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「つゆのあとさき」・・・梅雨時に送るちょっと不思議なお話。


「つゆのあとさき」 作 夢乃玉堂
      

雨上がりの石段を眺めながら、友司は眼下の町を眺めていた。

「もう一度、あの小さな手を取って歩くことが出来たらな・・・」

石段の脇に置かれた縁台の緋毛氈を撫でるように
優しい風が通り抜けていった。

『この寺の石段が苦痛に思えるようになったのは、
運動不足だったんだろうな』

そんなどうでもよい昔のことを、友司は思い出していた。

「護摩が焚かれ始めたから、あと少しよ」

いつのまにか友司の隣に若い女が立っていた。

「ああ、恵美か」

「どうしたの?」

気のない返事を返す友司の様子が気になって恵美は尋ねた。
年の事を考えていた事を若い妻に知られたくない友司は、
咄嗟に話を階段脇の駄菓子屋に目を移した。

「いつもここに来ると、友恵は駄菓子屋に寄ったね」

緋毛氈の色が優しく輝いていた。

「飴を選ぶときに指をくわえるのが、友恵の癖だったわ。 
何でもすぐに決めてしまうのに飴だけは迷うのよ。
並んだガラス瓶を端から端まで、何度も何度も見つめ直して、
でも結局選ぶのは・・・」

「・・・水飴」

二人は声を揃えた。

「僕は、一番安い水飴じゃなくても、金平糖でもハッカ飴でも、
好きな物を選びなさいって言ったんだけど。遠慮してたのかな」

「あら。本当に好きだったのよ、あの何の変哲もない透き通った水飴が。
買って貰った時はいつも嬉しそうに石畳をケンケンパして
帰ったじゃないの、覚えてない?」

と問いかけておきながら、恵美は友司の答えを待たずに話し続けた。

「あんまり勢い良く跳ねるから、水飴をお地蔵様の頭に飛ばしちゃって、
大きな声で泣いたのよ。
でも私、お地蔵さまが水飴の涙を流して、あの子と一緒に泣いてくれて
いるみたいに見えて、何だか笑えてきちゃった。ふふふ」

「飴を持ったまま走るからだ! なんて叱ったりしないで、
黙ってもう一本買ってあげれば良かったな。
結局僕は父親らしく振舞うことに一所懸命で、友恵に優しく出来なかった」

恵美は、やっぱりその話になったか、と思いながら友司の肩に手を添えた。

「ううん。あなたは十分優しかったわ。
叱った後で、手を引きながら歌を歌ってあげたでしょ・・・
一振り二振り小雨でござる。身の振り次第で、世間は変わる。
雨が上がれば虹が出るって」

「ああ。目の前で泣かれてどう接していいか分からなくてね。
何を言っても、子供にはきつい言葉にしか聞こえないと思ったから
歌を作ったんだ」

「即興だったの? 知らなかった。優しい歌ね。
雨が降ってもその後には、必ず良いことがあるって。
友恵も好きだったわよ、きっと」

「どうだろう。雨は嫌いだって言ってたよ」

「そう言えば、遠足の前の日に、たくさん照る照る坊主を作ったのよね。
軒先がまるで五百羅漢みたいだった」
  
「それでも降りやまなくって、作ったのにダメだったって怒られたよ」

「それでも友恵は嬉しかったのよ。
歌も、照る照る坊主も、友達に自慢してたんだから」

友司の頬が少し緩んだ。

その顔が見たくて、恵美は少しだけ嘘をついた。

あの時友恵は、友達に何も自慢しなかった。
そんな事を誇らしげに話す娘ではなかったのだ。

だが、自慢に思っていることは分かる。
何日経っても照る照る坊主を片付けようとせず、
暇さえあれば嬉しそうに眺めていたのを母は知っている。

石段の小さな水たまりに、雲の切れ目から顔を出した太陽が写っていた。
少し気分が晴れた友司が恵美に聞いた。

「君は覚えているかな。
お参りは水飴が目当てかい?って僕が友恵に聞いたこと」

「ええ。知ってるわ。あなたは気づかなかったかもしれないけど
あの時私、すぐ近くで見てたのよ」

「ああ。そうだったのか」

「お参りは水飴が目当てかい?って、あなたが聞いたら
友恵は『いいえ。とんでもない。でも、すぐに帰っちゃったら、
阿弥陀様に覚えてもらえないでしょう。だから、無理に水飴を食べてゆっくりしているのよ』・・・なんて生意気盛りだったのね」

「うん。その生意気が可愛かった」

恵美は大きく頷く横で、友司はため息をついた。

「でも、そのすぐ後に、あんなことになるなんて」

「仕方ないわよ。雨で階段が滑るんだもの。
おまけに友恵は傘を持ってたし」

「雨は降ってなかったんだ。僕がちゃんと手を繋いでたら・・・」

「まだ恥ずかしかったのよ。新しいお父さんに手を繋いでもらうのが」

慰めのつもりで言った言葉が核心を突いてしまった。
友司の表情がこわばり、それに気づいた恵美も黙りこんだ。

バツの悪い沈黙がしばらく続いた後、
カランコロンカランと下駄の音を響かせて
髪を島田に結い上げた友恵が駄菓子屋から出てきた。

水飴が三本入った包みを持ち、
雨の具合を見ようと空を見ながら石段まで近づいてきた。
     
「ああ。危ないよ。」

「もう16になるんだから大丈夫よ」

「そうか。水飴買ってても、子供じゃないんだな」

「それに傘も持ってないし」

「そうだな。やっぱりあの時も、僕が傘を持てばよかった」

「そうしたら、あなた、友恵を受け止められなかったでしょう。
13歳の女の子を片手じゃあ支えられないわ。
そしたら二人とも・・・結局。あれで良かったのよ」

「僕が死んだことがかい?」

「あら。そうなっちゃうかしら、ふふふ」

「10年もこちらにいると、ずいぶん達観しているんだな」

「ええ。あなたより7年も早くこっちへ来たんですもの。
愛しい人たちの成長を10年も見守ってたら、
悟りもするし達観もするわよ。
それに、普通はみんな、七回忌の頃には
この世の心残りを解消して天界に上がれるはずなのに。
あなたがこんなに早く来ちゃうもんだから、
残された友恵が気になって、上がれなかったんですからね」

「すまない。そんな事になってるとは知らなったんだ」

「本当に勘弁してほしいわ。
でも最後まで友恵を守ったんだから仕方ないわね」

突然、心に滲みいるような鐘の音が石段に響いた。
2人は階段を下りていく友恵を名残惜しそうに見詰めた。

「なあ。もうどうやっても、ここにいることは伝わらないのかな」

「無理ね。でも、こうしてお参りに来てくれれば、また会えるのは確かね。
そうだ。来年はきっと嫁ぎ先から旦那様と一緒に来てくれるわよ」

「それは、あまり見たくないよ」

「あら。そんなこと言っても、もう反対なんか出来ないんですからね」

「そうだな。俺たちには見守るしかできない。
でもせめて、このお店の水飴はずっと売っていて欲しいな」

「どうして?」

「それはもちろん。それだけ友恵が、ゆっくりしていってくれるからさ」

「そうね・・・」

鐘の余韻とともに友司と恵美の姿が薄くなっていった。

友恵が足元に注意しながら石段を下りると、一台の人力車が待っていた。
       
「お嬢様。おかえりなさいまし」

車夫は、手早く人力車の日除けを開き、少し残った雨の雫を手拭いで払うと、小さな足ふみを車の前に置いた。

友恵は、足元を確かめながら上り、座席に体を預けた。
その時、人力車の日除けに照る照る坊主の束が括り付けられているのに
気が付いた。大小取り交ぜて7、8体はあるだろう。

「玄さんは、雨がお嫌い?」

「いえ。そいつは娘が作ってくれたんでさ。
あっしら、雨が降っちゃ商売になりやせんから、
お天気になるようお願いするって言って。
気になるなら、外しましょうか」

「いいえ。付けておいてあげて。みんなニコニコして優しそうだから」
   
友恵は、座席から少し身を起こし、照る照る坊主に手を添えた。

「私も雨は嫌いなの。でもね、雨がたくさん降れば降るほど、
大きな虹が出るものなのよ」
  
人力車が雨上がりの道を走り出した。空には大きな虹が出ている。

友恵はその虹の向こうに手を合わせて呟いた。

「母さま。父さま。ありがとう。安らかにお眠りください・・・」


            おわり


*加筆修正


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