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形に残るもの

「辞退させてください。」

親しくしている出版社から翻訳の打診があったのは昨年のこと。少し悩んだのだが、断った。私は翻訳で食べている訳ではないが、過去に翻訳本が出版されたことはある。今回はその辺りの話し。

情熱に突き動かされる

「通訳をお願いできませんか?」

2008年、アメリカの友人の道場で開催されるセミナーに参加した際、その場にいた取材の日本人女性に頼まれた。友人は日本から武芸の師匠を招いて初のセミナー開催。私は純粋な興味から参加したのだが、通訳がいないとのことで急遽運営側にまわることになった。

師匠の2日間のセミナーは成功に終わり、私自身も通訳という形で非常に近くに身を置かせてもらって学ぶことが多々あった。その時に手渡されたのが師匠の当時の新作。武道関係の書籍は数多く読んできたが、その本はそれまで味わったことのないインパクト。取材の女性と思っていた人は本を出した出版社の人で、「英訳できる人を探している」との言葉に一人では無理だが、アメリカ人の友人との共同作業ならできるかもしれないと手を挙げた。

それから仕事の合間の時間を使って毎日のように翻訳作業。私の英語の初稿をネイティブの友人に直してもらうというプロセスで、本が出版されたのはその年の暮れだったろうか。自分の名前の載った本を手にするのは感動だった。今、振り返ってみても何が自分をそこまで突き動かしたのか分からない。

翻訳の妙味

言葉を別な言語に置き換える作業は独特だ。単純に別な言語で同じ現象について説明するのとも異なる。翻訳の場合、そこには著者がいて、その著者が伝えたいメッセージを徹底的に汲み取って、それを置き換える。ビジネス契約書などであれば、それになりの型があるので、そこを踏襲すれば良いが、普通の作品だとそうもいかない。

師匠の本に心打たれて翻訳を始めたものの、言葉を置き換える段階で不明点がどんどん出てくる。「この言葉が意味することは?」、「この文章の主語は?」、「この古典の言い回しは?」などなど。分かった気になっていることが分かっていないことを思い知る

たとえば真面目と真剣の違い。日本語で「真面目なだけではダメだ、真剣でないと」と聞いたら何となく分かるような気がするが、何が違うのかと言語化するのは難しい。それを別な言語で表現するとしたら?そんなことが無数にあるのが翻訳のプロセス。終える頃には心身ともに燃え尽きていた

とは言え、「この本を読んで感動してセミナーに来ました!」と海外で他流の先生に話しかけられた時などの感慨深さは格別だ。その人は稽古で日本を訪れた時に書店で偶然その本を見つけたとのことだった。冊数は少ないが本は増刷され、今でも検索すればキンドル版も含めて普通に表示される。形のあるものに尽力できたのは嬉しい。

久しぶりにその路を歩む

それからも小さな翻訳は定期的にやってきたが、本格的なものはやっていなかった。単純に仕事に、家庭に、稽古に手が一杯で時間がないから。昨年、打診があった時、私の心の声はやりたいと思っていたが、物理的に毎日数時間、そこに費やすのは無理だという現実的判断に落ち着いた。

翻訳を引き受けて作業中の先輩から「手伝ってくれないか」と相談を受けたのは6月末。年内の刊行を目指すには夏中に翻訳の初稿を終えなくてはならない。本業も繁忙期に入ろうとしている時期だったが、このご時世で師匠も海外セミナーができない中、海外支部の関係者に本を届けるのは大切なミッション。必要な章について出版社とも相談の上、引き受けた。

そして今週末。自分で決めた締切を遵守して、自分の担当範囲の翻訳を完了。英文チェックのために出版社CCでアメリカの支部長に原稿を送った。2ヶ月前に「プロジェクトに参加するよ、昔みたいだね」と書いたら「We have the band back together again!(バンド再結成だな!)」とレスがあったのが懐かしい。

まだ本が出るまでには原稿チェックその他、様々なプロセスがあるが、コアとなる作業は一段落。今はずっと開いていた作業タブを閉じて、次に必要になるまで忘れておこう

今年の暮れに本と出会うのが楽しみだ。

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