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わたしの「普通」と他人の「普通」

わたしたちはどれだけ他人の「普通」に苦しめられれば気が済むんだろう。

幸せでいなきゃいけない理由なんてない。それと同じように不幸でいなきゃいけない理由もない。今まで何度も理由のないものに理由をつけては疲れることを繰り返してきた。目に見えるものに傷付けられて他人から発せられる言葉に傷付けられて、わたしが生きてる界隈って生きにくい界隈なのかもしれない。その扉を開けるのは簡単だった。むしろ自然に流れ着いてしまった場所だ。

恋はいいものですか。愛は心地いいものですか。夫婦は信頼できるものですか。家族はかけがえのないものですか。出産は神秘的なものですか。結婚式は幸せな空間ですか。ウエディングドレスは心が躍りますか。優越感って、やっぱりあるんですか。

出産を「生きてきたなかで一番感動した」と言ってる女性たちを見て、女性であるにもかかわらず出産をしていない自分はいったいどんな気持ちでそれを見たらいいのか分からなかった。何にも代えがたいものなんだろう。でも結婚や出産に前向きなイメージを持っていないわたしがその感動を理解しようとするほうが難しいんだ。わたしがおかしいなら、自分以外のすべての人がもっとおかしいと思って言い聞かせるしかない。普段そんなことは絶対に言わないから心のなかで思うことくらい許して。

他人の子供なんて別に可愛くない。誰が見ても「可愛い」と言うほどよっぽど容姿が可愛くない限り、別に可愛いとは思わない。実際そんなものだと親と話していた。子供全員が天使なわけではない。子育てが大変だのお金がかかるだの言うなら、産まなきゃいい。わたしは本当はそう思ってる。

子育て世代やひとり親世帯に配られる給付金の情報を知るたびに、たったひとりの独身に人権などないことを思い知る。物価はどんどん値上がりし高い税金をとられてただ毎日働いて老いていく。希望なんてずっと前から見出せない。それはどれだけ自分の趣味や自分の時間を過ごしても心のどこかにずっとあるもので。どれだけわたしがわたしを信じてあげても世間の冷たさは変わらない。周りに合わせて相槌を打って笑っているだけ。「こんな世の中じゃ嫌になりますよねえ」なんてみんなで話している以上に、わたしの日常は絶望だらけだ。

何度も冷たい冬を「冷たい」と思って過ごしてきた。寒さは刺さるように痛かった。そんな冬を何度だって越えてきた。わたしは強い。心が鈍感になるほどに強くなってしまった。

いつも思う。わたしはどうなりたいんだろう。次のステージが35歳。その次のステージが40歳ならその頃には大体のことを納得しながら生きられているだろうか。大体のことを諦められているだろうか。どんでん返しで「幸せ」だと呟いているだろうか。見えない未来が怖い。老いていくことが怖い。出来ないことが増えていくのが怖い。たくさんのことが怖い。

いつか、どうか、わたしがわたしの普通を求めて生きていっていい未来がわたしのもとにあってほしい。

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