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My東京百景

又吉サンの「東京百景」(又吉直樹著、角川文庫)で、「東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方もなく深いから嫌いになれない」と言っている。

著書では「あくまでも自分の生活に附随した風景だから場所が随分偏った」とある。確かに吉祥寺、三鷹、高円寺など「西側」が多い。東京より「東側」は勝鬨橋、隅田川、舞浜、富岡八幡の4か所しかない。

私が香港から戻って東京江東区に住んだのは偶然だった。当時選択として、横浜、戸塚もあった。そちらのほうが実家に近かったこともあり、気分は完全に「神奈川」だった。だが候補の三つ目に上がったのが江東区だった。結果、通勤時間の短さを優先した。

今でこそマンションが立ち並び、場所によっては「住みたいエリア」と言われているようだが、四十数年前は海抜ゼロメートル地帯ゆえの水害イメージと「夢の島」というテーマパークかと錯覚する名称のごみ処理場をかかえ、杉並区と「ゴミ戦争」を繰り広げていた。治安も良いとは言えない地区だった。(昔のハナシ)

自分にとっての東京は、どんなところだろう。人が多くて何でもある印象を持つが、自分が接する「東京」はその極めて限られた側面でしかない。面どころか点かもしれない。都会に巻き込まれて苦しむような思いはしていないし、又吉サンのように「気まぐれな優しさ」に出会ったこともない。

「東京百景」風に情景をちりばめるなら、こんなのはどうだろう。

【澱む小名木川】
隅田川につながる支流、小名木川の両サイドには整備された遊歩道がある。散歩やジョギングには絶好のコースだ。そこに一昼夜は越したと思われる、ドライな犬の糞が白い丸印で囲われている。たまに黄色やブルーの印の時もある。チョークで描かれたようでもあり、スプレーのようでもある。片づけない飼い主も飼い主だが、点在するドライ糞に印をつける人もつける人だ。だが糞を片付けない飼い主に注意をできない自分にも責任の一端はある。しばらく経つと糞も白い丸印も掃除されている。清掃員に対する業務指示に違いない。その指示を出すのは区役所職員に違いない。糞をする犬と片づけない飼い主は見たことがあるが、印をつける人と清掃員には遭遇したことがない。早朝に見かけることが多いので、早朝残業がついているはずだ。住民税の使われ方として適切かどうか考え、もし自分がその係だとしたら「ラクでラッキー」と思うか、「こんな仕事辞めてやる」と妙なキャリア意識を持つか、などと考えながら今週末も小名木川沿いをジョギングしている。水面は暗く、黒い。

① 区に怒られそう(但し飼い主にはモンクをいいたい)
② やはり又吉サンのようには書けない

都民になって20余年。自分の「百景」は描けるだろうか。

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