rusui namida

40代です。人生折り返し地点です。

rusui namida

40代です。人生折り返し地点です。

最近の記事

精神障害者の社会復帰と経済政策

 精神障害者が社会復帰するにあたっては、経済的施策が重要となる。 なぜならば、精神障害者の生活は、その疾病の特性から定期的な受診と継続的な服薬を続けることが重要とされるからである。また、精神疾患の症状によっては、安定した収入を得ることは容易でない場合が多く、長期入院などで、仕事の継続が困難となった精神障害者の社会復帰には、経済的な支援が必要となる可能性が高い。 その経済的施策の基盤となるのが「障害年金」と「生活保護制度」である。    精神障害が理由で一般就労につくことが困難

    • 精神保健福祉施策の変遷と精神保健福祉法における課題

       精神保健福祉の施策のターニングポイントの1つは、呉秀三が精神障害者のおかれた状況について、調査し公表したことである。  明治33年生、精神病者監護法が制定されるまで、精神障害者は公的な処遇の対象とはされず、私宅に監置されるなどの扱いを受けてきた。呉が調査を公表したことにより、官公立精神科病院の設置を目的とした精神病院法が成立した。 1945年、日本の配線により、諸外国の新しい考え方が導入され、1950年には精神衛生法が制定された。 これにより、今まで治療の対象とされなかっ

      • 男子と取っ組み合い 運動会

        ※センシティブな内容が含まれます。ご注意を 私は人生で1度だけ 他人をぶん殴った事がある。 それは 私が中学2年生の時だった。   私は もともと おとなしい陰キャであったが  小学5年生のときに教師からうけた身体的、精神的暴力の影響で  さらに自信をなくし、特に小学5〜6年生の時は陰気なキャラに拍車がかかった。 中学生になり、いじめや暴力を受けることはなくなり、徐々に友達の輪も増えていった。 気の合う親友もできて 楽しい中学校生活を送り始めていた。  変わり者の

        • 職務質問うけるほど…

          20代の頃 私は夜勤交代制の仕事をしていた。 当時の職場は 24時間を交代で回していた。 通常の日勤帯の他に 午後から深夜、夜から早朝、半日勤務  など 4つの勤務帯で回していた。 正社員の私は  全ての時間帯に入らなければいけなかった。 新卒、初めての正社員。  やってやるぞ! 私は、この時期、とにかく張り切っていた。 一刻も早く仕事を覚えたくて、 夜勤の勤務でも仮眠をほぼ取らず 仕事を覚えるため奔走した。 当然 夜勤が明けると ふらふらになる。 それでも 仕事中

        精神障害者の社会復帰と経済政策

          重いまぶたは 愛しい一重

          私は20歳の誕生日を迎えたら 絶対やろうと決めていたことがある。 それは 二重整形だ。 私は 元々 一重まぶただ。 それも まぶたの肉が分厚く まつ毛が全てまぶたの下にうまるくらい 肉厚の一重。 形は ちょうどちびまる子ちゃんの藤木くんの目。 で目の大きさと雰囲気は ちびまる子ちゃんの永沢くんみたいだった。 (そういえば 私のあだ名は永沢だった) 兎にも角にも 目が腫れぼったくて 小さくて 一重。  周囲からは 「目つきが悪い」 「睨んでる」 と言われてきた。

          重いまぶたは 愛しい一重

          先生に殴られても 

          ※センシティブな内容が含まれます。 ご注意ください 今から30年以上前 発達障害とか グレーゾーンとか そんな言葉は世に浸透していない時代。 私は変わり者で 幼稚園や 小学校でいつも浮いている存在だった。 幼稚園の時、お遊戯の時間。 お遊戯体操が はじまっても 私はウサギ小屋にいた。 ウサギの餌やりに夢中になるとお遊戯のことは頭からすっぽり抜けてしまう。 工作の時間、みんなで揃って同じものを作らなきゃならないときも、折り紙を目にした瞬間、勝手に好きなものを作り出し 先

          先生に殴られても 

          べビーマッサージインストラクターはボッチがお好き

          息子が生まれて 6ヶ月 私はベビーマッサージのインストラクターになった。 結婚して出産して 地元を離れ夫と 息子の三人暮らし。 仲の良かった友だちとは 結婚を機に段々と疎遠になった。 夫が仕事に行くと 夫が帰宅する夜まで  私と息子の二人きりの生活だ。 初めての子育てだったが  息子は 丈夫な子で めったに 体調も崩さず 大きく困らせることもなかった。 息子との生活リズムも段々とつかめてきたころ 私は無性に 誰かと交流したくなった。 ママ友のいない私は 息子との2

          べビーマッサージインストラクターはボッチがお好き

          「インサイド・ヘッド2」 映画感想

          ※映画 「インサイド・ヘッド2」のネタバレ含みます 夏休みももうすぐ終わりということで、  夏の思い出作りに家族で「インサイドヘッド2」を観に行った。 あらすじは どんな感情も、きっと宝物になる―ディズニー&ピクサーが贈る、あなたの中に広がる<感情たち>の世界。 少女ライリーを子どもの頃から見守ってきた頭の中の感情・ヨロコビたち。ある日、高校入学という人生の転機を控えたライリーの中に、シンパイ率いる<大人の感情>たちが現れる。 「ライリーの将来のために、あなたたちはもう

          「インサイド・ヘッド2」 映画感想

          ばあちゃんはパトカーとカーチェイス

          今から 30年以上前の話。 世間はJリーグ開幕で盛り上がっていた時代。 そんな時代の  私の祖母の話。  私は 祖母のことが好きだ。  毒舌で 照れ屋で素直じゃないけど 本当は優しくて めちゃくちゃ働き者なところが好きだ。 祖母は いつだって 親族の話題の中心だった。 話題は どちらかといえば 困った話題だ。 祖母は 突飛なことをするので 周りは 振り回されたり 迷惑もかけられたのだ。 私の母は、フルタイムで働いていて、帰りが遅かった。 私は、学校が終わると、

          ばあちゃんはパトカーとカーチェイス

          お母さん 私、指を切るの?

          私が小学4年生の時の話。 私は学校終わりは、祖父母の家で、母の仕事の帰りを待つのが日課だった。 その日は 母が残業で、祖父母の家で夕飯をたべた。 夕飯を食べ終わり 暇になり 祖父の、作業場にこっそりしのびこんだ。 私はひと通り作業場の物を物色して なんとなく置かれていた モンキーレンチを手に取った。 それは  小さいレンチだった。 レンチの輪っかに指を突っ込んだり 外したり 回したり、 なんとなく 暇を持て余して 手遊びしていた。 好きなアニメが始まったので 指

          お母さん 私、指を切るの?

          リップグロスで ハエ絶命

          私が高校生の時代は ミニスカ ルーズソックス プリクラ PHSが全盛期。 私の通う高校でも イケてる女子は 学校帰り ダボダボルーズソックス、ジャラジャラストラップのPHS片手に プリクラを撮りに街に繰り出した。 私は、そんなキラキラした平成ギャルたちとは縁遠い高校時代を送っていた。 なぜなら私は、小学校時代のトラウマを抱え続け、様子のおかしな変わり者陰キャに成長していからだ。 幸い 心優しい友達がいたため 陰キャながらも 愉快な高校生活を送っていた。 クラスの女子

          リップグロスで ハエ絶命

          お月様は 僕が好き

          息子がまだ 3~4歳くらいの頃。 私は、フルタイムで働いていて、息子を保育園にお迎えに行くのは 18時ぎりぎりだった。 残業があると 延長保育をお願いすることもあった。 クリスマスが 近づいて 保育園の入り口には ツリーとぴかぴか光るイルミネーションが出される季節。 今日も お迎えが 遅くなってしまった。 すっかり日が落ちて あたりの暗闇に責められている気分になる。 罪悪感と焦りで 駐車場から教室の入り口まで小走り向かう。 遅番ルームの扉をあけながら 「遅くな

          お月様は 僕が好き

          河童はドブ川に出るんだ!!

          私が 1番好きな人は おじいちゃん(祖父)だ。 祖父は 祖母と正反対。 人の悪口は絶対に言わない人だった。 物静かで いつもニコニコ。 いつも 仕事の後 1人で晩酌。 「波ちゃん これつけてきてくれる?」 と とっくりを差し出される。 祖父の日本酒を温めるのが私の役割だった。 祖父は 日本酒をのむと 真っ赤になって 畳に ゴロンと横になる 祖母はそんな 祖父の姿をみて 「だらしない」と怒るのだが  私は 祖父のとなりで 一緒になって横になるのが 大好きだっ

          河童はドブ川に出るんだ!!

          なつかぬインコは 反抗期の娘か恋敵か

          私は、子供の頃から動物が好きだ。 子供の頃は、犬、亀、金魚、ハムスター、ザリガニ、うずら、文鳥など色々飼っていた。 動物はみんな好きなのだが、特になんの動物が好きかと聞かれたら「鳥」と答える。 小学生の時は文鳥を飼っていた。手乗りで懐いており、とてもかわいかった。 大学生になり、自宅をでて一人暮らしをしたため、そこからしばらくは動物は飼わなかった。 動物が常にいる生活だったのでさみしく感じた。 結婚して、新居に落ち着いた頃、そろそろ動物が飼いたいと思うようになった

          なつかぬインコは 反抗期の娘か恋敵か

          入れ歯で 真っ青 修学旅行

          20年以上前、高校2年生の私は、交通事故によて 前歯4本 失った。 差し歯を作るため 定期的に口腔外科に通院した。 前歯4本中、3本ぼろぼろに折れ、残りの1本は神経がだめになり、 神経ごと抜くことになった。 差し歯を作る作業は 口の中で神経を抜いた入り 歯を削ったりの大工事だった。 差し歯をが出来上がるまでには時間がかかるため、仮の入れ歯も同時につくってもらった。 仮の入れ歯が出来るまでは、マスクをして学校へ通っていた。 前歯がないと 声がもれてしゃべりにくい。 ふがふ

          入れ歯で 真っ青 修学旅行

          カメがミイラになっていた

          私が小学校低学年の頃、家で カメを飼っていた。 いつ、どうやって 飼い始めたかは覚えていない。 覚えているのは そのカメは小さくて可愛かったことと、 死に様が悲惨だったことだ。 カメの名前は ミニラ 当時の記憶をたどると おそらく5センチくらいの イシガメだ。 目が黒々していて エサを食べるときに ゆっくりエサの方を向いて パクっと口を開ける姿が可愛かった。 30年以上前の話、 インターネットなんて 存在も知らない  そうかといって うちの家族は カメの飼育を本で調べ

          カメがミイラになっていた