間抜けな失敗ほど繰り返される😭
歴史は繰り返されるという。
そして、間抜け過ぎて誰もやらないような失敗ほど誰もがやるもの💦
今回は、そんな間抜けな失敗の1つ「手取川(てどりがわ)の戦い」を取り上げます。
手取川の戦いとは当時、織田信長の重臣だった柴田勝家(しばたかついえ)が軍神・上杉謙信(うえすぎけんしん)と戦い惨敗した戦である。
「豊臣秀吉の前代未聞の敵前逃亡」劇などで、聞いたことのある方も多いかもしれません。
この戦での反省点をまとめるとこうなります❗️
❶他人の意見はきちんと聞くこと
❷思い込みで判断しないこと
❸相手の情報収集及び分析を怠らないこと
なんだか会社員にも当てはまる内容ですね😓
一度は上司からこのような説教を受けたことがあるのではないでしょうか?
では手取川の戦いを振り返りながら、ここから我々が学ぶべき点をみていきます。
歴史が苦手な方でも読めるように、なるべく簡潔に書きます🌟
カフェでコーヒーでも飲んでいるつもりで、ゆっくりくつろぎながらお楽しみください☕
主な登場人物
◆上杉謙信(うえすぎ けんしん)
上杉謙信を知らない人のために一応解説。
「越後の龍」「軍神」などと呼ばれる無類の戦上手。
戦国時代で最強の武将ともいわれていて、その力は織田信長も畏怖するほど。
宿敵である武田信玄の甲斐が食糧難の時は、塩を送って甲斐国を救った。
宿敵でも窮地には手を差し伸べる義に厚い男でもあった。
◆柴田勝家(しばた かついえ)
織田家の筆頭家老で勇猛果敢な武将。
「鬼柴田」と恐れられた武将で、「瓶割り柴田」などの武勇伝多々あり。
戦場では危険な先鋒を自ら買って出るほど。
信長からの信任も厚く、越後を守護する謙信との事実上の国境線ともいえる越前の守護を任されていた。
◆豊臣秀吉
後の天下人となる豊臣秀吉ですが、この頃は織田信長の家臣のうちの1人。
農民出身で信長の小間使いからスタート。
信長の草履を暖めたエピソードは有名ですね。
徐々に頭角を現し、有力家臣の1人へと上り詰めていきます。
「人たらし」といわれ、部下を統率する人心掌握術、敵を寝返らせる工作などに長けていました。
この頃は、羽柴(はしば)秀吉と名乗っていました。
羽柴の「柴」は柴田勝家の「柴」から頂戴したもので、柴田勝家を尊敬していたことが窺えます。
そこからも分かるように、この頃は柴田勝家のほうが立場は上でありました。
いきさつ
越後の守護大名であった上杉謙信(以後、謙信)。
織田信長の重臣で、越前の守護を任されていた柴田勝家(以後、柴田)。
そして、信長と長きにわたり敵対していた石山本願寺。
なぜ本願寺と信長が敵対してたかというと、その話は長くなりますが、
神仏など信じていなかった信長❕
お坊さんとの相性は最悪なわけであります😨
その本願寺から信長討伐を依頼された謙信が越中を制圧し、さらに能登の七尾城に攻め混みます。
能登を守護する畠山氏と謙信との戦になります。
いよいよ越前の手前の能登まで迫ってきた謙信軍。
それに慌てた柴田が、信長に援軍を要請します。
信長の命を受け、豊臣秀吉(以後、秀吉)も柴田の援軍に駆けつけます。
※因みにこの戦には、信長自身は参加していません。
謙信軍2万に対し、信長軍総勢4万。
倍近い数にすっかり安心し油断したのか、「数で押していけば必ず勝てる」と大した作戦も考えずに攻め込もうとします😓
「今すぐに攻め込めば、七尾城で戦っている畠山軍1万5千と織田軍4万で謙信を挟み撃ちにできる」と考え、今すぐの出陣を主張します。
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