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8月6日(火)

久しぶりにnoteを書いてみる。

最近、本当に時間を持て余していて、昼寝したりゲームしたりと何も生み出さず、未来に繋がらないことばかりしてしまう。いや、未来につながることなんて別にしなくてもいいのだけれど、あまりにも暇すぎて考えずにできることばかりしてしまって、いい加減飽きてきたし自分が嫌になってきている。

読書も全然できない。7月最終週はめちゃくちゃモチベがあって、午前中に仕事をして、午後はフランス語の勉強をしたり、読書をしてメモをとったりしていたのだけれど、そんなことももうしなくなってしまった。

多分原因としては、まあ色々考えられるうちの一つとしては、言い方が難しいのだけど、彼女ができたということだと思う。彼女ができたこと、それ自体というよりも、付き合えるのか不安、失敗したらどうしよう、取り返しがつかないぞ、といったマイナスな感情も当然あったし、付き合えたらこんなに幸せなことはない、人生バラ色だ、なんていうプラスな感情もあった。結局は付き合えたのでいいのだけど、振られていたら今ダラダラと文章を書くなんてことはできていなかったかもしれない。誰か飲みに誘って、できるだけ1人の時間を減らしただろう。まあとにかく良かった。

でも友達が言っていた通り、恋愛することの何がすごいって、この関係を継続させていかなくてはならないことだ。付き合えて、はいゲーム終了、お疲れ様でした、また遊びにきてね、とはならないのだ。恋愛が続く限り、考えることは一つ増える。恋愛が終わったとしても、また次の恋愛を探してしまうのだから、考えることが別に減るわけじゃない。この欲望みたいなものとずっと付き合っていかなくてはならない。面倒くさいな、と思うと同時に、まあ幸せな悩みか、とも思う。

仕事のモチベが一切ない。自分がよくなりたい、とか全くない。読書が捗らなくなったのもそう。今の自分を無限定に肯定してしまっている。だってこんな可愛い人と付き合えたのだからいいじゃん、自分の生き方、間違ってないじゃん、みたいに。それはおそらく、生活リズムが狂ってしまったからだと思う。仕事が忙しい時は、朝5時に起きて、22時には消灯している、というサイクルが当たり前だった。完璧だった。でも今は違う。深夜まで彼女とLINEしたり、ゲームしたり、飲みに行ったりで寝るのが遅い。当然早く起きれない。午前中を無駄にする。そして日中やることがなくて、本当は色々することがあるのだけど、何もやる気が起きなくて、昼寝してしまう。となるとまた寝られなくなってしまった。あら不思議。てなわけで、生活リズムが全ての元凶だと見なすことにする。

今日は朝7時に起きて、まあと言っても何もしていない。昼にカルボナーラを作って食べたことぐらい。偉い。というのも、寝たのが深夜1時すぎていたから、また睡眠の質が下がってしまって、午前中は何もやる気が起きなかった。

あ、そうだ。Twitterやインスタのおすすめ欄を永遠に見てしまう。もう消そう。フットボールの情報収集には必要なので、最低限見る必要があるにしても、意味なくただ面白い投稿を求めてダラダラと見ることに何の生産性もない。TwitterはPCから見られるし、インスタはiPadから見れる。最低限でいい。

生産性、という言葉が大嫌いで、なるべく使わないようにしている。生産性とは、少ないリソース(時間とか物量とか人的資源とか)でどれだけのアウトプット(成果)を生産できたか、という指標だとすれば、とにかく何をアウトプットとするかによって生産性という言葉がもつ意味が変わってくる。自分が人生で一番大切だと思うことは、とにかく、ああ生きていて幸せだなあと実感できることだ。薄いだろう。とにかく薄い。でもそれ以上でもそれ以下でもないだろう。でもこれには短期的なものと長期的なものがあると思っていて、例えば今サンマルクで美味しいカフェオレを飲んでこうして文章を書いてたまにチョコクロを食べる、という時間はめちゃくちゃ幸せだ。短期的には。これを長期的に見れば、自分の貯金が減ったことになるし、やらなければいけない仕事を後回しにしているとも見れるし、こんな文章書いたって意味がない、とも言える。長期的には。だからこうして今サンマルクで過ごしていることは、生産性が高いと言えるのか、低いと言えるのかわからないのだ。だから生産性という言葉をなるべく使わないようにしている。

結構疲れてきた。今のところ約25分で1800字書いている。村上春樹は、毎日4000字書くらしい。何を書くかは日によるだろうけど、結構疲れるな。でも25分で1800字、こうしている間に1900字書けるってすごいことじゃなかろうか?今は午後で寝不足の頭でこうしてたくさん書けている。なぜか書ける。できることを、続けてきたい。もしそれに何の意味もなくても、ただこうして書いているのが楽しいし、充実感があるし、ああ、何か今日も残した、頑張った、という

ここで休憩。

ポモドーロ・テクニック。25分集中して、5分休憩する。この方法を知ったのは、大学生の頃。以来、何かと取り入れているが、悪くない。5分。ちょうどタバコが一本吸えるだけの時間だ。ちょうど。それが自分にとっていい。3分だったらタバコが吸えなかった。危なかった。

こうして書いているのが、何につながるかわからない。いや繋がらなくていい。だってやりたいことだから。やってて楽しいから。冒頭で書いた、ゲームしたりSNSを眺めたり、というのは、別にやりたいことじゃない。何もする気が起きなくて、何もできることがなくて、仕方なくやってしまうことだ。そういうのは全部ゴミだ。そういう時間を減らしていこう。というのは、もうずっと考え続けていて、何度も辞めてはまたやってしまって、の繰り返しだ。そもそも引っ越しの時にPS4を持っていかなかったのに、2週間ぐらいして取りに行ってしまったことがよくなかった。でもあの時は仕事が忙しくて、まあ息抜きになるのならいいか、とも思って取りに行ったのだった。それに、自分の中ではフットボールというのは生活以上のもので、どうしても離れられないものなのだ。だから許してしまった。これに後悔はしていない。でもSNSはダメだ。これを書いたら、スマホから消そう。すぐツイートできなくなるのはちょっと不便だが、WorkFlowyにメモって置いてもいいし、PCを開けてからどうしても呟きたいことは呟いたらいい。明らかにデメリットの方が大きい。頭がおかしくなるのだ。

文章を何か書く、という自分がやってて楽しいことを、1日の最初にできると、1日の気分の持ちようが違う。自分をコントロールしている。1日をコントロールしている。仕事三昧にならず、自分がやりたいことを選択して、実行できている。そういう充実感がある。何に繋がらなくてもいい。ただ楽しいからやる。続けられるからやる。そういうのが大事だ。

あ、ちょっと書くことがなくなってきたな、と思ったら、それをそのままここに書く。そうすると、書きたいことが自ずと出てくる。出てこなければ、これをずっと書く。あー。ついに俺もネタ切れか。仕方ないよ。だってもう3000字書いているんだもん。何の意味もない3000字だと、誰かが笑うだろうか?笑えばいいさ、お前にこれができるか?いや、できるできないよりも、やりたいならやればいいさ。やりたくないからやっていないのだろう?やりたいやつのことは、ほっとけよ。勝手にやらせておけばいいのだ。

いろんな大学の話を聞いていると、卒論が10000字に満たない大学が確かあったはずだ。そんな字数で何か書けるのだろうか。まあこれは卒論じゃないが、3000字なんてあっという間だ。5000字もすぐ到達する。俺が書いた卒論は、何字だったっけな。確か32000字だったはずだ。別にこれの量が多いとかそういうのは思わない。ただ必要なことを調べて書いていると、自ずとその字数になっただけだ。確か最低25000字か20000字は書かないといけなくて、そのギリギリの字数で行こうと思っている、と言ったら、指導教官に最低でも30000字は必要だと言われて、そんなのおかしいじゃないか、なんで勝手に増やすんだよ、と納得できなかったのを覚えている。結局書いたのだけれど。

ということは、必要なことを書いたらその字数になったのではなくて、だいたいこれぐらいの字数で、と思えば収まってしまうものなんだな。確か俺の場合は一章分増やしたはず。まあそれも必要だったはずなのだけれど。なんか懐かしいな。あの頃は、仕事への熱量も半端なかった。仕事を通して、この論文に書いたことを実現してやる、そう意気込んでいた。今となっては、できるだけ早く帰ろうと工夫する毎日だ。仕方ないよ、こんなに忙しいんだもん。今は暇だけど。

手が疲れてきた。今で3600字ぐらい。4000は毎日行けそうだな。25分で2000字か。まあ時間がない日は、25分だけでもいいし。とりあえず、できるだけ毎日続けたい。文章を書くことが楽しいというのもあるけれど、内省にもなる。今日は仕事がないからいいけれど、仕事がある日は、あ、あれをやらなくちゃ、と思い出すことも多々あった。書くことで、自分の頭の中の言いたいことが排出されて、忘れていたもの、奥にしまってあったものがポロッと出てくるのだろう。そういう効果もあるので、できるだけ毎日書きたい。意味はない。でもいいのだ。

サンマルクの机、小さい。小さい店舗だからそうなのか、サンマルクのスタンダードがこれなのかわからないが、とにかく小さい。手の疲れはそのせいでもある。家の机ならそれは感じないので、疲れはそこまで出ないかもしれない。明日は朝書こう。でも書けない日もある。飲んだ翌日とか、彼女と寝た日の翌日とか、サッカーを見た日の翌日とか。それもそれでいいんじゃないか。人生楽しめているってことだし。でも一日やらない日が生まれてしまうと、また復帰するのがすごく大変になる。だからやると決めたら毎日やりたい派だ。でも人との付き合いの方が大事だと思って、どうしてもできないこともある。それでいい。これを書くことで、面白くない人間になってしまうことだけは避けたい。それは目指すところじゃない。のらりくらり続けていければいい。今回みたいに、また戻ってこればいい。今日は自分がどれだけかけるのかを確かめたかった。25分を2回、50分。この時間で、今のところ4300字。意味がない4300字。目的がない。でもこんなことを続けたい、と思っているやつはあんまりいない。時間がない日は、25分だけでもいい。朝だし。仕方ない時もある。

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