ばあちゃんはパトカーとカーチェイス
今から 30年以上前の話。 世間はJリーグ開幕で盛り上がっていた時代。
そんな時代の
私の祖母の話。
私は 祖母のことが好きだ。
毒舌で 照れ屋で素直じゃないけど 本当は優しくて めちゃくちゃ働き者なところが好きだ。
祖母は いつだって 親族の話題の中心だった。
話題は どちらかといえば 困った話題だ。
祖母は 突飛なことをするので
周りは 振り回されたり 迷惑もかけられたのだ。
私の母は、フルタイムで働いていて、帰りが遅かった。
私は、学校が終わると、祖父母の家で母の帰りを待った。
母を待つ間、祖母は おやつを用意してくれたり 夕飯を作ってくれたり、買い物に連れて行ってくれたりと 世話をやいてくれた。
快適な 祖父母の家での生活。
至れり尽くせりの祖母。 祖母には今でも感謝でいっぱいだ。
しかし 今思い出すと 祖母に抗議したいことがある。
それは車の運転だ。
私は 学校が終わると週に2回 学習塾に通っていた。
塾まで 祖母は車で送迎してくれた。
雨の日も 風の日も 台風の日も、私が 帰りか暗くなっても 祖母は送り迎えしてくれた。
祖母は 口が悪いが 根はやさしい人なのだ。
だが しかし・・・・
祖母の運転は とんでもなかった。
車に乗り込み
「それ!行くぞ!」
といって 勢いよく ハンドルを握る。
広い田んぼ道に差し掛かると 祖母は決まって
「走れ〜 走れ〜コータロー ♪追いつけ追い越せコータロー♪」 と歌いながら
ぐんぐんスピードを出す。
田舎の田んぼ道を 窓全開で 爆走の 祖母の運転は 気持ちよかった。
のだが・・・
そんな 運転をしていれば
当然 スピード違反で捕まる。
ある時
「そこの車止まりなさい」
とパトカーから注意された。
子供ながらに度肝を抜かれたのは
祖母は 「警察に追われる!」 と 言って
「走れ~コウタロー」と 歌いながら さらにスピードを出したのだった。
逃げる祖母
サイレンを鳴らしながら
猛スピードで追いかけるパトカー
その間も 「止まりなさい!」
とパトカーに連呼される
まるで田んぼ道で カーチェイスだ。
あっけなく
捕まって こっぴどく怒られた祖母。
それを見せられる 小学校低学年の私。
なんと 情けない。。。。
幸い 祖母は 生きている間 スピード違反以外、ぶつかったり事故をしたりはなかった。
(スピード違反も立派な 犯罪なので 家族としては 恥ずかしい限りだが。。。)
私が中学生になると 母は 腸閉塞やらなにやらで身体を悪くして 入退院をくりかえすようになる。
祖母は、入退院をくりかえし、徐々に足腰が弱くなった。
家族の 説得もあり 早い段階で免許を返納した。
人様に迷惑をかける前に返納させることができて 家族としてはほっとひと安心だった。
祖母は 車の運転をやめたことで 大好きなパチンコにいけなくなり
段々と ふさぎ込むようになり
緩やかに 認知症になっていった。
段々と毒舌がぬけ キレが悪くなる祖母をみるのは悲しかった。
私の中で 祖母と言えば 毒舌で コータローを歌い、ハンドルを握る元気なおばあちゃんだ。
もちろん スピード違反なんて 絶対に許されないが、
豪快にパトカーとカーチェイスして
いたずらそうな顔をして 笑い
その後警察にこっぴどく叱られた祖母が
忘れられない。
ばあちゃん 大好き だけど