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今の大学を選んだきっかけとその結果

みなさんこんにちは。大杉です。
現在は東京学芸大学の教育学部、体育系の学科に在籍しています。
そんな私の大学生活も3年目の夏休みに突入しようとしています。
とはいえ、部活・就活・バイト・教育実習・車校etc…とやることがギッチギチで休み感がありそうとはいえません。

思えば私が今のスポーツ指導を始めたのも2年前、大学1年生の夏休みでした。

去年の夏休みは人生初の海外に行き、現地の子どもたちと全力でスポーツを楽しみました。

そんなこんなで、もうそんな大学生活も半分以上終わっているんですね。

今回は、そんなやりたいことをとにかくやりまくっているだけの大学生の私が、なぜ今の進路に進んでいるのかをちょっと振り返ります。
自分について語るのは初めてかもしれませんが、温かい目でご覧いただけると幸いです。

元々あった夢

というわけで私が今の大学を選んだきっかけをお話しするのですが、形式としては昔の夢の話から少しずつ、過去を振り返る形で話していきたいと思います。

小学生の頃

小学生の私は、一言で言えばおとなしくてやや賢めな子でした。
野球のスポ少でキャプテンはしていたものの、人前で元気に駆け回るタイプではなかったと断言できます。

そんな私は小学生の時、アナウンサーや実況者になりたいと密かに思っていました。
その理由は、スポーツは好きだけど体を動かすのは得意ではなく、自分にプロの可能性は全くないと思っていたからです。かなり太ってましたしね。

ということで、この時点でもうスポーツ系の将来は絶たれていたわけですね。諦めがいいと言っていいのでしょうか、、、

でも、思い返せはこの頃からスポーツ自体は好きだったんだなと改めて感じます。

中学生

中学生になって最初の頃も、アナウンサーの夢はなんとなく持っていました。
実際、職場体験でも地域のテレビ局に行かせていただいたくらいです。(その時の記憶はなんとなくしかありませんが。笑)

ただ、中学生の後半になってきた時、新たにもう一つ夢ができました。
それは、「誰かに何かを教えること」です。
その時の私は変わらず野球を部活動で行っており、副キャプテンもしていました。ついでに性格や体格も変わらずです。

その部活の中で、自分は野球を「教える」側ならできるようになるんじゃないかと思いました。
さらに、当時成績も恥ずかしながらそこそこ良かったので、友達に勉強を教えることもよくありました。

それらの経験の中で、「教える」楽しさとやりがいを自然と感じていたのだと思います。そこから、「先生になりたい!」と思い、少しレベルの高い高校に行こうと思ったことから地元の高校ではなく、少し離れた自称進学校くらいの高校に進学することにしたのです。

高校初期

この選択が、おそらく自分の進路を大きく変えたきっかけになりました。

高校は先ほども言った通り少し離れたところに行きました。
さあ頑張るぞと思っていたところ、早速悲劇が。

初めての寮暮らし、友達0人スタートの環境に、寂しすぎて何にもうまくいきませんでした。
土日に帰る地元で中学の友達に会う時間のために、頑張って学校に行っていたくらいです。

寮という誰かとずっといる環境に耐えられず、寮は3ヶ月ほどでやめてしまい、毎日2時間かけて家から通うことにしました。

そんな大変なこと続きの高校生活でしたが、ある転機が訪れました。

クラスの隣の席の子に誘われた、ハンドボール部への入部です。
元々野球を続けるか迷っていたのですが、土日あると聞いてきついと感じ、運動を続けるか迷っていました。
そんな時に誘われたのがハンドボール部です。今でもその子にはこっそり感謝してます。笑

当時もそれまでと変わらずおとなしく、太ってもいた私からすると、ハンド部はまさに陽キャの巣窟。
耐えられるか不安でしたが、それが意外にも楽しく、先輩も友達もいい人ばかりで、気づけばハンドボールにハマっていました。

ハンドボール部で陽気な方々に関わっていたことをきっかけに、私も少しずつではありますが周りの人との関わりが増えてきました。
加えて、学校生活も楽しくなり、入学当初は中学から一転学年最下位に近かった成績も、学年を重ねるにつれて少しずつ上がってきました。

そんな中、進路に関しては、なんとなく教育系に進みたいなと思うようになっていました。
先生になりたいという気持ちからも、最初は地元の国公立大学の教育学部に進むんだろうなとなんとなく思っていました。(これは多分中学3年くらいからずっと?)

ただ、進路を探している中で、他の友達が意外と広い範囲で進路を見ていることに気づきました。地理的な話です。
関東、北海道にまで進路を考えている友達を見て、私も「東京に行きたい!!」と思うようになりました。
なぜかはわかりません。ですが、きっと都会の輝きに惹かれたのでしょう。

それもあって、東京の大学を探していたところ見つけたのが今の大学です。ただ、その時は学科は特に考えていませんでした。

高校後半

とはいえ、高校3年になったとき、流石にはっきり進路を決めなければいけないときがくるんですね。そう、共通テスト前の模試ラッシュの時期です。
志望校、学科等を記入して、その目標に対してどのくらい届いているのかをみる重要な機会です。

そこで迷いに迷い(一時期は理数科ながら国語コースに進学しようとしていました。)、自分は何が好きなんだろう、、、と葛藤した結果、

スポーツ好きじゃん

となったわけですね。
ちなみに当時体重を落としに落としまくり、中1の時くらいの体重にまで絞っていたこともあり、体育の成績が高くなっていたことからもスポーツができることが自信になっていました。

というわけで、東京学芸大学をはじめ、東京の体育系の大学を受けまくり、無事今の東京学芸大学の体育系学科に進んだということです。

大学に入る時〜入ってから

入学時の気持ち

さていよいよ大学編に入るのですが、その前に前提を。
実は、大学に入る時(入学前から)、先生という進路はあまり考えていませんでした。

というのも、他にやりたいことがあったからです。
私自身、現在は体育系とはいえ教職が必修でない学科に在籍しています。

そのやりたいことのきっかけとなったのは、まさにハンドボールです。
ハンドボールがきっかけでスポーツを続けることができ、そしてスポーツも好きになれました。
ただ、そんなハンドボールも実家から離れた高校に行かないと出会えなかった、まさに偶然の出会いがあったからこそできたものです。

その偶然を必然に、つまり色々なスポーツをもっと身近に、当たり前にしたいという思いがあり、それを教育という側面で広げたいと思ったのが大学進学のきっかけでした。

その気持ちは、今の私のやりたいことにも少なからず引き継がれています。

入学してから

とは言いつつ、ただの一大学生です。
何かしたいと思ったら思いっきり起業できる!それだけ熱い気持ちがある!というわけではなく、なんとな〜くできたらいいなあ、と思っていたくらいです。
そのため入学してからも、そんな感じでなんとな〜く大学を終えて、卒業後はやりたいことに近いことできたらいいんだろうなぁと思っていました。

そこで私を変えたのは、これまた偶然ですがスポーツ・教育コミュニティとの出会いです。

なんとなーくで生きようと思いつつも、それなりにやはり気持ちはあったので、当時のtwitterで見つけた東京で活動している学生団体に行かせていただきました。

加入したところまではそのなんとなくだったんですが、入ってからは当時の私にとって未知の世界が広がっていました。

みんながすごく教育・スポーツに対して強い気持ちを持っていて、何かしら行動を起こしていて、一気に違う世界に来たんだなと思いました。

そこからは、これまでの気の緩さはなんとなく持ちつつも、「やりたい」と感じたことができるように、いろいろ勉強を始めました。
スポーツ教室のコーチを始めたのも、ちょうどこのくらいです。ちなみに初めてのレッスンの時は、子どもへの人見知りがすごすぎて全然入り込めなかったのを覚えています。笑

子どもが好きになったタイミング

そんな私ですが、実はそのスポーツ教室のコーチを始めた時には、あまり子どもに対して接したことがなく、正直苦手でした。

それが変わったのは、スポーツ教室でメインコーチを目指してみない?と言われた時です。
行けるところまでやってみよう!と思って始めたのですが、挑戦していくうちに子どもの成長をだんだん間近で見れるようになっていって、自分の中で子どもがすごくキラキラした存在になっていきました。

おそらく子どもとの関わり方もそのタイミングでガラッと変わったと思います。
人見知り全開で小さな声で接していたのが、とにかく全力笑顔で話すようになりました。

子どもに関わるようになる

ということで、元からあった子どもに対する苦手意識が完璧に無くなり、改めて自分のやりたいことを見直しました。

すると、基本的な思いは変わらないものの、そのスポーツを身近にするという活動を、特に幼少期の子どもに向けて行うべきだということに気づきました。幼少期の経験が思っていたよりも重要なものなのだと感じて、そこからはとにかく子どもに関わってみようと思い、たくさんの活動に参加しました。

親子向けのイベントを手伝ったり、インターンで親子のグランピング施設に行ったり、日常生活でも子どもに関わったり、、、
一番大きかったのは、セブ島で現地のスラム街に住む子ども向けにボランティアで運動会を行ったことです。
初めての海外、初めてのリーダーでの0→1を作る体験で、いかに他のメンバーの気持ちを最大限汲み取りながら活動できるかなど、たくさん悩むことがありましたが、世界共通で子どもの笑顔は輝いていることを知り、最高の経験になりました。

このセブ島にいくという大きな一歩がきっかけで、それまでよりもたくさんのイベントに参加し、インターンに参加し、子どもたちと触れ合うようになりました。

〜今

そして大学3年生になった今、私はこの先の進路を考えています。

進路が完璧に定まっているわけではないので、今はいろいろな場所を探していますが、どちらにせよ、私は今の進路を進んでいて良かったと思います。

ターニングポイントはたまたま離れた高校でハンドボール部に入ったことで、ビッグイベントは東京に進みたくなったこと、スポーツ教室のアルバイトを始めたこと、セブ島で運動会を行ったことでしょうか。

今私は、たくさんの素敵な方々に出会い、自分のやりたいことをとことん探し、突き詰められる環境にいることができています。
それも、私の「なんとなく」からの選択、それを深めてくれた周りの方のおかげです。

とはいえ、本当の進路が決まるのはこれからです。
今いる環境には本当に感謝し、そしてこれからも進んでいきたいと思います。

長々と自分語りをしてしまいました。
もっと深掘りすればもっともっと話題が出てくるのですが、逆にここまでギュッとできた自分を認めつつ、ここで締めたいと思います。

それではまた!!


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