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セロリ

先日、初めてセロリという野菜を調理した。


『セロリ』という名を、聞いたことも見たこともないという人はあまり多数派ではないだろうと予想するが、大好物であると公言する方もまた多数派ではないだろう。

セロリといえばこれだよね!的な代表作にも恵まれていないようであり、ご家庭で頻繁にお目にかかる野菜ではない。というのは私のイメージだが。

ちなみに国内の生産量一位は長野県であり、某レシピサイドで少し調べればサラダや漬物など様々なレシピが考案されているのを確認できる。


さて、そんなセロリなのだが、私はというと割と昔から好物の類だった。


私がセロリを初めて口にしたのは、小学生くらいの頃、祖母が夕食に作ってくれたミネストローネだった。

料理本だったかテレビの料理番組だったかは忘れてしまったが、祖母が何かその類のものを見て、初めてミネストローネなるイタリアのスープ料理を作ってみるに至ったのだったと記憶している。

『ミネストローネ』という初めて耳にするカタカナに遠い外国のおしゃれな雰囲気を感じてワクワクしたし、このおしゃれ料理の名を記憶せねばと何度も口に出してみた。

そして、祖母が家の畑で栽培したセロリという野菜を、ミネストローネと共に初めて口にすることとなる。


私からの評価が上々であったから、かどうかは分からないが祖母のミネストローネはその後何度も食卓に顔を出す定番料理となり、私にとっての「祖母の味」の一つになった。


話を戻すが、そのセロリを先日初めて調理することになった。実家から帰る際、祖母に持たされたためだ。

実家は今の自宅から車で10分ほどの所にあり、よく米や野菜を頂きに帰る。

愛ゆえなのだろう、妻と二人暮らしの我が家では到底消費不可能な量の野菜を持って帰らせるのは祖母の悪い癖であったが、最近はちょうど良い加減を覚えて来たようである。

消費や保存に躍起になったにも関わらず、食べ切れず腐らせてしまった野菜を捨てる際には、どうしても罪悪感のような感情を感じてしまう為、私には足りないくらいが丁度良い。
その日はセロリ1束と長芋を数本頂いて帰った。

セロリ1束を美味しくかつ一度に消費できるレシピというと、私の脳内レパートリーの中ではやはりミネストローネが一番に名乗りをあげた。
いや、他に名乗りをあげた者も居なかったのだが、特段反対する理由もなかった為、大人しくご指名させて頂いた。

グーグル先生に下ごしらえの仕方をお尋ねし、「お前、なかなか手間のかかる野菜なんだな」なんて独り言を言いながら丁寧に筋を取った。


下ごしらえが済み、食べやすい大きさに切られるのを待つだけのセロリがまな板に横たわる。
「きっとセロリって切ったら気持ちいいよな」「ザクッ…っていい音がしそうだもんな」なんて考えにいつの間にか頭を支配されていたため、包丁を入れるのが待ち遠しい。新しい刀の試し切りをする武士の気持ちってこんな感じなんだろうか、とまで思った。


いざ…と私の中の武士が心待ちにした一太刀を横たわる緑の野菜に浴びせたその時だった。
ふわり、という表現よりは少し強めに、切られたセロリがその香気を放った。
理由は分からないが、その香りに祖母の姿を想起した。なんだかセンチメンタルな気分に襲われる。
あんなに心待ちにしていた一太刀の手応えすら忘れてしまうほどに。


私を襲ったこの感情の正体を明らかにしたく、手を止め、祖母の姿に思いを馳せる。
祖母は健在だし、ミネストローネの味ではなく、なぜセロリの香りに祖母を思い起こしたのか。懐かしいというわけでもない、特別好きな野菜でもない。


ああそうか、夕食を作る姿だ。
結婚して、家を出て、妻と二人暮らしをするようになり、夕食を作る側になった私が、ずっと夕食を作ってくれていた祖母に自分の姿を重ねたのだ。
毎日決まった時間に夕食を準備する事がどれほど大変なことであったか、美味しいと食べてくれる人がいることがどれほど嬉しいことなのか、夕食を作るようになり、そんな気持ちの全てを祖母と共有できた気がした。


「ああ、ばあちゃんもこのセロリの香りを感じながらミネストローネ作ってくれたのか」


という気づきが、この感情の正体だった。


今度実家に帰ったら、一番に祖母に伝えよう。


「セロリ、美味しかったよ。」より先に、
「ミネストローネ作ったんだよ。」よりも先に、


「セロリって切った時、いい香りがするんだね」と。

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