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連載小説 :旅の芸人達(1)旅の前夜

「おい、保名(やすな)。明日は早いぞ。もうその位にしておけ」

後ろから声が聞こえた。

振り返ると、庭の奥にある土壁の粗末な座員の寝所の入り口に、吉丸(きちまる)が寄りかかってこちらを見ている。

弥生の末の夜。春といえどもまだ肌寒い日が続いていた。しかし今日は夜になっても空気にはほのかな暖かさが感じられた。

「うん。もう終わりにする」

それを聞いて吉丸は寝所の建物の奥に戻っていった。

俺は庭で自分の踊りをさらっていた。

明日から俺達は旅回りの芸人一座として巡業に出かける。

これまでにも四度、兄さんや姐さん達と旅回りをして芸を見せてきた。今回は座頭の息子の吉丸が座長を務める旅の一座に加わることになっている。
明日はこの京丹波を出発し、まずは丹波篠山を通り、おやじさんの弟子がいる堺を目指す事になっている。

京の方面に行きたい所ではあった。だが、元亀四年の今年、時の将軍足利義昭公と右大臣の織田信長公との争いが起きた。

都では、「信長公が大軍を引き連れて京に向かっている」「武田信玄様も大勢の兵を連れて信長様に近づいている」などの噂が飛び交い、信長公が京で大掛かりな焼き払いを行うとの風説が出た途端、京の人々は上京や下京から逃げ出し始めた。

ここ京丹波にも不穏な噂は広まってきていた。こんな事態のため、京に巡業に出かけるのは諦めざるを得ない。

まずは普段から懇意にしてくれている丹波篠山の春日神社での勧進を務めること。そして南に進み、堺まで道のりで芸を見せながら進むことになった。堺には俺達の座頭であるおやじさんのお弟子さんがいる。長年お会いしていないお弟子さんに吉丸からご挨拶に行くことになっていた。

俺は庭で稽古を終え、しばし身体を伸ばして整えた。

庭には柔らかい黒い土が広がり、母屋の渡り廊下の近くには、いつも俺達が稽古をする白い石を敷き詰めた小さなお白州が広がっている。庭の隅の方には僅かばかりの紅葉が緑の葉をつけている。

母屋の縁側の奥にある囲炉裏の部屋からは、灯りが漏れていた。まだ誰か起きているんだろう。

俺は庭の奥にある、座員の寝所のある建物に戻った。

昔は俺も母屋の子供部屋で寝ていたが、今では大人の座員達が使う庭の建物の中で兄さん達と一緒に寝ている。

ひんやりとした土壁の部屋はいつも快適で、狭いながらも十人の座員の男達が寝るには充分な広さがあった。

すでに寝入っている兄さん達を踏まないよう気を付けながら、入り口近くにあるいつもの俺の場所に戻り、音を立てないように土間に敷いた菰の上にそっと横になった。

けれどもなかなか寝付くことが出来ない。

この度の巡業で自分の考えた男舞がどこまで通じるか。そればかりが頭を駆け巡る。

見物人は、良く見慣れた出し物は面白がってくれる。しかし初めて見る物への反応はまちまちだ。果たして自分の舞がこれから旅する町や村で通用するのか。それが不安だった。

俺がこの一座に来てから早五年ほどになる。歳も十六歳になった。

小さい頃は遠くにある寺で暮らしていた。親はいないらしい。寺での生活に退屈した俺は、夜半に坊主が閉め忘れた裏口から抜け出した。そして子供の足で翔れるだけ翔って今住む京丹波までやってきた。そこで今の座の座長であるおやじさんと巡り合い、今も無事にこうして座員として置いてもらっている。

この座に来てから軽業を仕込まれつつも、近頃は自分で作った男舞で舞台に出させてもらえる様になった。

俺が舞うのは女衆の華やかな舞とは少し異なり、高い跳躍などの身軽さを売り物にした男舞だ。

これまで旅や京までの遠征などで、沢山の辻芸や猿楽(能)、狂言、曲舞(※)などを見てきたが、男ならではの迫力のある舞を作りたくなった。実際に猿楽や狂言、曲舞では男が軽々と舞を披露している。
 
荘厳な猿楽。
陽気な狂言。
軽やかな曲舞(※)。
 
昼間に四つ辻で見かけるそのいくつもの異なった舞に、俺はしばし釘付けになっていた。そして見るたびに軽業とはまた違う、もっと力強く大胆な動きのある舞を作りたくなった。うちの座は女舞いが呼び物の一つなので、男舞いは肩身が狭かったのも事実だ。

稽古の合間や夜の寝る前のしばしの時間、俺は一人で舞を一から作り始めた。初めは曲舞や猿楽、狂言の物まねだった。

そのうち、自分でこう動きたい、ああ動きたいという気持ちが強くなり、自分なりに動きを工夫してみた。どんな楽に合わせているかも想像しながら動いてみた。

自分で納得のいく動きが出来るようになった頃、座頭のおやじさんや、おやじさんの弟で舞いの達人の吉太郎さん達にも見ていただく機会が数度かあった。俺がこっそり何かをやっているのはお二人には筒抜けだったらしい。

新しいものがお好きなお二人は、俺に自由にやらせてくれた。そして、だめな時はいつも通り「保名、もう一度さらってきな」の一言が出るだけだった。

舞台に上がれるような男舞が作れるようになるまで二年かかった。

「お前さんは細面な上に線も細いから男らしい舞は難しいと思っていたんだけどね。身軽だから動きがピシっと決まって良くなっていくのが分かるよ。それに力強さも出てきた。これなら誰からも曲舞とも猿楽とも言われないだろう」吉太郎さんが言ってくれた。

「ありがとうございます。そう言って頂けて光栄です」

「もうしばらくしたら四辻での出し物に出せるようになるといいな。おれからも兄貴に言っておくよ」

吉太郎さんがそう言ってくれたのをきっかけに、俺は自分の男舞に少し自信を持った。曲舞や猿楽とも違う舞。そう言っていただけただけでも有難かった。

男舞は猿楽や曲舞では当たり前のものだ。けれども俺の考えた舞は他の舞よりももっと力強く、かつ、もっと軽やかであって欲しいと願っていた。

初めて自分の舞を四つ辻で披露した時の見物人の反応はよく覚えている。

鼓の龍(りゅう)兄さんと笛吹きの幸(さち)兄さんが工夫してくれた楽と動きが合っていたせいだろうか。見物客は、始めはしんとしていたものの、次第に喝采を送ってくれる人が現れた。その反応を受けた時はただただ嬉しかった。
四つ辻で何度か自分の舞いを見せてて良い反応を貰えるようになった頃、河原の舞台でも舞を披露するお許しが出た。

しかし、いざ舞台の初日になってみると、俺は不安になった。

四つ辻とはまた違う見物客の前での披露。身体が緊張し、こわばる。

こんな事は初めてだった。これまでに十年も軽業で舞台に出ていた時には無かったことだ。

見物人は、良く見慣れた軽業は面白がってくれる。しかし初めて見る出し物の反応はまちまちだ。

見料を払って見に来てくれる見物人の中には俺達の座のご贔屓筋もいる。目の肥えたご贔屓筋はごまかすことが出来ない。

失敗してもまた明日やり直せばいい。そう分かっているはずなのに、この初披露の日に限って緊張が収まらない。胸の鼓動がどんどん早くなっていった。

楽の兄さん達からはいつも通りにやれば良いと声掛けをしてもらった。

衣装は黒地に白の模様がついた直垂に、鮮やかな緑色の馬袴を用意してもらった。派手すぎではなく、かといって一人で舞台を勤めるのにお客の目が行きやすい色。衣裳の姐さんが念入りに選んでくれた。馬袴も動きやすいものとして用意してもらった。

そうこうするうちに、自分の出番が来た。

夕暮れの舞台の上には篝火が二つ揺れている。

楽の音をきっかけに、俺は緋色の扇を片手にして舞台に飛び出していった。
軽い跳躍の後、鼓の音に合わせて大きな動きで舞台を横切っていく。
幼い頃に読んだ絵草紙に出てくる侍達の動きを想像して作った動きだ。
 
「土蜘蛛」の渡辺(わたなべの)綱(つな)。
曾我野兄弟の仇討ち。
源義経公の八艘飛び伝説。
 
俺はとにかく侍の力強さを現したかった。

低くとった姿勢から素早く上に跳び上がり、また低い姿勢で旋回してから力強く足踏みを入れる。緋色の扇を剣に見立てて刀で相手と戦う仕草を見せる振りを入れる。

腹からの力を込めて、俺は楽の拍子に合わせて力の限り舞った。

笛の音が高くなり鼓の音が早くなるにつれ、俺の動きも素早さをどんどん増していく。

最後はすり足で舞台を素早く一周した後、大きな跳躍を入れて締めた。
見物人はしんとしていた。

舞が終わって、しんとした舞台に立っている間。緊張が高まる。

舞台に出る前とはまた違った緊張感。

静寂の中にいると、何がどうあっても動けなくなる。新作の出し物では、そのまま何の反応も無い場合もあるからだ。

そのうち数人が拍手を始め、最後には恐らく全部の見物人が拍手を送ってくれた様だ。

見物人の反応を見て、俺は惚けた様にぼうっとしたまま一礼をしてから舞台から降りた。

いただけた拍手のおかげで、それまでの緊張が少しだけ解けた。

舞台裏では、おやじさんと吉太郎さんから声をかけられた。

「力みすぎだ。いつもの緩急が出ていなかったぞ」

「もっとゆるりと構えなさい。気合いがはいりすぎて、かえって舞いが単調になっていた」

吉丸からも指摘された。

「上手くやろうと考えすぎだよ。いつもの稽古通りにやっていればそれで充分見応えがあるんだ。お前、自分に自信が無さすぎだぞ」

周囲からどんなに良いと言われていても、俺は舞を見せる時にはどうしても不安になってしまう様だ。

この原因は分かっている。

自分の考えた舞には手本というものが無い。型というものも無い。誰かから教わるものでもなければ、これで充分という限界も無い。その限界の無さがかえって不安になる。自分の真の力量が試されるからだ。

普段の俺は初めての事にもがむしゃらに向かっていくが、今回ばかりは違うようだ。

これから巡業で行く土地ではどんな出会いがあるだろうか。見たことの無い舞に関心を示してくれる人は現れるだろうか。

そんなことを考えているうちに、うつらうつらと寝入っていたようだ。気が付いたら朝になっていて、座員の一人の徳二に揺り起こされた。
「保名、起きろ。もう行かないと」

巡業の朝は早い。日が昇る前に街を出なければならない。昼間の人出が増えた頃に辻で芸が出来るような遠くの村まで行かなければならないからだ。

俺は眠い目を擦りながら起き上がり、急いで母屋へと向かった。

粟の粥と味噌汁、そして漬物の朝餉をかきこむと、吉丸や徳二、それに俺や楽士で鼓の名手の龍兄さんと笛吹きの幸兄さんは、座長のおやじさんに挨拶をして家の外へ出た。空には明けの明星が光り、まもなく夜明けが来る。

「ほら、これ。忘れないで持っていっておくれ」

お婆さんが俺達に稗の入った袋と、貴重な干飯の入った袋を渡してくれた。徳二が受け取った。

「ありがとうございます。保名、稗の袋は背かごに入るか?干飯の袋は大きいから俺が持つ」

「徳二、お前に任せて大丈夫か?まさか道々摘まむんじゃあないだろうな」

吉丸が茶化した。

「とんでもない。吉丸、お前に任せたら干飯は三日と持たないだろうよ」

徳二がにやにやしながら返す。

吉丸の父のおやじさん、母のおふくろさんや座員の清と小雪も見送りに来てくれた。

俺がこの家に来て一緒に子供部屋にいたこの連中も、今ではすっかり様変わりしていた。

座頭の五男の吉丸は二十三歳。毎年のように旅回りに出るようになっていた。最近では座長として旅の一座を仕切り、巡業が終われば河原でも芝居を作る側として色々な案を出しては年かさの兄さんや姐さん達と堂々と渡り合っている。

徳二は二十歳になり、子供の頃からの見事な体の柔らかさを見せつつも、舞や太鼓の腕を上げてきている。旅回りに出れば、自分の身体の柔らかさを見せる芸をやりつつも、楽の一員として太鼓を披露する様にもなった。

今では新年の太鼓の踊りを引っ張っていく立場にある。昔は新年の出し物の見せ所の一つと言えば徳二の獅子舞だったが、そちらはずいぶん前に卒業した。

清は二十一歳。唄に専念し、四つ辻での出し物で唄を聞かせることが多くなった。また、舞と唄を合わせる出し物にも出るようになり、河原の舞台で少しずつ人気を博する様になってきている。

四つ辻での出し物に出ていない時は、針仕事を手伝うようにもなってきた。これまで針仕事は絹姐さんを筆頭に、おふくろさんの母のお婆さんが手伝っていたが、お婆さんもだいぶ目が見づらくなってきたそうだ。そこでやる気のある清に白羽の矢が立った。

小雪は十五歳になった。昔から腕前を認められた舞を極め始め、今ではうちの一番人気の舞手になった。美しく自然な動きが評判となり、町の人達だけでなく、京からもしばしばお声がかかって、個人のお宅で舞を披露することまである。

そんな小雪は、二年前からおやじさんの弟である吉太郎さんの舞の一座と、ここの一座での舞手を兼任するようになった。舞を一から作ることもしばしばあり、吉太郎さんやおやじさん、舞手の姐さん達からの信頼も厚くなっている。

清が威勢のいい声で言った。

「お武家さん達があちこちにいらっしゃるから、邪魔するんじゃないよ!しおれている方がいらっしゃったら、景気づけに思いっきり芸を見せてやってきな!」

俺達は苦笑した。徳二が口を開いた。

「たしかにな。京の都に集められているお武家様達が今ご移動中と聞いている」

「戦を前に俺達の芸を見てくださる余裕がある方々がいらっしゃるだろうか」

おふくろさんが仰った。

「保名、そんな時に見せてこそが芸人じゃないかい。しっかりやっておいで」

小雪も小さな声で言った。

「無事に帰ってきておくれよ。堺方面なら安心と言っていたけど、それでもどこで戦が始まるか分かったものではないし・・・」

吉丸が大きな声で返した。

「なあに、俺達は身が軽いんだ。危ない目に合いそうなものなら、お武家様よりももっと早く走って逃げられるよ。重い甲冑も兜もつけていない。心配ないって事さ」

笛吹の幸兄さんが皆を促した。

「さあ、そろそろ行こうか。次の村まで少し急がないと」

それを聞いた俺達は、大声で家の者達に挨拶をした。

「おやじさん、おふくろさん、おばあさん、行ってまいります!」

「清も小雪も河原の舞台を頼んだぞ!」

俺達はそう言って、幸兄さんの後を追い、日の出前の群青色の空の下を駆け出して行った。


(※ 曲舞)
中世に端を発する日本の踊り芸能のひとつ。南北朝時代から室町時代にかけて流行した。


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本作品はシリーズの第三作目です。
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