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ぐん税ニュースレター -お客様訪問- バックナンバー 2021年7月号

お客様との対談 ~八木工業株式会社~

この記事は2021年7月に発行されたニュースレターvol.19から「お客様訪問」の記事を再編集したものです。最新情報ではなく、掲載当時の内容に基づいておりますので予めご承知おきください。

小林浩一:こんにちは。まずは御社の沿革から聞かせてください。
八木社長:私の祖父にあたる八木富次郎が1914(大正3)年3月、高崎市大橋町23番地に「八木農機具製作所」を創立したのが始まりです。戦後間もない1946(昭和21)年、八木富次郎は社名を「八木工業舎」に変更し、農機具製造と八木式燻炭機の製造·販売を始めました。
1949(昭和24)年、北高崎に近い大橋町71番地に工場を移し、翌1950(昭和25)年、並榎町62番地に鋳造工場を増設し、1956(昭和31)年には、本社も並榎町へと移転しました。
1960(昭和35)年には、下小鳥町1060番地に第二工場を新設するとともに、翌1961(昭和36)年3月には組織を変更して資本金500万円の株式会社とし、社名を「八木工業株式会社」に変更し、八木富次郎の五男で私の父である八木昭が社長に就任しました。日本精工(NSK)との取引が始まったのはこの時からです。日本精工との取引は、ベアリング加工から始まりました。ベアリング(軸受)はご存知の通り、自動車に30~50個ほども使われる重要な部品なのでモータリゼーションに伴って市場が急拡大していました。
1968(昭和43)年にここ倉賀野町3121番地に広大な敷地(42,200m2)を確保し、本社および工場を移転しました。

小林:最初は農機具と薫炭機の製造だったのですね。八木社長は大学卒業後、すぐに入社されたのでしょうか?
八木社長:大学を卒業して日本精工の藤沢工場に2年間勤務した後、1980年に八木工業に入社しました。そして、1994年に私が39歳の時に父親が逝去したため社長に就任しました。
小林:ずいぶん若くして社長になられたのですね。血気盛んな頃ですから、海外進出とか、大規模投資とか積極経営に舵を切られたのですか?
八木社長:いやいや、自分に果たしてできるのかと、随分悩みました。当時の幹部社員は17歳年上の専務(母の弟で、私にとっては叔父にあたります)を始め全員が年上の方でしたが、しっかり盛りたてていただき、自分もまだ、精神的、肉体的に若かったから乗り切れたと思います。海外進出については長く考えていましたが、保守的な会社なので社員に賛成してもらえないと思って我慢をしていました。
2003年にポーランドのジャルフ市に40,000㎡の土地を確保し、YagiPolandFactory(YPF)を設立しました。ここでは欧州の自動車会社向けに軸受けを製造しています。
また、2008年1月には日本精工との合弁で、中国·張家港に恩斯克八木精密鍛造(張家港)有限公司(NYF)を設立しましたが、こちらの方は2018年にNSKに持分を譲渡しました。
2013年頃に米国の大口得意先を何度も訪れてノースカロライナ州に進出する計画を作ったことがあります。諸般の事情で計画は流れてしまい残念です。

小林:やはり歴史の長い会社だといろいろなことがありますね。他にグループ会社もありますか?
八木社長:八木運輸と八木精鍛という会社があります。八木精鍛は八木工業の外注作業を受託しています。また弟が経営している立科ゴルフ倶楽部もグループ会社です。
小林:八木工業の強みは何でしょうか?
八木社長:現在の社員は常務でも私より10歳くらい若いですが、役員含め、ほぼ全員が労働組合執行委員経験者です。「会社を良くして、社会を良くして、みなが幸せになる」という目的は労使ともに同じですから、立場が変われば役員/管理職として立派に務めてくれています。他の中小企業の経営者は、あまりこうしたやり方をしませんが、労務的なトラブルがほとんどなくてなかなか良いですよ。(笑)。先代の社長が「働いている人のために」という人でしたから、当社はもともとそういう会社なんです。

小林:それでは、現在の課題は何でしょうか?
八木社長:生産管理システムを始めとしてIT化を進めていきたいと思います。また八木ポーランドの支援強化をしていかないといけませんね。支援しようと思った時に新型コロナのパンデミックになってしまい、現地に行けなくなってしまいましたから。
小林:八木社長は高崎商工会議所の副会頭や群馬県経営者協会の理事など、数多くの団体の会長·理事長·委員等の公職に就かれています。会社の経営の上にそれだけの重責を背負っていらっしゃるわけですが、どのようにされているのでしょうか?
八木社長:私は“趣味と実益を兼ねる”といった、一石二鳥の考え方が大好きです。たとえば、ポーランドの工場を見た帰りに、せっかくだからふだん行けないようなところにも寄ってみようとか。好きなゴルフもお客様と行って実益も兼ねているという感じです。他にもスキー、旅行、マージャン、フライトなどたくさんありますが、公職などで忙しすぎてやりたいことができない状況です。これからは本業の仕事と趣味の時間をもっと増やすために、公職とのバランスを改善していきたいと考えています。
小林:僕は公職には縁がないので(笑)忙しくないはずなのですが、雑用に追われてゆっくり考えるような大きな仕事ができないのが悩みです。なので休みは長期に取るようにしています。毎年8月は北海道で1ヶ月ほど夏休みを取ることにしています。
八木社長:1ヶ月も会社を休むのですか?ヨーロッパ的な考え方ですね。私は毎日会社に来ていますよ。
小林:北海道に行っても携帯とPCがあればメールとチャットもズームもあるので、バーチャル会議もできるので仕事するのには困りません。流行りのワーケーションです。だから仕事もしています、ということにしています。
最後に、若い世代の経営者ヘアドバイスをお願いします。
八木社長:若い頃、多くの失敗を経験し、追い込まれたこともありましたが、そうしたときに学んだのは、自分の精神状態を安定させることの大切さです。特に不遇なときほど、心持ち次第で、その後の人生も変わると思います。そのために私が有効だと思っている考え方を2つ紹介します。まず「ことの成る、成らないを他人のせいにしない」。人を恨んだり妬んだりしても、結果は良くなりません。だから、そうならないために「どんなときでも物事を肯定的に考えるプラス思考を心掛けてやっていく」。社員にもこの二つの考え方が大切だと、朝礼などでよく話をしています。企業の盛衰は努力の数ではなく、運に左右されることがほとんどですが、だからといって努力を惜しむと後悔しますし、運を呼び込むように、いかに努力するかが大事だと思います。その意味で、会社の後継者に対しては、物事を好転させるためにはこだわり過ぎないことが大切だと話しています。固執しすぎると良い方には転がらない。運のめぐり合わせを良くするためにも、常に気持ちを平静に保つことが重要だと思います。
小林:私には耳の痛い事ばかりで勉強になります(汗)。
本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。

社名:八木工業株式会社
住所:群馬県高崎市倉賀野町3121
業種:ベアリング製造
創業:大正3年八木農機具製作所として創業
設立:昭和36年八木工業株式会社に改組
売上高:60億円(グループ売上高約80億円)
社員数:200名(グループ社員数約400名)
代表取締役:八木議廣

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