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「習慣」は最大の武器になる、が――論文の書き方と睡眠薬


「人間の最大の武器は何だか知ってるか」
「さあ」
青柳雅春はハンバーガーに噛み付き、聞き返した。
「習慣と信頼だ」  
       ―――伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』


『ゴールデンスランバー』を読んだのは、中学2年生のときだったと思う。たしかに、首相暗殺の濡れ衣を着せられた主人公は、張り巡らされた伏線を美しく回収しながら、習慣と信頼を駆使して逃亡する。

でも、当時は意味が分からなかった。「信頼」が武器だというのは、まあ分かる。みーんなそう言う。しかし、「習慣」がそんなに強力な武器なのか? 本当に?


中学生のときに意味が分からなかったのも当然だ。それまでは、時間割という名の「習慣」の中にどっぷり浸った経験しかなかったのだから。

大学院生という名の自営業(というかフリーター(というか無職))になってよく分かった。本当に本当に習慣は大事だ。


鹿島茂『勝つための論文の書き方』は、「論文を書き始める一番良いタイミングとは、論文を書き終えたとき」と書いていた。なぜなら、一番自分の論文の欠陥が見えてくるのは、論文を書き終わった瞬間だからである。だから、まずは書かなければならない。「書き終え続け」なければならない。

ポール・J・シルヴィア『できる研究者の論文生産術――どうすれば「たくさん」書けるのか』は、「1週間のうち書く時間を決めて、それを必ず守って習慣にしろ」というたったそれだけのことを1冊かけて述べ続ける。でも、大げさに言って、実際それだけで論文は書けるのだと思う。

「書くための蓄積がない」「インスピレーションが湧いてこない」と言い訳する前にまずは書く。特に朝書くのが望ましい。なぜだか分からないけれど、夜中に書いたラブレターはあらぬほうへ筆が走るものだ。



大学院生は、「朝、文章を書く」という習慣を持つべきなのだ。だが、私は朝まったく起きられない。アラームを4~6回ほど止めて昼ごろ目覚め、それでも起き上がりたくないので、2~3時間は布団の中でスマホをいじって、(1発抜いて)、ようやく活動できる。遅く起きたものだから、もちろん夜は眠れない。闇の中ひたすら目をつむっている、あの無の時間の恐怖。

というか、「朝まったく起きられない」は盛りすぎた。10時からバイトがある日はギリギリ起きられる。緊張感と義務感があれば、何とか動き始められる。だからこそ、なおさらタチが悪い。

まず、夜型の生活リズムが私に向いているのなら、最悪、「夜型の規則正しさ」で生活すればいいのだ。遅寝遅起きで暴れん坊なラブレターと論文を書き続ければいい。それも個性。だが、社会は朝型にできている(10時出社は結構遅めだとはいえ)。だから余計に「習慣」を組み込みづらく、生活がガタガタになる。

第二に、もしバイトがある日も起きられないのなら、それはきっと病気だ。だから私の体内で悪さをする何かを懲らしめればいい。しかし、頑張れば起きられるのだから、起きられない日は単に私が頑張っていないだけということになる。それでは病ではなく、ただの怠惰ということにならないか?

もしかしたら、そうなのかもしれない。だからこそ苦しい。病気じゃないなら、私の人格に問題があることになる。


「習慣」の話から脱線するけれども、こういう「不眠症じゃないけど眠れない/起きられない」とか、「鬱じゃないけど毎日がつらい」とか、「貧困ラインは超えてないけどお金がない」とか、そういう「中の下」「下の上」の苦しさにも優しくありたいものだなと思う。

「もっと不幸な人がいるんだから我慢しろ」という慰めは、当事者のちょっぴりの不幸を減らしてはくれない。そういう「理想の不幸」は、現実にある微妙な苦しみを隠してしまうばかりか、きっと「下の下」の苦しみをも見えにくくさせてしまうだろう。

怠惰な自分をどうにかしたい、そうしなければ苦しい、と思うなら、病名がつかなくても誰かに頼ったほうがいいし、たぶん医者の指示に従って薬も飲んでいいはずだ。



……と思って昨年の12月に大学の精神科に行ったら、「薬に頼るよりは『習慣』をつくって治しましょう」と言われてびっくりした。マジでただの怠惰だったのか。俺に病名をくれ。

医者に「バイトの日は起きられるわけですし、バイトのない日も朝に用事を設けてみてはいかがでしょう。毎朝、指導教官の先生と面談するとか」と言われて、余計にメンタル悪化するわ馬鹿、と思った。


まあ無事、補助的に睡眠薬も処方されたから安心した。幸か不幸か周りの院生は精神科経験率が異常に高いので、特にスティグマも感じずに大学の精神科にかかることができた。こうして初めて病院に行ったのが約2か月前の話だ。

服用すると、本当にすぐ眠りに落ちる。毎晩「明日こそ早起きしよう」と1時間も2時間も暗闇のなかでうじうじ悩んでいたのが嘘のようだ。頑張る頑張らないの精神論ですぐに解決しないなら、さっさと薬学的にアプローチしたほうがいいケースは、きっと少なくないのだろう。




しかし、今日、このnoteを書いたのは、「無事に『習慣』を手に入れてHAPPY」という話をしたかったからではない。習慣は、武器にも凶器にもなる。


薬を飲み始めた当初は、ちゃんと常識的な時間に寝て、常識的な時間に起きることができていた。しかし、ここ最近、また起きられなくなってきたのだ。

これはおそらく、「俺は睡眠薬を飲んでまで、生活リズム・生活習慣を取り戻そうとしている」という緊張感が失われてきたせいである。睡眠薬が「習慣」に飲み込まれたのだ。

「頭の良さは伝染するから、バカなアンタは賢い彼女をつくりなさい」と母に言われた息子が、「ママの言う通り、彼女もバカになったよ」と報告するアメリカンジョークを思い出す。


再び、朝起きられない日々が始まっている。昨日は、1発どころか、3発抜かなければ動き始められなかった。布団から出た頃にはもう疲れていた。


僕はもう終わりです。



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