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続・魂が身体を離れたときに……👻

ヘッダー写真は、真言宗寺院での 花祭り(灌仏会)の時のものです
小さなお釈迦様に 甘茶をかけます

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12月9日の記事「魂が身体から離れた時、そのエネルギーでなにをしたいですか?」の続きです。

アメリカの医師マクドゥーガルは、人間は死の直後「」が抜け出ることで、21g程度、体の重さが減ることを発表しますが、その後の1911年、「魂の重さではなく、魂を写真に収めることに成功した」と公表します。
魂は”星間エーテル”に似た光であり、死ぬ瞬間に頭の周りに現れると言い出したのです。そしてこの光こそが21グラムの正体であると言うのです。 「エーテル」といえば現代科学では否定されている光の媒質とされていた物質です。音の波が空気や水の振動によって伝わるように、光は空間に満たされたエーテルを伝って伝播すると考えられていました。
アインシュタインによる1905年の特殊相対性理論によって、エーテルは完全に否定されています。         

           ~~ネットより引用~~

作家・遠藤周作氏が肺炎による呼吸不全で息を引き取る前、意識がなくなった時点で、「もうここ(肉体)にはいない」と、ご家族は感じたそうだ。
さらには、不思議なが点滴に当たって跳ね返ったとも述べている。
 ※確か遠藤氏の足元?から光が発生したと書いてあったような記憶が。
死の間際にいる人が幽体離脱をし、ベッドに横たわる自分を見下ろしたという話も、けっこうポピュラーである。
心臓が停止する前、意識のない状態の時にも、魂??は、身体から出ていけるのかもしれない。

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友だちが長いこと闘病していた。
手術や放射線治療を繰り返していたのだが、詳しいことは割愛する。
意識が無くなった時、彼女の母親から連絡があり、夜遅く病院に行った。
  
帰宅後、殆んど寝られなかったので、朝、用事を済ませてから、仮眠をとろうとベッドに入った。
うとうとしている時、半分起きて半分寝ているような状態の時に、誰かが私の両足の指先を優しく握った。
あれ?と思っているうちに、夢を見た。

場所は病院で、私もベッドに寝ており、そのとなりに彼女のベッドがある。
彼女が起き、立ち上がったので、私も起き上がり、廊下にあるテーブルまで行き、一緒に椅子に座る。
ニコニコと元気そうな彼女に、
「なぜ、こんなことになっちゃったの?」と聞いた。
こんなこと、とは、もう治療も何もできず、死を待つしかないという状態を指した。
そして彼女がそれを話そうとした瞬間。

携帯が鳴った。
現実に鳴っていたため、目が覚めてしまった。
しかし、彼女が触れた足先の感覚は、しっかりと残っていた。

死を迎える直前に、身体から抜け出して会いにきてくれたと思っている。
彼女はとても優しい人だったので、頭や肩をポンポンと叩いたらびっくりするだろうと、足先をそ~っと握って来たことを知らせてくれたのだと。

もし携帯が鳴らなかったら、彼女は何を話してくれたのだろうと、今も考える時がある。

マクドゥーガル博士は、魂のエネルギーは死の瞬間に発生するものと定義づけているようですが、これは、前編で書いた男性のケースならわかります。
しかし、私の友だちや遠藤周作氏の場合は該当しないのです。
死後ではなく意識が無くなった時に魂が抜けだし、エネルギーが発生したと考えるべきなのか?
そもそも魂だのエネルギーだのは、空論に過ぎないのか?

この記事は、こういった不思議な出来事、いわゆる心霊現象的なものを、
否定・肯定するものではありません。
答えが出るような問題ではなく、考え方・受け取り方は人それぞれです。

そんなことがあったんだ、程度に受け止めてくださいねまぁ~、やっぱりマイトリさん、頭がおかしかったのね

               👻 
死の直前、または死後の不可解な出来事は、単なる心霊現象ではなく、人の想いのエネルギーが具現化したものなのでしょうか。
何かを伝えたくて、誰かに会いたくて………。

その想い、エネルギーが、その時だけではなく、数年、数十年たっても現れることがあるかもしれない、という出来事があるのですが。
そのお話はまた、別の機会に。

前編・続編とも長くなりましたが、お読みいただきまして、
ありがとうございました。

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なるべく後悔しないように生きていきたいとは思っても、
「能事畢矣」と満足してこの世を去ることは、できるのだろうか。

     「能事畢矣(のうじ おわれり)」  四書五経より                  自分が成し遂げなければいけないことはすべて終わった

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