇〇大学かな~?」
「う~ん・・・そうだなぁ~」って言ってる時点で直感じゃないんじゃない?と話を聞いていて思いました。(笑)
『直感』とか『勘』って実際にあるんでしょうか?そして当たるんでしょうか?
『直感』を信じようと思った日
一度だけ『勘』というか運命を感じて、それに従ったことがあります。
それは『主人との結婚』です。
主人と仕事で出会った時、初めて会った時には何も感じませんでした。当時バリバリのアメリカ英語で話していた私は、主人のイギリス英語の発音が思ったよりわかりやすいなと思ったというのが会った時の感想でした。『ビビットきた!』とか言う衝撃的な出会いでは全くありませんでした。
ところが、
彼と仕事をして数日が経ったときに、並んで歩く機会があったのです。その時、私が何かにつまずいて隣にいた主人の腕にぶつかった瞬間に、
私の耳元で『ベル』がなったんです!
思わず私は、「ごめんなさい。」と言った後に、「あなた何かベルのようなもの携帯しているの?」と聞きましたが、主人の答えはNO。私もベルがついているものは持っていませんでした。
「運命の人に出会ったとき、たとえばそういうウエディングベルみたいな鐘が鳴るとして、、、全ての人に等しくその鐘は鳴るのでしょうか?鳴らないです。」という誰かのブログを見たことがあります。
私には聞こえたんです。結構なボリュームの『チリン』というベルの音が。
私と主人の結婚にはいくつかの障害や困難があり、正直、結婚までの道のりは簡単なものではありませんでしたが、私は難しい局面に遭遇する度に「ベルがなったんだから、正しい運命の選択に違いない。」と、若かったからそう思えたのかもしれませんが、ただそれだけを信じて結婚しました。熟年離婚も流行っている時代ですので、今後何があるかはまだわかりませんが、今でも『運命のベルの音』を耳にした時の衝撃と、それによって伝わってきた直感のようなものが、私の人生を今でも支えてくれている気がします。
信じる者は救われる。
私は特に信じている宗教・信仰はありませんが、その人が幸せな方に向かうことができるきっかけを作ってくれて、その人を支えることができるのであれば、どんな宗教・信念・信仰(「人を無理に勧誘したり、物を売りつけたりしない」という条件付きではありますが)も信じ続けることは素晴らしいと思っています。
『勘』や『直感』、はたまた『運命のベル』は、実は何の根拠もない迷信かもしれませんが、それらを信じて出す運命の決断があっても面白いのかもしれません。
そんな事を言っていますが、私が『直感』で選んだ人生の選択は、主人との結婚が最初で、恐らく最後だと思います。
なぜなら、私は主人曰く「Miss Overthinking」(考えすぎるぐらい考える人)ですから。
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