インドで人生変わんなかった
今から約20年前、19歳大学生の私は 1人でインドへ旅立った。
それは、ちょうどクリスマスの時期だった。
旅のきっかけは大学の ゼミ教授の言葉
「大学の関係機関がインドにできた。希望者はインドに実習に行けるがどうだ?」
実習と行っても具体的なプログラムはなく、
インドの福祉施設で下宿させてもらって 現地での行動は 学生次第ということだ。
プログラムもなければ、インドへたどり着くまでの アテンドもほぼない。
インドの福祉施設までは 生徒が自力でいかなければならない。
「インドって何があるの?」「えぇ・・・無理。なんか怖い」
ゼミ生たちがざわざわする。 誰も立候補者は現れなかった。
教授が 候補が現れないと察し
「まぁ 気になる人は・・・」
と話を切り上げようとしたとき
私は 思い切って手を挙げる。
「あ、私行きます。」
ゼミでボッチだった私。
「誰?同じゼミだけど喋ったことない、名前なんだっけ?」
というような ゼミメンバーの声が 聞こえたような聞こえないような気がした。
構わず先生の顔を見つめる。
「あの、私インドいきたいです。」
「お・・・おぉ そうか・・・」
先生の戸惑った顔になんだか少し不安になる。
海外経験のない両親は 娘が一人で インド(しかも南部の田舎)に行くと聞いて えらい動揺していた。
しかし止めはしなかった。
当時、あまり仲が良くなかった姉も おそろいのブレスレットを作ってくれて旅の安全を祈ってくれた。
「あんたが インドにいる間、私もブレスレットつけてるから。」
姉から渡された ブレスレットは 毛糸を2重にしただけのものだった。
(ヲイ!)
と突っ込みを入れたくなったが 普段会話しない姉が、旅の安全を考えてくれたと思うだけで ちょっと泣きそうになった。
家族の愛を感じて気恥ずかしかったが嬉しかった。
私がなぜインドに行きたかったといえば
たかのてるこ先生の 「ガンジス河でバタフライ」 や
流水りんこ先生の「インドな日々」 の影響をもろにうけているというのもある。
でも 何より 私は自分を変えたかった。
インドに行けば人生観が変わる。
という言葉を聞いて 私はいつか絶対インドに行くのだ と決めていた。
(インドに行って人生を変えるんだ。)
そこに 教授からインドの話が 舞い降りた。
神の導き に思えた。
これは行かない手はないでしょ!
私は 小学生の頃、変わり者だったこともあり 男子からいじめられ 同じ理由で ある教師からも嫌われた。
(幸い友達はたくさんいた)
そんな経験から 自分に自信がなかった。
「変わっているね」といわれる自分が恥ずかしくて いつも目立たないように気を付けた。
中学、高校ではいじめをうけることはなくなったけど、
浮かないように 目立たないように 遅れをとらないように 必死だった。
インドの旅支度をしている最中は 過食嘔吐がひどくなっていた時期だった。
インドに行けば 生き直せる 私は変われるんだ
そんな一心で 初めての海外一人旅という 不安を振り払った。
12月半ば
私は1人大きな荷物を背負い セントレア空港から日本を出発した。
シンガポール空港を乗り継いで トリバンドラム空港についたのは 夜だった。
インド滞在中はトリバンドラムの福祉施設に下宿させてもらうため
空港に施設関係者が迎えに来てくれる事となっていた。
外は真夜中。
19歳の英検3級の女子大学生が 1人 インドの空港でおろおろ。
夜のトリバンドラム空港には人もまばらで、 改めてとんでもないところに来てしまったんだと実感した。
私が大荷物を抱えておろおろしていると
「hei! nami!」
と手を挙げる インド人のおじさん。
おじさんに促されるまま 車に乗り込む。
真っ暗なガタガタ山道を 小さな軽自動車は かなりのスピードで飛ばしていく。
施設まで車で1時間。
あまりに真っ暗の山道で、本当に施設なんてあるのか不安になった。
その反面、飛行機のフライトが長すぎたので、やっと開放されてホッとした気持ちでもあった。
今思うと
英語もろくに話せないのに、よく 見ず知らずのインド人の車に乗ったもんだ。
しかも夜中 一人で。
若いって 怖い物知らずだなぁ。
もう20年も前の前の話なので 細かいことは忘れてしまったが、
おじさんはちゃんと施設の関係者で、車は福祉施設に到着した。
施設に到着すると 施設長のインド人夫婦(初老)が出迎えてくれた
施設長夫婦は夜中にも構わず カレーやらチキンを振る舞ってくれた。
施設はキリスト教系の障害者施設だった。
20人くらいの子供〜大人の障害者(主に知的)が一緒に生活していた。
私は 3週間、施設に下宿させてもらいながら
施設を手伝ったりインドを散策した。
なにもかも 日本と違うインド!
道には普通に牛が歩いているし 野良犬はおそろしく痩せてるし
部屋はお湯がでないし 毎日停電だし イモリがいるし 暑いし
やっぱり毎食カレーだし みんな手で食べるし!!
インドだ〜!って感じだった。
朝は 施設のみんなで ヨガ体操。
日中は 施設の子どもたちの勉強タイム
(それぞれ英語や算数をやっていた)
昼ご飯を食べた後
施設のお手伝いさんからお菓子をもらって食べる。
みんなでテレビみたり(プロレスが多かった)ゴロゴロして過ごした。
私が暇そうに ぶらぶらしているのを見かねて
施設長夫婦は ディナーやショッピングにさそってれた。
ちょうどクリスマスの時期だったので教会の礼拝にも連れて行ってくれた。
インドの滞在中 施設長夫婦や 職員さんたちから
何から何まで いたれりつくせりして頂いた。
今思い返すと、もっと自分からインドのこと教えてもらえばよかったと後悔する。
もっといえば 旅に出る前にインドのこと 調べていくべきだった。
私は インドに行きさえすれば なにか変わると思ってた。
インドに行きさえすれば なにか与えてもらえると思ってた。
実際はそんなはずなくて
英語も喋れない私に
インド人みんなが気を使ってくれた。
帰り際に施設長に
「今度来るときは英語勉強しておいで〜」
と言われた。
優しい方だったので 笑顔だったけど
「何しに来たんだこの日本の大学生・・・」
と がっかりされたはず。
日本に帰ってきてしばらくし 過食嘔吐を再開。
死にたくなった。
自分を変えたいなら
自分から積極的に努力しなくちゃならない
そう気づくのは
インドの旅から10年以上もたってからだ。
正直いうと このインド旅を思い出すと自分の不甲斐なさで辛くなる。
不甲斐なくて恥ずかしくて 当時の甘え腐った自分に腹が立つ。
でも インドの旅で
学びや気づきも たくさんあったと思う。
①変わりたいなら受け身ではだめだということ
②環境を変えただけでは かわらないということ
そして・・・・・
③インド人は 本当に毎食カレー食べてるということ
④インド人は 静かで 優しいということ
などなど
苦い旅だったけど インドのことはもっと好きになった。
40歳になった今 もう一回インド旅にいったら
もう少し 有意義にできる自信あるんだけどな。
英語はむしろ 当時より話せなくなったけどね。
でも なんだかんだで
1人で インドまで行って帰ってきただけでも
えらいことやった!と
19歳の私を褒めたいと思うのだった。
#忘れられない旅
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?