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「承認欲求」を乗りこなす〜自己紹介文として〜

「Noteは承認欲求をお金に変えるSNS」なのかもしれない。
全く。承認欲求なんて誰が名づけたのだろう?
承認欲求と言われると、せっかくあった戦意のようなものを喪失してしまう。
書こうというキモチに「水をさす」のである。

いい波を見つけて、乗りこなす

私は今、承認欲求をサーフボードのようにうまく使いこなしたいと思っている。
目立ちたい、好かれたい、なんならモテたい。それ自体は悪いことではない。当たり前の感情である。
承認欲求をサーフボードのように道具として使う。
コンクールなどに応募したり、本を作ろうと思ったり。
結局波乗りみたいに、いい波が来るか来ないかは運次第。
ただ、努力してない人がいきなりサーフボードを乗りこなせるわけがないから、一発逆転を狙うにしても準備と努力と練習が必要。
私は、うまく波に乗れないまま歳をとってしまったのだと思う。
時に荒波に放り出され、
今はぼんやりと波に乗る人たちを見つめて途方に暮れる夕暮れなのかもしれない。

承認欲求の出る幕がない人たち

「認められたい」という気持ちは、強いか強くないかではなくて、
たとえば仕事で認められているとか、
趣味で充実しているのでとか、家族関係・友達関係うまくいってますとか、
とにかくさまざまな欲求が満たされている人は、承認欲求の出る幕がない。
家族、友人たちにも認められているから関係が良いと言えるだろう。

結果・達成

自分で自分を褒めるには、ある程度の達成、結果、アチーブメントが必要で、私のように仕事もなく子供もなく友達もろくにいない状況で、毎日夫に「働いてない」と言われながらも家事に追われるといった体では、結果どころの話ではない。
だから趣味で自己肯定や自己愛を育むしかなく、そのために創作や手芸などをしているのである。そこに他者から称賛されるという淡い期待を持って趣味に臨むからこそ、趣味を「社会と繋げる」ことが大事と思われる。
自立とは依存先を増やすこと」とはどこかで目にした言葉だが、本当にその通りだと思う。自立するためには、多方面で少しづつだけお世話になることが一番いいと思う。誰か1人に依存していては、その人の負担過多になるだけだ。

承認欲求の高い人の特徴

「承認欲求」について調べてみると、承認欲求の高い人の特徴として、以下の4点が挙げられていて、つい、笑ってしまった。まんま私や。。。
・自信がない
・プライドが高い
・寂しがりや
・調子に乗りやすい
つまりはアダルト・チルドレンというやつである。
こういう自分の特徴とか特性を理解して、自分が今どういう状態にあるか、「自信がない状態」とか「調子に乗っている」とか、俯瞰してみる、認知することがまた大切だと思う。(メタ認知という人もある)

「一生アンニュイ」を卒業する

そして目下の目標は
「一生アンニュイな自分を卒業したい」である。
人には、「アンニュイな時期」というものがあるとしても、やっぱり、「一生アンニュイ」ではダメだと思うんだな。

私の大好きなアニメ、一つ挙げるとするならば、
やはり「耳をすませば」なのである。
あの受験期の少年少女のくすぐったい青春恋愛モノ。
私は「耳をすませば」の原作がりぼん掲載時からの読者だった。それゆえに思い入れの深い作品だった。
あれをを今でも好きでたまらないと思ってしまうのは、やはり精神が中2中3ぐらいで止まっているからだろうと思う。
ハタチぐらいの時には無理やり知り合いの取材について行って、アシスタントのフリをしてスタジオジブリに乗り込むという貴重な経験も得た。宮さんはお見えにならず、鈴木さんのお話をたっぷりと伺った。「もののけ姫」が公開された頃だった。
そこで取材していたルポライターさんのお話の聞き方、それを文章にする能力、到底私には届かない読書量と知識量、そんなものたちにいたく感動して、ああ、書く仕事もいいなあ、という感想をその時に抱いた。その気持ちは20年以上ずーっと育んできた。

始めなくては何も始まらない

そいういう過去の思いもあって、
何らかの達成と自己肯定を求めて、
noteをついに始めるに至った。
立ち止まってばかりでは何も始まらない。
いつの日か煌めきのような光が差すのを信じて、前に進まなければ。

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