父への手紙 3 会社ではつまはじき、家では妻はじき
前述したように、父が企業の悪しき習慣を直していったことは、既に毒が回ってしまっている企業文化という血を解毒するには、痛みを伴うことは致し方なかったと言える。
「変わっている」とレッテルを貼られたことで、さらにストレスがたまったことだろう。
父が家族サービスを忘れても、酒を買いに行くことだけは決して忘れなかったのは、そういう理由が大きかったのだと思う。
外でも接待で飲んで帰宅するが、時には、べろんべろんに酔って帰ってきていた。
そういう時は、皆が寝ていようと大きな声で喋るから、子供であった私は寝ていても起きるし、母も寝ていたのを起こされるわけだから、たまったもんじゃない。
酔って電車内で財布を掏られることも何度かあった。
その度に、クレジットカ―ド会社銀行に電話をしてサービスや口座を止めてもらい、カードの再発行を依頼する。
父の世代は、こういう作業も母にやらせるのが当たり前の時代。
うちの家庭では、家族の誰が財布を掏られても、電話するのは私の役目なので、次から掏られることがないように気を付けるようになる。
そもそも、電話するのが面倒なのもあるが、カードがない間にカードが必要になったことの方が困るからだ。
会社では「尻拭い」の専門家ではあったが、家庭では自分で尻拭いをしないので、家族はよく困ったものだった。
家庭で尻拭いをするのは、トイレで用を足した時くらいだ。
そんな父もアルツハイマーになり、尻が拭えなくなり、結局、その尻も家族と介護士が拭うようになったのは、なんとも切ない。
父への手紙
私も兄も親父の子とは言え、親父程、酒を飲むという習慣は尽きませんでした。
また、今現在に至るまで、電車の中で眠ってしまうということはあっても、財布を掏られるという経験は日本ではありません。
一度、セブ島で財布を掏られました。
短期滞在に必要な一部のお金とクレジットカードがなくなり焦りました。
あれ以降、セブ島に行くときは、妻にすべての現金を預け、安全な持ち運び方をしてもらうようになりました。
あの時、あれだけ掏られたのは「私がセブ島へ行くときに掏られるから気をつけろ」という啓二だったのだと分かりました。
先見の明があるのは、なんとなく分かっていましたが、預言者に近いものが見えていたのだということが、今になって分かったのは、非常に悔いが残るところです。
もっと素直に人に伝えるようにすれば、こんなに苦労続きな人生を送らなくても済んだのかもしれませんよ。
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